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13 雷

 エゼキエルが唱えた、その瞬間だった。

 季節は春だというのに、突然震えるほどの寒さが場を満たす。かと思えば、エゼキエルの前に大きな魔法陣のようなものが浮かび上がった。そして、一拍。


「グギャギャギャギャ!!」


 ものすごい量、そして大きさの氷塊が空中に現れ、マシンガンのようにアートルムたちを打ちのめした。


「……」

「……」


 思わず千晃とエゼキエルは押し黙った。周りの生徒たちも黙りこくっている。


「エ、エゼキエル、すご……」

「い、いや、今のは」


 千晃の言葉に、エゼキエルは戸惑ったように額を押さえた。


「普通は……ああはならない……」


 そう言ったきり、彼は沈黙する。

 どうやら千晃の付与魔法の効果だと言いたいらしい。まさか、と千晃は思った。千晃の魔法はへっぽこである。それを人に掛けたからって、そんなすごい威力になる訳がない。


 呆然とする千晃たちだったが、しかし、アートルムは待ってくれない。打撃から生き残った一部のアートルムたちは、怒りの咆哮を上げて再び襲い掛かってきた。


「っ、『氷よ』――」


 またエゼキエルも応戦する。そんな中、千晃は後方に視線をやった。さっきのエゼキエルの攻撃で多くのアートルムが倒れたが、まだ残党はいる。とはいえ、後方の生徒たちの負担は軽くなったようだ。ルキフェルも気だるげに片手を振っては何かの魔法でアートルムを打ち払って――。


「!!」


 そんなルキフェルの死角になるようにして、一匹のアートルムが忍び寄っているのを、千晃は見つけた。既に距離は近い。ルキフェルは……恐らく気が付いていないようだ。どうしよう。千晃は一瞬思って、しかし、次の瞬間には体が動いていた。


