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01 悪魔との契約

「お前の願いは何だ」


 千晃(ちあき)は尻もちをついた態勢のまま、呆然と目の前の男を見上げた。


 その青年は、見ていてこちらが窮屈なほどにぎっちりと着込んでいる。ブラウスの襟元を上まで締め、タイを巻き、体にフィットしたスリムなベストに豪奢な刺繍の施されたジャケットを羽織っていた。


 男が一歩踏み出す。タイトなシルエットのパンツに包まれた脚がこちらに近づいて、革靴の踵が床を鳴らした。

 黒い手袋に覆われた手が千晃の顎をつまみ、ぐっと男を見上げさせる。


 ――そして、何より。


 千晃の視線は男の顔へと向いていた。王宮の絢爛な照明の光を弾く、艶のある黒髪。そう、黒髪だ。


「お前の望みは?」


 男が微笑む。赤い瞳が弓なりに歪んで、薄い唇が弧を描いた。千晃は促されるがままに、口を開く。


「私――」


 頷く男に勇気づけられるように、千晃は唇を湿らせた。


「私、は……」


 このとき、千晃の頭の中は目の前の男のことでいっぱいだった。しかし、本来この場で抱くべき疑問――この男は誰なのか、あるいはどうやって現れたのか、どうしてそんなことを訊くのか――は一切浮上してこなかった。ただその存在に圧倒されていたのだ。


「ひとりは嫌だ」


 言葉がこぼれた。静寂。

 一拍の間を置いて、男は千晃の手を掴んだ。勢いよく引っ張られ、彼女はよろめきながら立ち上がり、男の胸に顔をぶつける。


 痛む鼻を押さえて見上げれば、そこには満開の薔薇のような凄絶な笑みがあった。


「良いだろう。この俺がお前の望み、承った」

「っ、?」


 男が膝を折り、千晃の足元へと跪く。


「この悪魔ルキフェルの名に懸けて誓おう。お前の魂と引き換えに――俺はお前を決してひとりにはしない」


 千晃の手にうやうやしく触れると、男――ルキフェルは彼女の手の甲にキスを落とした。絶句する千晃を上目遣いに見上げて、ルキフェルは目を細める。


「これからよろしく頼むよ、契約者」


 その頭にはねじ曲がった立派な角と、背には大きな黒い翼があったことを、千晃は今更にして知った。




 ふと光が遮られるのを感じて、千晃は目を覚ました。瞬き。ぼやけた視界が明瞭になるより早く、厳しい声が掛けられた。


「君は何者だ」

「……?」


 鮮烈な赤が視界を占めている。千晃は身を起こそうとして、ぐいと首元に押し当てられた冷たい感触に動きを止めた。


 徐々に眠りの余韻から醒めていく思考に従い、千晃は恐る恐る目だけを動かして感触の正体を探る。

 鈍い光。そこにあったのは刃の煌めきだった。


 一気に脳が覚醒していく。千晃は咄嗟に状況を把握しようとした。


 まず目の前を見れば、そこには感情の読めない瞳でこちらを見つめる青年の姿がある。年のころは千晃とそう変わらないだろう。彼は燃えるような赤の長髪を高い位置で一つにまとめていた。その毛先が千晃の顔に垂れて、頬をくすぐっている。


 そして彼女の全身にのしかかる重み。視線を巡らせれば、千晃は床に組み伏せられていることがわかった。


 それに何より、この冷たい輝き。つまり、千晃はこの青年に組み伏せられ、剣を突き付けられている状態であった。


「あ、あの、私」

「答えよ。君は何者か」


 千晃はおろおろと視線を動かした。目の前の青年の表情は彫刻のように変わらない。一体何がどうなっているんだ。千晃は――千晃は先ほどまで、何をしていたのだっけ?


 思考に囚われそうになった彼女だったが、目の前の青年の眉に皺が寄ったことで我に返った。何故だか知らないが、今彼女は刃物を突き付けられて動きを封じられている。つまり命の危機に瀕しているのだ。一番重要なのは、この剣の持ち主、青年の機嫌を損ねないことである。


「わ、私! 千晃です! 御影(みかげ)千晃! 怪しい者ではありません!」


 千晃はとりあえず名乗ることにした。じっと見つめる青い目に急かされるように、彼女は言葉を紡ぐ。


「え、えっと、高校生です、日本の! あっ、十六です!」

「……成程(なるほど)。ニホン、ね」


 千晃はその言葉に違和感を覚えた。青年の「日本」の言い方はどこかたどたどしく、外国人のようなイントネーションに聞こえたからだ。だが、彼は日本語を喋っているように見受けられる。

 いや、そもそも剣なんぞ持っていること自体おかしいが、ここは日本ではないのだろうか? それともコスプレ? それならこの派手な赤い髪にも、彼の着ている豪奢な洋装にも説明がつく。


 何か考えている様子の青年に、千晃はそっと問いかけてみた。


「あの、ここはどこですか? 私、起きる前のことを覚えてなくて」


 鮮やかな青い瞳が千晃を見る。彼女は思わず気圧されるように顎を引いた。


「ここは、イーリス王国。この大陸で最も大きな国だ」

「イーリス……」


 千晃は目を瞬かせた。高校生である彼女の知っている国はそう多くはないが、それでもイーリスという名前の国は聞いたことがない。一瞬イギリスのことかと思ったが、どうにもそうではなさそうだ。


「……その、王宮内。僕の私室だ」

「はあ……。……。……ん?」


 王宮の中に私室がある。ということは、つまり。


「お、王族……の方?」

「そうだ」

「!?」


 千晃は声を失った。信じがたいことだが、本当なのだろうか? それともやっぱり、これはコスプレの撮影なのだろうか。

千晃は周囲を見回した。絢爛豪華な内装。高級そうなインテリア。もしかしたらこういうスタジオもあるのかもしれないが、彼女の目には本物に見えた。


「うん」


 ふと、青年が頷いた。かと思えば、首元に添えられていた剣が退けられる。千晃はひとまず安堵して息を吐いた。


「おいで」


 青年は千晃の上から退くと、彼女に手を差し伸べた。千晃は身を起こし、恐る恐る彼の手に掴まる。彼は千晃を立ち上がらせると、そのまま手を引いて窓辺へ歩み寄った。窓を開け放ち、ベランダへと出る。


「外をごらん」


 促されるままにベランダへ歩み出た千晃は目を見張った。そこには、ヨーロッパの観光地もかくやというような、華々しい庭園が広がっていたのである。そしてそれを囲むようにして、白亜の宮殿が建っている。


「わかるかな。ここはイーリスの城だ。君は、その中に突如として現れた。どうして――と言いたいところだけど。答えは明らかなようだね」

「えっ?」


 千晃は錚々たる風景に圧倒されながら、隣に立つ青年を見上げた。彼は変わらず感情の読めない無表情で、淡々と告げる。


「ようこそ、新たなる“マレビト”のチアキ。イーリス王国を代表して、この僕――第一王子フレデリクが歓迎する」

本日はもう一話投稿予定です。

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