12 事件、再び
千晃とルキフェルは学園を駆けていた。
「さっきの人、北の渡り廊下って言ってたよね!?」
「ああ」
息を切らす千晃と対照的に、ルキフェルは涼しい顔で答える。
先ほど事件発生を知らせに来た生徒に確認したところ、事件は学舎の一階、北の渡り廊下で発生したと聞かされた。千晃たちは急ぎそこへ向かっているのだが、寮から北の渡り廊下まではそれなりに距離があり、なかなかつかないことをもどかしく思っていた。
「なあ。契約者」
「何!?」
ルキフェルの問いかけに千晃は半ギレで返した。走りながら喋るのはしんどいのだ。
「この事件の犯人は、何を代償にアートルムを召喚したと思う?」
「それ今しないと、ぜえ、いけない話!?」
「ああ」
「も~~!」
千晃は憤りながらも、渋々ルキフェルの言ったことを考え始めた。
「カミーユ先輩は、体液とか髪がコスパ良いって言ってたよね?」
「そうだな。お前なら何を使う?」
自分なら何を使うか。千晃は考え込んだ。
手っ取り早いのは髪だろうが、でも、それには髪を伸ばしていなければいけないし、それにいきなり髪を切ったら目立つ。それも、事件は四回あったのだから、同一犯ならば四回に分けて切らなければいけないのだ。不自然すぎる。除外。
次に、体液。最もダメージが少ないのは唾液だろうか。でも、あの数のアートルムを召喚するには相当な量が必要だと言っていた。唾液を大量に分泌するのも難しそうなので、除外。
となれば、他に使えるものは……。
「血、とか?」
「ほう」
「血なら、頑張って出そうとしなくても肌を切れば出てくるし。怪我をすることにはなるけど、服で隠れる部分にしておけば目立たない。うん、血じゃないかな」
千晃は言いながら頷いた。最も手軽で目立ちにくい。代償として失うものと考えても、ダメージは少ないほうだ。
「そうか。契約者は、血液だと」
「うん」
「そうかそうか。それならばもう、答えは出ているようなものだな」
「え? 答え?」
「そう。犯人の答えだ」
千晃は目を見張った。
犯人の答えがもう出ている? 犯人の条件といえば、グリモワールを見る機会があった――つまりカミーユの部屋に入ったことがあって、かつ当日現場にいた者だ。それでもって、ルキフェルの言い様からすれば、犯人は召喚の代償に血液を使ったということになるが……。
それだけでわかるものだろうか、と千晃が考えているうちに、喧噪が近づいてきた。獣の唸り、騒ぐ人々の声。
最後の角を曲がると視界が開け、状況が見えるようになった。
「『氷よ、我が敵を貫け』!」
「グルルル、グガアアアア!」
そこには団子のように一塊になって固まる生徒たちと、その先頭に立つエゼキエル、そして彼らを攻撃するアートルムの姿があった。
アートルムの数は今朝の事件で聞いていたよりも明らかに多い。まさにアートルムの群れと言うにふさわしい状態だった。
「エゼキエル!」
「チアキ」
エゼキエルはちらとこちらに視線を向けたが、アートルムの相手をするので精一杯なのか、すぐに視線を戻した。
生徒たちの中には教材を抱えたまま応戦している者もおり、どうやら次の授業の教室移動の最中にアートルムと出くわしたようである。
千晃はあわあわと足踏みをした。
「ど、どうしよ、どうしよう」
そう、何の考えもなくこの場に来てしまったが、千晃とて実戦経験はない魔法初心者なのである。加えて、千晃の魔法の威力は大してないのだ。目の前でアートルム相手にダメージを与えているエゼキエルとは雲泥の差なのである。
千晃はこの場でできることを考えた。寮にまで知らせが来たのだから、教師はもう呼びに行っている者がいるだろうし、かと言って攻撃魔法で加勢するのは威力の出ない千晃には難しい。そうとなれば、他に方法は……。
「あ!」
そうだ、付与魔法なら! 千晃は声を上げると、深呼吸をして呪文を唱えた。
「『光よ、我が敵にしばしの安らぎを』」
彼女がそう唱えると、一部のアートルムの攻撃が明確に鈍くなった。