「――痛っ!」


 アートルムの爪が、ルキフェルを押しのけた千晃の腕を深くえぐる。


「――!」


 ルキフェルの目が見開かれた。


「チアキ!」


 エゼキエルが叫ぶ。彼は魔法でアートルムを打ち払うと、千晃の腕を掴んだ。腕がじくじくと痛み、熱を持っている。彼女の腕からは派手に血が流れていた。


「待っていろ、止血ののち、治癒魔法を――」

「いや、不要だ」


 ふっと影が差したかと思えば、ルキフェルが千晃のすぐ真後ろに立っていた。

 その近さに驚きながらルキフェルを見上げる千晃の腕を、彼が掴む。そしてそれを持ち上げて――。


 べろり。


 ――舐めた。


「!?!?!?!?!?!?」

「なっ!?」


 ぬるりとした生温かい感触に声なき悲鳴を上げる千晃。しかしルキフェルは容赦なく、千晃の腕から垂れる血液を舐め、そして傷口まで舐めた。


「いっっっった!! 何すんじゃいこのおバカ!!!!」

「細菌感染!!」


 あまりの痛みにルキフェルを殴りつける千晃と、現実的な懸念を叫ぶエゼキエル。アートルムに襲われているこのシリアスな状況の中で、ここにだけとぼけた空気が流れていた。


 ルキフェルは口元についた血を舐め取ると、鋭い牙を見せて笑った。赤い目の瞳孔が開いている。


「――いいか、千晃」

「はいっ!?」


 低い声で凄むルキフェルの、そのあまりの迫力に千晃は叩く手も止めて思わず敬語になった。


「俺は、アレに、気付いていた。その上で、どうせ俺には傷一つ付けられないだろうからと放置していた」

「は、はい……」


 ルキフェルが天に軽く手を翳す。途端に空が暗くなり、暗雲が立ち込め始める。


「それを、お前は俺の前に飛び出した。その愚かな思考でもって、脆弱な身体でだ」

「……」

「俺の言いたいことはわかるな?」


 ルキフェルは天に向けていた手を空中に振り下ろした。

 恐ろしい轟音。大気を割ってほとばしる稲妻。耳に叩きつける落雷の音。激しい閃光が、千晃たちの目の前に炸裂した。

 地が揺れる。千晃は立っていられず、思わずエゼキエルの袖にしがみついた。


 激しい光に眩んだ視界が戻ってくる。目を瞬かせれば、そこには地に伏したアートルムの群れの姿があった。


「――その考えなしに突っ込む癖をやめろ。余計なことを、するな」

「はいぃ……」


 千晃の脚は小鹿のように震えていた。久しぶりに、ルキフェルのことが恐ろしいと、そう思った瞬間であった。




「はあ。契約者のおかげで、余計な労力を払うはめになった」


 ルキフェルはそう言うと、千晃の背中に体重を乗せてのしかかってきた。


「な、何、重い重い重い、今は無理ーっ!」

「なっ、おい!」


 ぷるぷる震える千晃の脚ではその体重を支え切れず、千晃が倒れ込みかけたところを、慌ててエゼキエルが支えた。斜めに倒れてきた千晃の体を垂直に戻しながら、エゼキエルは言う。


「天候を操る魔法……あれほどの魔術を使うとは。アートルムも一網打尽だ」


 エゼキエルの言葉につられて千晃がアートルムに視線をやれば、アートルムは黒い塵のようになって消滅していくところだった。

 そう言えば、先ほどエゼキエルが倒したアートルムも同じく塵のようになって消えていっていた。アートルムは死体が残らない生物なのだろうか? いや、そもそも、そんな在り方、生物と呼べるかも怪しい。千晃はぞっとした。


「――はっ、そうだ。チアキ、傷を見せてみろ」

「あっ」


 そうだ、先ほどのルキフェルの雷のおかげですっかり怪我のことを忘れていた。千晃は慌てて腕を見たが、しかし、そこにはすっかり綺麗な肌しか残っていなかった。


「あれ?」

「……治っている?」

「ふん、悪魔の体液が普通の人間と同じ訳ないだろう」


 ルキフェルは高慢に微笑んだ。どうやら、彼の唾液の力で傷が治癒したらしい。


「え、えー……なんか複雑な気持ち」


 唾液って。そんな感情で半目になる千晃。隣のエゼキエルは悪魔の力に顔をしかめつつも、興味深そうに千晃の傷跡を観察していた。


「さて、アートルムは退治できた訳だが」


 ルキフェルの言葉に千晃ははっとした。慌てて周囲を見渡すも、既にアートルムは塵となって消えた後であるし、ルキフェルが落とした雷によってえぐれた地面が残されているばかりである。


「は、犯人の痕跡あるかな!?」

「ここには隠れる場所も多い。仮に近くにいたとしても、私たちがアートルムと戦っている間に逃げているだろう」

「そんなあ……」


 千晃は肩を落とした。元はと言えば犯人捜しのためにここにやって来たのだ。手がかりゼロでは頑張った甲斐がないというものである。


「でも、怪我人はいない、よね? 前回もだけど、たまたまエゼキエルが近くにいるときで良かったよ」

「強いて言うならお前が怪我人だが」

「そ、それはノーカンで……」


 生徒たちを見回す千晃の言葉に、エゼキエルが冷静なツッコミを入れる。


「果たして本当に偶然かな」

「え?」


 ルキフェルの呟きに、千晃は首を傾げた。

そう言えば、ここに来る前、ルキフェルは犯人の答えはもう出ているみたいなことを言っていたのだったか。


「そうだ、ルキフェル。犯人の答えは出ているみたいなこと言ってたよね? 教えてよ」


 千晃の言葉に、エゼキエルもルキフェルに注目する。


「言っただろう? 契約者。犯人は何を召喚の代償にしたかと」

「え? 血液じゃないかってやつ?」

「そうだ。となれば、答えはもう出ているようなものだ」


 ルキフェルの持って回った話しぶりに、千晃は眉を寄せた。


「犯人は、グリモワールを見ることができた、つまりあの人間の部屋に入ったことのある人物であり、なおかつ先日のあの現場に居合わせた人物である」

「ええ? それでもって、召喚の代償に血液を使っただろうことがヒントになるってこと?」

「そうだ」


 それっきりルキフェルは黙ってしまう。千晃自身で答えを見つけろということらしい。

 千晃は唸った。口を引き結び、思考の海へ沈んでいく。

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