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2. 虐げられる日々

 


「熱かった……」


 飛んで来たスープのせいで赤くなった所を冷やしていたら、クスクスと後ろから笑い声が聞こえて来る。


「ほんっと、惨めねぇ……」

「何でこんな子がこの由緒あるサスビリティ公爵家なんかで働けているのかしらね~」

「でも、ドロレスお嬢様からの理不尽な八つ当たりは殆どこの子に向かっているから助かっているけどね~」

「そうなのよねー」


(…………)


 そうやって私を嘲笑って来るのは、ドロレスお嬢様付きの侍女たち。

 当然、彼女達もドリーがドロレスとなってから雇われているので、私のことは知らない。

 この家の主人と夫人からも、そしてお嬢様からも虐げられている私は彼女たちにとって憂さ晴らしの格好の的だった。


「でも、ボロボロだから分かりにくいけど、この子ってちょっと顔がお嬢様に似てない?」

「あ、私も思っていたわ」

「実は旦那様の隠し子とか?」

「こら! こんな所でそんな話したらダメよ!」


 さすがにこの話題はまずいと思ったのか、彼女達は慌てて口を噤む。


「ところでこの子何してるのかしら?」

「洗い物……ではないわよね?」

「あ! ふふ、そうだわ!」


 そう言って一人の侍女が私の使っていた桶を奪って手にすると、そこに水を汲み……


「そんなに水が欲しいならこうすればいいんじゃないかしら~? 気持ちいいでしょう?」

「っ!」


 そう言ってザバーッと私の頭から水をかける。


「私って優しい~、ほら、ありがとうは?」

「……」

「嫌だわ。あなた、お礼も言えないの?」

「……」

「本当に生意気~!」


 私が何も答えないことが余計に苛立たせたようだけど、お礼なんて口にしたらもっと水が降って来ることは分かっている。


(もう、ずっとこんな日々の繰り返し)


 理不尽に虐げられる生活が始まって一年程たった頃、私はここから逃げようとした事がある。

 お父様とお母様の物だったこの家にある物は既に叔父様達が我が物のように使っている。

 当時、私が持っていた物は、ほんの少しのお小遣いと隠し持っていた貴金属数点のみ。

 心許ないけれど、この家にいるよりはマシ!

 そう思って後先考えずに飛び出した。


(結果、すぐ見つかって連れ戻されたけど)


 それもそのはず。

 自分の娘を公爵家の生き残りの娘だと偽っている叔父夫婦……あの人たちが本物の私を逃がすはずなんてなかった。

 ドロレスだった頃の面影を失ってこんなボロボロの私が誰かに真実を訴えた所で信じる人はいなかったかもしれない。

 けれど、叔父夫婦は万が一でも疑惑の目を向けられるのは避けたかった、という事らしい。


 生かさず殺さず。

 私はそんな日々がこれからも続いていく────


 そう思っていた。



◇◆◇◆◇◆◇



「……クシュン! 寒っ……やっぱり水のせいかしら?」


 あの人たちにかけられた水は冷たくて、私の身体は一気に冷やされた。

 更に言うならば替えの服なんて持っていない。

 風邪を引くのも当然だった。


(でも、お嬢様のところに行かないと……)


 行ったら行ったで“私に風邪を移そうとしたのね!?”と怒り狂う姿は想像出来る。

 想像出来るけど、行かなくても怒られるので、どうせ怒られるなら風邪を移してしまえ! そんな気持ちでお嬢様の元へと向かった。




「いったい、殿下はいつになったら私と会ってくれるのかしら……」

「……」

「ちょっと聞いてるの?」

「……聞いています」

「なら、どうしてよ! 何で殿下から返事が無いのよ!!」


 ドリー……いや、ドロレスお嬢様は今度のパーティーで社交界デビューとなる。

 婚約者がいる令嬢のエスコートは当然、その婚約者が務めるものなのだけど……


(やっぱりアレクサンドル殿下は無視するのね?)


 さすがにこれは……ない。酷いわ。

 少しだけお嬢様には同情する。


「あんた、殿下に何したのよ!」


 どんなに手紙を書いてもアレクサンドル殿下が全く返事を寄越さないのも、婚約者が社交界デビューを迎えるのに連絡が一切無いのも、全て私が何かしたからだとお嬢様は決めつけた。


「あんたのことだから、殿下に嫌われるような事をしたんでしょう!? だって愚図だもの。あぁ、そのせいよ! そのせいに違いないわ!!」


(……私はアレクサンドル殿下の顔も知らないのに?)


 なんて無茶苦茶なことを言うのだろう。

 私は内心で盛大に呆れる。


「どうしてくれるのよ! これじゃ、私は笑い者になっちゃうじゃない!! 何の為に“ドロレス”になったと思っているのよ! 幸せになる為なのに!!」

「……っ! ───だったら返し」

「うるさいわよ愚図! 私はあんたよりも幸せになってみせるんだから!!」


 思わず「だったら返して!」と言いそうになった。

 言ったところで返してくれるはずがないのに。


(お嬢様がこの生活を手放すはずがない)


 なんでも贅沢し放題のこの家。

 王家との約束は絶対らしいので、どんなに殿下が冷たくても王子妃となる未来は約束されている。

 伯爵令嬢の時には夢見ることすら出来なかったこの生活をお嬢様が手放すはずなんてなかった。


「……とりあえず、うんっと豪華なドレスを作らせて着飾って誰にも私のことをバカになんてさせないようにしなくちゃ!」


(なんだか……目が回る)


 なにやら気合いを入れて叫んでいるお嬢様。

 だけど私は熱が上がってしまったのかクラクラする頭で見つめることしか出来なかった。


 


 結局、その日の夜、私は高熱を出して寝込んでしまう。

 誰も助けてくれる人のいない中での病気は酷くて辛くて、そして苦しい。


(お父様、お母様…………それに……)

 

 次々と頭の中に浮かんでは消えていく顔。

 もう会えない懐かしい人たちを夢に見ながら私は一晩中うなされ続けた。



────



「え? 殿下から連絡が来たの!? 本当に?」


 それは“ドロレス”の社交界デビューのパーティーの日の少し前のことだった。

 朝食の席で父親からその一報を聞いたお嬢様は今までにないくらい興奮していた。


「あぁ、ようやくだぞ。それに喜べ、エスコートもしてくれるそうだ!」

「まあ!」

「それに、何とそのパーティーで正式に“ドロレス・サスビリティ公爵令嬢”を婚約者としても披露してくれるそうだ! やったな!」

「良かったじゃないの! ようやく……ようやくなのね!」

「お父様、お母様……!」


 長年無視され続けて来たアレクサンドル殿下から届いた返事に三人はとにかく興奮してはしゃいでいた。


(今になって……?)


 私も驚きを隠せない。

 本当に“ドロレス・サスビリティ公爵令嬢”はアレクサンドル殿下の婚約者だったらしい。


 ──お嬢様が社交界デビューして、正式に殿下の婚約者としてお披露目されれば、完全に“ドロレス・サスビリティ公爵令嬢”はドリーのもの。


(これで本当に“私”は居なくなるのね)


 チクリ……

 とっくに諦めたはずなのに胸が少し痛んだ。


(私ったら、思っていたより諦めが悪かったのね、バカみたい)


 初めて顔を合わせる二人はどんな顔をして向き合い、どんな会話をするのかしら?

 そもそも、アレクサンドル殿下はどんな顔をしているのかしら?

 

(でも、そのうち顔だけは見られるわよね、きっと)


 ────この時はそう思っていた。


 まさか、本当の意味で()()()()()()()()居なくなるなんて、この時は全く思っていなかったから。


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