05 蒼黒の鷹
「この世界にはアートルムと呼ばれる生物がいる。やつらは神に反逆し、人々の平和を脅かす魔獣だ」
へえ。いかめしい顔つきをした男性教師の言葉に、千晃は目を瞬かせた。
アートルム、この世界に来てからよく聞いた言葉である。主に自分に向けられた言葉として。その文脈から、おおかた何か蔑称だろうと推測してはいたが、元は魔獣を指す言葉のようだ。
「アートルムは物理的な攻撃だけでは倒せない。討伐の方法として、魔法を使うことが主な選択肢となる。そこで、このコロル魔法学園に通う貴様らには、自分や、自分の大切な人、誰かの大切な人々を守るための術を学んでもらう」
教師が生徒たちを見据えた。
「訓練の時間だ」
千晃たちは外に出され、黒い獣の形をした的の前に並ばされた。
「アートルムは、あの的のように黒い体表と黒く濁った眼をしているのが特徴だ。……それでは、各々の思う方法で攻撃してみるといい」
えっ、そこで放任? 千晃はうろたえた。先ほど基本的な呪文は教えられたが、それ以外は一切のサポートなしである。あるいは、最初に現時点での実力を見るために行なっているのか。千晃は周囲の様子を窺った。生徒たちは各々、思う呪文を唱え出している。とりあえずやってみればいいか。
隣で火の玉が的に向かって飛んでいった。的が火の玉の勢いに負けて倒れる。なるほど、あんな感じでやればいいらしい。千晃は隣の生徒の真似をした。
「『火よ、我が手に宿れ』」
体の中で何かがうごめくような感覚がした。そして、ぽっとチアキの手の上に火が灯る。……マッチ大の。
「えっ?」
隣の生徒は手の平ほどの大きさの火の玉を出していた。もしかして、気合が足りなかったとか? 千晃は火を消すと、今度は力を込めて呪文を唱えた。
「『火よ、我が手に宿れ』!」
ぽっ! 今度は白玉サイズの赤ちゃん火の玉が生まれた。
「…………」
千晃はそれを的に投げつけてみる。水が一気に蒸発するときのような音がして、赤ちゃん火の玉は的から生まれた瘴気のようなものに呑み込まれた。
千晃は沈黙した。見れば、この授業を受けている生徒の中で的が倒れていないのは彼女だけのようだ。どこからともなく忍び笑いが聞こえる。千晃は頬を赤く染めた。
そのとき、後ろから肩に手を乗せられる。振り向けば、ルキフェルが身をかがめて千晃に囁いた。
「見ていろ」
言うなり、彼はわざとらしく指を鳴らす。真紅の炎がごうごうと唸って天を衝かんばかりに燃え盛り、的は跡形もなく消滅した。
笑い声は消えた。代わりに生徒たちの間に沈黙が広がる。ルキフェルは楽しそうに千晃を見やった。
「炎とはこうするんだ。わかったか?」
「……いや、わかんない」
千晃は呆然と答えた。事実、ルキフェルは呪文も唱えていないし、第一あんな業火を見せられて参考にできるはずもない。
咳払いが聞こえた。振り返れば、教師が厳しい顔でこちらを見ている。
「悪魔にやらせても意味はない。己の力で、アートルムを倒せるよう修練するのがこの授業の目的だ」
「はい……」
千晃は項垂れた。教師は言葉を続ける。
「……代わりの的を用意しよう」
あっ、優しい先生だ。千晃はこの教師への好感度が上がった。単純な人間である。
千晃から視線を外し、教師が手を打ち鳴らす。生徒たちの視線が彼に集まった。それを確認して、教師は声を張り上げる。
「次は、生徒同士で二人組を作ってもらう。お互いの魔法を見て助言し合い、高め合うこと。練習時間を取ったあと、私が一組ずつ指導に回るので、それまでは自主練習とする」
やっぱり優しくないかも! 千晃は肩を落とした。
何せ黒髪黒目の千晃である。それも悪魔付き。ただでさえ生徒から避けられているというのに、どうやって二人組を作れというのだ。あぶれるのが目に見えている。
教師の出してくれた的を横目に、生徒たちが各々二人組を作っていくのを恨めしく眺めていると、ふと背後から声がした。
「あの」
「……」
「……あの?」
「おい、呼ばれているぞ」
最初自分に掛けられた声だと気づかなかった千晃はその声をスルーしていたが、ルキフェルに指摘されて慌てて振り返った。
「は、はい!?」
「あの、組みませんか。二人組」
そこにいたのは、緑がかった暗い色の髪をした男子生徒だった。こんな自分にも声を掛けてくれる人がいた! 千晃は感激して勢いよく頷く。
「う、うん!」
「よろしくお願いします。カロンです」
「千晃です、よろしく!」
そこで千晃は首をかしげる。ところで、この生徒、どこかで見たことがあるような。