ダメ元で放った魔法だったが、無事、敵の視界を奪うことができたようだ。以前千晃が照明を消すために用いた魔法の応用である。とはいえそう長くはもたないだろう。千晃はその隙に、エゼキエルたちのもとへと走り寄った。
「エゼキエル! 私も加勢するよ!」
「なっ、無理をする必要はない! お前は下がっていろ!」
「駄目だよ、もう来ちゃったからね! 私はアートルムに付与魔法を掛けるから、攻撃魔法はお願いします!」
「く……」
千晃は顔を歪めるエゼキエルを見た。
「ひとりで全部何とかしようとしなくていいよ。私も力を貸すから」
「……私は主に選ばれたのだ、その義務がある」
何かと思えばエゼキエルがそんなことを言うので、千晃は目を丸くした。エゼキエルはその髪の銀色を授かったことを言っているのだ。千晃は自分の中にむくむくと湧いてくる感情に従い、言葉を吐き出した。
「そんなものないよ! 色なんて勝手にそうなったんだから知るもんか! わざわざ一人を矢面に立たせる意味ある!? せっかく人がいるんだから活用しなきゃ損ってものでしょ!」
「――!」
エゼキエルは目を見開いた。
その後、その厳格なしかめっ面を崩して微笑む。
「はは……不敬だな。教会の連中に聞かれたら顔をしかめられそうだ」
「今目の前にいる“教会所属の人”は笑ってるけどね?」
千晃もいたずらっぽく笑った。そのとき、煩わしそうに首を振るったアートルムが唸り声を上げる。二人は前に向き直り、魔法の準備をした。
「それでは、頼むぞ、チアキ」
「付与魔法なら任せて!」
そうしてしばらく、千晃は視界を遮る魔法をアートルムに掛け続けた。そしてエゼキエルがその隙に攻撃を加える、を繰り返す。
しかし、最初こそ順調に行っていたこの作戦だが、徐々にアートルムたちも慣れてきたのか、嗅覚を使って千晃たちの居場所を探し出すようになってきた。
「これでは……まずいな」
「他に何か使えそうな魔法、魔法……」
千晃は慌てた。アートルムの数こそ少し減らせたが、このままではまた劣勢に戻ってしまう。そうして考えていたとき、ふと、千晃はひらめいた。
そうだ。付与魔法とは、元は物や自分の魔法相手に状態を付与する魔法。だけれども、先ほどはアートルムにも掛けられたのだ。であるならば、人、もしくは自分以外の魔法にも掛けられるのでは?
それならば、エゼキエルに付与魔法を使うこともできるのではないだろうか。問題はそんな呪文は習っていないことだが……でもまあ、やってみる価値はある! 千晃は試してみることにした。
「ええと、『氷よ』……違うな……『魔法よ』、うーん」
「何をするつもりだ?」
「『魔力よ』……これかも!」
問いかけるエゼキエルだったが、集中する千晃には届かない。千晃はしっくり来る語を見つけると、ぱっと顔を上げた。
「エゼキエル! ちょっと手を借りるね」
「は?」
千晃は言うなり、エゼキエルの片手を取ると、その手に自分の手を重ねた。
「『魔力よ、我が友エゼキエルの魔法を強化せよ』」
その瞬間、淡い虹色の光が二人の手の周りで輝いた。
「うわっ!」
「え!? 何これ!?」
驚く千晃だったが、光の放出は止まらない。それはくるくると回ると、やがて一つに収束し、エゼキエルの体の中へ吸い込まれていった。
「……」
「ご、ごめん、エゼキエル、大丈夫!?」
まじまじと自らの手を眺めるエゼキエルに、千晃は慌てて問いかける。
「何だか、不思議な感じだ。力が満ちていくように感じられる」
「そ……そお? それなら、いいんだけど……」
千晃は冷や汗をかきながらそう言った。どうやらうまく行った、と見ていいだろう。だがもし失敗していたら……千晃は自分の勢い任せの行動を反省した。
「グルルルルオーン!!」
アートルムが吠える。二人は慌てて視線を前に戻した。
「と、とにかく、魔法を使ってみてよ! たぶん、多少は強くなってる……はず」
「あ、ああ。……『氷よ』――」
エゼキエルが呪文を唱える。冷気が足元から立ちのぼってきた。
「――『我が敵を打ち砕け』!」




