第31話 未来への一歩
「敵対組織が消えた?」
ある日、俺は朝食の準備をしながらマルダシリから報告を受けていた。
「ええ。連中の根城は定期的に巡回して様子を見ていやした。フィッツヴァルツの運営が領主の手に渡ってからは大人しくしていやしたが、先日忽然と消えやした。建物内はもぬけの殻でやす。ずっと張り付いて監視していたわけではないんで、足取りは掴めていやせん。」
「うーむ、これから交渉して取り込もうと思っていたのだが。」
「我々が把握していない別の根城に移動しただけという可能性もありやすが、何にせよ不穏な動きであることには変わりやせん。」
どうやら敵対組織だったフィッツヴァルツの傘下の小さい組織がいくつか姿を消したらしい。
きな臭い動きだ。嵐の予感がする。
そして嵐はこの場でも吹き荒れた。
「よし、旅行に行くぞ。準備しろ。」
突然、エルメラが朝食の席で予定を告げた。
食堂がざわつく。食堂は基本昼のみ組員に提供しているのだが、朝食時にも飯を集りに来る連中がいるのだ。
「急にどうした?どこに行くつもりなんだ?」
「シュトロハイム男爵領のワインの生産現場の視察に行きたい。男爵の寄親の辺境伯に紹介状も書かせた。レーゼに頼んでおいたのが昨日届いたのだ。」
「ああ、戦勝会の時に傘下の組の奴が言っていた件か。」
「そうだ。地方の産業の現場を見るのは、キャロとフーリアにも良い社会勉強になるはずだ。」
「社会科見学ねえ。自分がワイン飲みたいだけだろうに。」
「それは違うぞ。うちのファミリーの醸造所が欲しいのだ。新事業の開拓は立派な仕事だ。」
「傘下の組が仕入れてるのを買ってくればいいじゃないか。」
「駄目だ。オリジナルのワインを作りたい。既存の醸造所を買収するのは、傘下の組と揉めることになるだろう?だから男爵に出資して新たに醸造所を新設させて、新商品の開発をするのだ。」
「うーん、オリジナルのワインか。従来の商品とは作り方を変えるってことだよな?プロに口出しはしない方が良い商品ができると思うぞ?」
「それについても考えがある。アキラはワイン造りの本も持っているだろう?それをミトラ大陸語に翻訳しておけ。男爵への手土産にする。」
翻訳とはまた面倒な仕事が発生した。深夜は主に読書をして過ごしているのだが、しばらく翻訳作業の時間になりそうだ。
「待ってくだせえ。シュトロハイム男爵領は今は危ないかもしれやせん。」
「ん?何かあったのか?」
「規模の大きな盗賊が近づいている可能性がありやす。」
「盗賊?ひょっとして西の抗争に敗れた元マフィアの連中か?」
「ええ、それでやす。よくご存知で。」
「この街に来る途中で襲われたからな。」
「よく生きていやしたね。流石ボスでやす。その盗賊、先日までグレイネス伯爵領の辺境の村を占拠していやして。伯爵が軍を動員して討伐に向かいやしたが、これを退けて逃走。その際に伯爵軍は大きな損失を被ったようでやす。」
「取り逃がしたのか。その伯爵終わったな。国からの評価はガタ落ちだ。」
「そういうものなのか?」
「そこに賊がいると分かっていて逃がすなど完全に失態だな。ましてや今回のケースは他所の領地にも被害が及ぶ可能性があるのだ。先日のこの街の領主の悪手以上の失態だ。」
「なるほど。貴族の責務を果たせなかったってことか。で、盗賊の次の行き先がワイン男爵の領地かもしれないと。」
「我々は醸造所を作る以上、農家の者たちの生活を守る義務がある。視察に行くついでに討伐するぞ。我々を襲ったいつかの借りも返してやる。マルダシリ、すぐに偵察を放って足取りを追え。戦闘員も集めろ。」
「わ、分かりやした。」
マルダシリは何か言いたそうにしたが、エルメラの気迫に圧されて頷くしかなかった。
エルメラがボスの顔になった。普段は態度がでかいだけの生活力のない引きこもりなのだが、本気になると雰囲気が変わるのだ。本気のエルメラを初めて見たフーちゃんがちょっと震えている。
「いや、ちょっと待て。この街も今はきな臭い状況だぞ?消えた敵対組織の連中が何かするかもしれん。」
「街の治安維持は本来は領主の役目だ。レーゼを通して領主に情報を提供しろ。警戒するように伝えておけ。もちろん、男爵領に危機が迫っていることもだぞ。ここの領主は男爵の寄親なのだから、無関係ではないからな。」
こうして、旅行と視察と組の新事業開拓と賊の討伐という、目的盛りだくさんの作戦準備が進められることになった。まずは先遣隊として偵察部隊が先に出発していった。全員に双眼鏡を持たせてあるので、賊の発見に役に立つだろう。まだ賊が男爵領に来ると決まっているわけではないので、戦闘員は準備だけさせて待機だ。既にエルメラ製の高品質な魔導銃が全員に配備されていて、士気はとても高く実に心強い。
俺たちは普通に旅行気分で現地に向かうことになった。目立たないように少し離れて護衛もついて来てくれる。
マルダシリも俺たち一家4人に同行してもらう。男爵と交渉する際の書記官役だ。
「じゃあ、留守は任せたぞ。マルセル。何かあったら傘下の組と協力して上手くやってくれ。」