「さっき……すれ違いましたね」
「ああ!」
カロンのほうから話題に出されて、千晃は思い出した。確か、千晃が大司教ユストに呼ばれる前、ユストと話していた生徒だ。彼の髪の色が珍しかったので記憶に引っかかっていた。
「ユストさんと話してたよね」
「はい。あんたも、ですよね。その、大変そうだなって思って」
カロンは千晃を見て言う。千晃は愛想笑いを浮かべた。
「はは、まあ、そうかも。でも……」
千晃はカロンを見つめた。
つんつんとあちこちはねた短髪は、陽の光を浴びて緑が目立っているが、室内ではもう少し暗く見えたように思う。短髪から覗く耳には結構な数のシルバーピアスが付けられており、軟骨にも棒状のピアス。真面目そうな感じだけど、意外とおしゃれ好きなのかな、と千晃は思った。切れ長の鋭い目は黄金色で、どこか猛禽のような雰囲気を持っている。
「カロンが声を掛けてくれたし。良かった、先生と組むことになるかと思ったよ」
千晃が笑みを浮かべると、対照的にカロンは暗い顔をした。
「学園のやつらが……髪や目の色のこと、気にしてるから、ですよね。せっかくこっちの世界に来てくれたのに、嫌な思いさせてすみません」
「えっ。い、いや、カロンが謝ることじゃないよ!」
慌てる千晃に、カロンは目を伏せた。
「あんな迷信、くだらないです。いくら持ってる色が淡くたって、そういう人間にも嫌なやつはいる……」
カロンはふと笑って、千晃を見返した。
「いえ、どうでもいい話でした。すみません、まずは課題、頑張りましょう」
カロンは優秀だった。
何の魔法を使うにも微妙な結果が出る千晃に、ひとつひとつわかりやすく、原理を説明してくれた。その上で、どうやれば威力が出やすいのかコツまで教えてくれたのである。
「いいですか。魔法には属性があります。その属性に合った魔力を練れると、その魔法の威力は上がるんです」
「みんな持っている魔力には特徴がある。その中から、使いたい魔法に合った魔力を選り抜くのが最も大切なことです」
「目を閉じてみて。深呼吸して、自分の体に感覚を集中します。体の中を流れている血液の音や、筋肉の震える音が聞こえるくらい意識を研ぎ澄ませる。そうすると、魔力の流れがなんとなく感じられます。それは冷たいのか、温かいのか、素早い奔流なのか、ゆったりと満ちているのか……それは人によって様々です。チアキ、あんたの魔力はどうですか」
そんなカロンの専属講義を受けて、千晃の火の玉は白玉サイズから大福サイズまで成長した。
「すごいよ、カロン! すごく教え上手だね! こんなに変わるなんて」
「いえ、全然です。チアキの元々の素質ですよ」
カロンは驕ることなく、謙虚にそう言った。チアキはますますカロンに尊敬の目を向ける。その後ろでルキフェルは退屈そうに椅子に座って生徒の様子を眺めていた。どっから出したんだその椅子。
「本当にありがとう! ただ、ごめん、私ばっかり教えてもらう感じになっちゃったけど……」
「いいんです、気にしないで。おれはあんまり伸びしろもないし」
そんなふうに千晃とカロンが交流していると、ふと生徒たちの間で歓声が上がった。振り返ると、その輪の中心にいるのは銀髪の男子生徒――今朝声を掛けてきた、教会の司祭だというエゼキエルのようだ。
エゼキエルが手を振るえば、たちまち的が凍り付く。かと思えばその氷塊にヒビが入り、あっという間に的は砕け散ってしまった。その衝撃か、少し離れたところにいる千晃たちのところまでふわりと冷たい空気が漂ってくる。
「わあ。すごいなあ」
いかにもファンタジー、魔法って感じ、と千晃は内心で呟いた。カロンはエゼキエルの様子を横目に言う。
「何でも、教会に所属する者には特別な鍛錬方法があるらしいですよ」
「へえ~。そうなんだ」
「教会の連中は魔獣対策の最前線ですからね。中でも、あのエゼキエルとかいうやつは、あの髪色ですから。上から目を掛けられて、期待されているようですよ」
「なるほど」
確かに、この世界の法則で言うなら、エゼキエルの銀色の髪はとても白に近い色だ。であるならば魔法も強く、神聖なる者として高い地位にあってもおかしくはない。
千晃がふんふんと頷いていると、彼女たちのもとに教師がやって来た。
「ミス・ミカゲ、ミスター・ノクス、貴様らの番だ。まずは練習の成果を見せてもらうとしよう」
カロンの名字はノクスというらしい。千晃は初めて聞いたなと思いながら、教師にパワーアップした魔法を見てもらうべく準備を整えた。
本日ももう一話投稿予定です。