08 疑惑
「よく来てくれた」
目の前には赤いふわふわの髪をポニーテールにまとめたフレデリク。備え付けられたデスクの前に立ち、腕組みをして千晃とルキフェルを見据えている。
「お、お久しぶりです」
千晃はおっかなびっくり挨拶をした。一体なぜ呼び出されたのかはわからないが、彼の独特な威圧感は健在である。加えて、この生徒会室の内装も千晃を怯ませる一因となっていた。
生徒会室と聞いて千晃が想像するのは、長机が何個かまとめてくっつけてあって、そこにパイプ椅子が並べられている教室だ。
それがこの部屋はどうか。ふかふかした絨毯。豪奢なカーテン。木でできたデスクは飴色に光って美しく、重厚感がある。
千晃は王宮でフレデリクの執務室を見たことがあるが、この部屋はいわゆる学校の生徒会室というよりは、王子殿下の使う執務室、その方向性に近いものがあった。
「何の要件だ」
すっかり空間の圧に呑まれている千晃をしり目にルキフェルが尋ねた。フレデリクはうん、と頷く。
「少し確認したいことがあってね」
「確認?」
千晃は首をかしげた。一体何の話であろうか。
「早速聞かせてもらうとしよう。チアキ、今朝はどこにいた?」
「え?」
今朝も何も、今さっきフレデリクに呼ばれたところで、特に何ということはしていないのだが。千晃は訝しみつつも、それをそのまま伝える。
「今朝はちょっと遅く起きて……学舎に向かってたところに、ちょうど殿下の手紙? が来て、今に至るって感じですけど」
「ふむ。それはルキフェルと一緒に?」
「はい」
「その様子を見ていた人はいるかな」
「ええ?」
千晃は目を瞬かせた。記憶を遡ってみるが、今朝特に誰かと会ってはいないはずだ。
「うーん、遅かったから特に誰ともすれ違わなかったような……ここに来るまでには、廊下で私たちを見た人はいると思いますけど」
「成程……それは少々、良くないかもしれないな」
「良くない?」
フレデリクは口元に手を当てた。
「実は、今朝、ちょっとした事件があった」
「事件?」
「うん。今朝早朝、学園に魔獣が出たんだ」
「えっ!?」
千晃は目を見開く。奇しくも、先日の千晃の不安が現実となってしまったようだ。
エゼキエルから最近魔獣が増えていると聞かされたばかりだが、学園にまで入り込んで来るほどの事態になっているとは。
「生徒が襲われてね。幸い、近くにいた教会所属のエゼキエルが駆け付けたので怪我はなかったんだが」
「! そうなんですね」
どうやらエゼキエルが活躍していたらしい。怪我人はいないと聞いて千晃はひとまず胸を撫でおろした。しかし、フレデリクは厳しい表情をしたままだ。
「ここ最近魔獣が増えている。それもこの学園の周囲で、異様に頻発しているんだ」
「エゼキエルにも聞きました。だから気を付けろって……」
「そうか。彼は……」
フレデリクは目を伏せた。
「……いや。話を戻そう。この王都の過去の記録を見ても、魔獣の侵入がこんなに狭い範囲で頻発するのは例がない」
「じゃあ、王都の周辺で魔獣の数がすごく増えてる……ってことですか?」
「いいや。王都の周辺の魔獣は定期的に討伐されていて、特に異常発生しているという話を聞いたことはない」
「そ、それじゃあ……どうして?」
千晃が問うと、不意に隣から笑い声がした。見上げれば、ルキフェルがどこか小馬鹿にするような雰囲気で笑っている。
「そんなの決まっているだろう、契約者。これは人為的に起こされたものだと――そういうことだ」
「その通り。この魔獣による事件の数々は、誰かが何か目的を持って引き起こしているものだと、僕らはそう睨んでいる」
「えっ。で、でも……そんなことできるんですか?」
フレデリクが答える。
「可能だ。それも――チアキ、君も用いた方法でね」
「え?」
千晃は首を傾げた。フレデリクは彼女を見つめている。隣を見れば、ルキフェルが楽しげに微笑んでいた。千晃ははっとする。
「もしかして……召喚するってことですか」
「そうだ。チアキがルキフェルを召喚したように、犯人も魔獣を召喚しているのではないかと、そういうことだね」
「つまり、魔獣は外から侵入しているというよりは、召喚されることによって街の内部から発生している……」
千晃は考え込んだ。そんなことをして一体何のメリットがあるのだろう。
そのとき、ルキフェルが口を開いた。
「御託はもういい。契約者も現状を理解したことだろう――結論を言え」
「?」
ルキフェルの言葉に千晃は顔を上げる。フレデリクはひとつ頷いた。
「さすがだね。……端的に言おう。この魔獣による事件、引き起こした犯人として――」
千晃は唾を呑んだ。海のように深い青の目が彼女を見る。
「――君たちが疑われている」
千晃はそうっと戸を開けて、お目当ての人物がいないか視線を巡らせてみる。
居並ぶカラフルな頭たちの中、きらりと光る銀色。いた。千晃は教室の中に滑り込み、声を掛けた。
「エゼキエル、ちょっと」
「む」
振り返ったエゼキエルは千晃とルキフェルの姿を確認すると、厳しい顔つきになった。
「お前たちか」
気付けば教室はしんと静まり返っている。噂は既に広まってしまっているようだった。千晃は居心地悪く思いながら、エゼキエルを廊下へいざなう。
「突然ごめんね、今朝のことを聞きたくて」
「ああ、そうだろうと思っていた」
人のいないところまで来ると、千晃は振り返った。
――『や、やってないです!! 私、魔獣の召喚の仕方なんて知らないし、ルキフェルのときだって気が付いたら現れてて』
――『そうだろうとも。だが、こう思う者もいる。……悪魔を召喚したのだから、魔獣の召喚だって可能なのでは? ……あるいは、悪魔に命じて、眷属たる魔獣を召喚させているのでは? とね』
――『そんな……』
――『君にとってこんな嫌疑を掛けられるのは不本意だろう。だがしかし、悪魔という存在の影響力は大きいのだ』
――『……悪魔との契約者というイメージが良くないのはわかりました。でも私、本当にやっていないんです』
――『うん、そうだね。……君に残された手段は二つある。疑いを晴らすため、自分が完全に潔白であると示すことができる証拠を提出するか――』
――『あるいは、真犯人をこの手で突き出すか』
エゼキエルは静かにこちらを見つめている。
思えば、彼は一度千晃に確認と称して質問をしてきたことがあったが、それもフレデリクの言うのと同じ疑いを持ってのことだったのだろう。しかし彼のその後の振る舞いを見る限り、エゼキエルは千晃が犯人ではないと判断したようだった。
その事実は千晃を奮い立たせた。信じてくれる人もいるのだから、千晃は彼女に掛けられた疑いをこの手で晴らさなくてはならない、と。ルキフェルは呆れたように彼女を見ていたが、千晃は与えられた挽回のチャンスに必死だった。
そんな彼女といえど、冷静な部分はしっかり残っていた。自分が完全に潔白であるという証拠を示すのは難しいとわかっていたのだ。
何せ、この世界は魔法がある世界。加えて自分の隣にいるのは不可能も可能にしそうな悪魔ルキフェルである。たとえ魔獣の事件があった日に自分が外出届を出していないことを証言しようとも、悪魔の怪しい力でどうにかしたに違いない、と思われてしまうだろうことは理解していた。
だから彼女は、フレデリクに示された方針の二個目、真犯人を自らの手で捕まえ真実を暴くため、事件についての調査を始めたのである。