「おう。任された。土産のワインを期待しておくぜ。」
こうして、ようやく住み慣れてきたマイホームをしばらく離れることになった。落ち着いた生活ができていただけに、俺としてはちょっと残念だ。
「また徒歩旅なのか。」
「うむ。キャロを鍛える目的もあるからな。走って行くぞ。」
数日前からエルメラによるキャロちゃんの英才教育が始まっている。
フーちゃんは体を鍛えていないので、俺が抱っこして走っていくことになった。
彼女は活発なキャロちゃんとは対象的に、おとなしいお嬢様といった雰囲気の子だ。最初に会った時は地味な服を着ていたが、今は可愛い服を着てお嬢様感が更に増している。キャロちゃんが着なくて死蔵していた服が無駄にならなくて良かった。
キャロちゃんが忙しくなったことで、最近はフーちゃんが俺の仕事を手伝ってくれている。主に家事全般だ。家の掃除に洗濯。食事の支度。食堂は組員がたくさん来るので支度が大変なのだ。とても助かっている。本人も料理にとても興味を持っているようで、楽しそうに手伝ってくれている。既に食堂の看板娘だ。
「キャロちゃんはすごいですね。私も体を鍛えた方がいいのかな。」
「うーん、別に真似はしなくてもいいと思うよ。キャロちゃんはエルメラに憧れてるみたいだからね。あれのどこに憧れてるのか分からんけど。フーちゃんはフーちゃんのやりたいことをやればいいよ。」
「大きくなったらキャロちゃんと一緒にフレンチトースト屋さんになりたいです。」
「うんうん。じゃあ、美味しいフレンチトーストを作る練習をしようか。」
どうやらキャロちゃんが作ってくれたフレンチトーストに感銘を受けたらしい。フレンチトーストには子供たちの夢が詰まっているようだ。
俺に抱っこされての移動中は、双眼鏡で景色を楽しんでいるようだった。街の外へ出るのは初めてらしく、昨日からそわそわしていた。旅の必需品なのだと、キャロちゃんが双眼鏡とポラロイドカメラの使い方を熱弁していたので、真面目な彼女は既に使い方を覚えている。
野営場に着くとバーベキューの準備だ。
隣で野営する護衛の連中の分まで用意しなければならないので、フーちゃんの手伝いに今日も助けられている。
晩飯が終わっても俺の仕事は終わらない。エルメラの晩酌はまだまだ続くからだ。飲んだ酒の感想や文句に付き合わないといけないので、この仕事はとても難しい。
「フーちゃんはもう休んでいてもいいよ。エルメラの面倒は俺が見ておくから。」
「お酒の淹れ方も覚えたいです。」
「うーん。酒は俺も勉強中だからなあ。」
「じゃあ、私も代行さんと一緒に勉強させてください。」
真面目なフーちゃんはエルメラにお酌までするようになった。エルメラは気を良くして8歳の子供にワインの魅力を語っている。それを真剣な顔で聞きながらメモまでとりだした。この子はソムリエでも目指しているのだろうか。成人までは絶対に飲まないように注意して見ておかなければ。
うーん、フーちゃんは常識人だと思っていたのだが、エルメラが悪い影響を与えている気がする。しかし、子供が興味を持って取り組んでいることをやめさせるわけにもいかないし、子供を育てるのは難しいな。
皆が就寝すると俺は翻訳執筆作業に取り掛かる。エルメラから指示されたワインの造り方の本の翻訳だ。
しかし、ショッピングサイトにはワインの造り方が書かれた専門書は、そんなに販売されていなかった。検索に引っかかるほとんどが、ワインの種類やテイスティングなどのワインの楽しみ方が書かれた一般向けの本ばかり。それでもジャンルを『技術書』に絞って探して、何とか数冊ほど役に立ちそうな本を見つけた。
明治時代に始まった日本のワイン造りの軌跡をたどった本。何だ、日本ワインの歴史書かと思ったら、当時の醸造設備の図面や失敗談も交えた試行錯誤の記録など、結構技術的な内容の本だった。ワイン造り初期の頃の記録というだけあって、伝統的な造り方が中心に書かれてある。最先端の設備などを使用する造り方の本など役に立たないだろうし、とても良い本が見つけられたと思う。
他にも、各地の名産地の伝統的な造り方が書かれた本を中心に、醸造用ブドウの栽培方法が書かれた本なども翻訳することにした。
俺が読んだ感想は、こんな造り方がされてるのか、なかなか面白いなあ、といったくらいのものだが、この世界の現場の技術者の人達にはきっと大きな財産になるだろう。
翻訳された本はエルメラにも読んでもらった。彼女はスパークリングワインの造り方の本を特に熱心に読んでいた。最近、シャンパンを好んでよく飲んでいるから、造り方が気になったのかもしれない。
重要そうな部分のみを抜粋して翻訳を進めることで、シュトロハイム男爵が住んでいる街に到着する前には何とか準備することができた。頑張って執筆したから是非とも役立ててほしいものだ。
男爵の邸宅はとても立派なものだった。聞いた話だと昔は貧乏貴族で、ワイン生産に私財を注ぎ込んで極貧生活を送っていたらしい。如何にワインが富をもたらしたかがよく分かる邸宅だ。
いよいよ、ミュゼルファミリーの新事業、新しいワイン開発の第一歩を踏み出す時が来た。




