第1話
「花太 おはよう」
母の声より前からぼんやり意識はあったのは自覚しているが、今日初めて覚醒したことに気が付いたのはその時だった。
この声を聞くとすごく嫌な気分になる。
ああ、今日もまた寝坊したのだな と。
別に予定があったわけではないが母が今日仕事だということは知っていて、いつも仕事に行く前に一声掛けてくれる。
9時に家を出ることも知っている。
俺が起きたかったのは5時。
つまり確定で寝坊。
「この時間に起きたい」という昨日の自分の決意(?)を踏み躙ったのだから気分が悪いわけだ。
ココでいつも一番やる気を削がれる。
やりたかったことがいっぱいあったのに と。
「目覚ましかけたのに…」
やる気を削がれた俺はとりあえずスマホを開いた。
…別に用事とかもないんだけど「なんかラインきてないかなー」とか「好きなインスタグラマーのストーリー更新されてないかなー」程度に思ったくらいで。
結局ダラダラ見続けて2時間。
起床時から催してた尿意に限界がきたので一階へ降りる。
…嘘だろ 誰かトイレに入ってる。一階に降りるのが面倒で我慢に我慢を重ねた俺の膀胱はもう我慢の限界だ。
俺はトイレの主に声を掛けた。
「うんこ?」
瞬間即座に
「うんこ」
と返ってきた。
期待してない回答だった。
俺の二つ下の妹 葉日の声だ。
「もう出る?」
「今踏ん張ってる」
なんて下品な会話なんだ と思う。それはさておき…
ただのウンコならいいがコイツの場合はいつも通りトイレにスマホを持ち込んでいるに違いない。十中八九事実であろうが『スマホ持ってくなや』と声を掛けてしまうと逆ギレされて出てこない可能性が高いのであくまでやさ〜しく。相手の良心を突くような感じで言おう
「……俺も結構漏れそうだからほんと、早めに出てきてほしいたのむ…!」
「おけー」
かっっっっる
限界が近いだけにキレそう。まあいい歩き回って我慢だ。
それからアイツがトイレから出てきたのは5分後だ。何してたんだよマジで。
「お待たせー」
「ヤバイ漏れる…っ」
俺はそう言って臭いトイレへ駆け込んだ。
出すモン出してスッキリした後は相手のことを見る余裕も出てくるようだ。
葉日はスマホを弄りながらダラダラとソファーに寝転がっている。いつものことだが、アイツやることねえの?と思った。
昔は朝早くから部活に行って常に友だちの中心にいて聞けば『告白された人数2桁』だったそんな奴が今じゃ見る影もない。
黒くてツヤのあった髪はボサボサ、俺の好みではないがかつて親から『ケツは少しデカイがモデル体型』と囃し立てられていたスタイルと自慢の小顔はほとんど贅肉に埋もれ『世界中を飛び回る』といった夢も今じゃ現実とかけ離れ過ぎている。
残ったのは今流行りの涙袋と人前での明るさと昔から仲の良い友だちくらいってトコだ。
……俺も他人のこと言えないけどな。
そんなことを思いながら玄関の扉を閉めるとトイレから出てきた俺に気付いた葉日が
「今日バイト何時から?」
と声を掛けてきた。
「15時から オマエは?」
「17時から〜 行きたくねー」
平日。
学生の休み期間でもなんでもないほんとうにフツーの平日。
俺ら2人とも既に成人だ。
それなのにまともな仕事についていない。
バイトがまともじゃないワケではない。社会を回す素晴らしい仕事のひとつだと思う。俺らがまともじゃないだけ。正社員にならなきゃと思っているのに実行していない俺らの問題。
一度 正社員の仕事に就いたことがある。
最初はやっと社会人になれたんだと思いワクワクもした。先輩の教えてもらったことにメモを取るし言うことにも素直に実行した。初給料が出た日は嬉しくて家族と祖父母にささやかだけどプレゼントを買ったりもした。
___ただ、良いことばかりに目が行くわけでもなく。
入社してから半年ほどたった時のこと。
まあ新入社員が何人もいるから混乱しているのはわかる。
仕事でわからないことがあり上司に聞きに行ったのだが『それ前も教えたよね?』とキレ気味に言われたのだ。その現場に入るのは初めてのことだったので教えてもらったハズもなく。
そこからだった。
接客業なので客が入り忙しい日に先輩に聞かなきゃいけないことがあり忙しそうだから聞くのに勇気がいるが質問。
△△さんに『あー〇〇さんに聞いて』と言われ〇〇さんに聞く。
〇〇さんは『それ△△さんに確認して』とサークルエンドレス状態に。
その後もう一度△△さんを探しに行くが休憩に入ってしまったようで、もう〇〇さんに無理やり判断を仰ぐしかなくなった。
シフトにも不満があった。
大して困っていなかったので今まで言ってこなかったが酷い時は仕事前日の夕方にシフトを出してくることもあった。
誰か先輩のうち一人がシフトについて上に文句を言ったそうだが何も変わらなかった。
俺はもう、仕事中に怒られたり先輩方に質問できなくてお客さんにクレーム入れられるのが怖くて会社の前まで行ってもあと一歩のところで会社に入れなくて迷惑極まりないが、直前に休んだこともあった。
それの繰り返しが嫌になって一年足らずで会社を辞めた。
辞める時に『精神状態があまり良くないので辞めます』的なことをその会社でも人事に関わる上司に辞職理由を話した。
すると
「いやいや、貴方の先輩でも精神病院へ通ってちゃんと病気の診断もらって薬飲みながら出勤してる人いるから」
何言ってんだみたいな顔していたがこっちが何言ってんだ?ってなった瞬間だった。
そういう方針の会社だったのか?わりと大企業のくせに。
なんの責任も取ってくれないくせに精神ぶっ壊してまで働けと?倒れてから初めて事の重大さに気付くのかよ。
親に必死に謝って、気付いたら会社を辞めさせてもらってた。
もう二度とあんなトコ行きたくねえ。
そして現在。バイトしながら親の扶養内で食い繋いでるという俺基準でいう情けない姿がある。
思い出したくもねえ過去だ。