その温もりは刹那のごとく
出逢った時は、彼があんなに大きな存在になるとは思ってもみなかった。
3019年11月23日。
もう10年以上も前のこと。
ボロボロになりながらもなんとかケルロスの追手を振り切り、イーストエンドから出てきた時のことだ。
「はあ……はあ……」
傷口がズキズキと何度も訴えかけてくる。
動かすとさらに痛みが増すから歩きたくないが、それでも逃げるために一歩一歩少しずつ足を前に出す。
ふと空を見ると、全てを流してしまいそうなほどに輝く天の川があった。
私はあれとは真逆。
自分がしてきたおこないを間違いと思っても何をすべきかわからず立ち止まるだけの羽を毟られた天使。
輝くこともない、進むこともない。
「……」
頭から垂れた血が私の目を通って涙のように頬をつたる。
「もう……いやだ……」
重すぎる罪が私にのしかかる。
いっそ死んでしまいたい。
こんな苦しみから早く解放されたい。
「……楽に、なりたい……」
高くそびえる崖に立つ。
羽のある天使が飛び降り自殺なんて、これ以上の皮肉はないだろう。
一歩ずつ前を歩く。
あとほんの数歩で私は底辺へと落ちる。
これでいい。
私にはこういう死に方がお似合いなんだ。
最後の一歩を勇気という逃げを持って踏み出す。
「おや、これはこれは。飛び降り自殺を止めようと近づいてみたら、随分と可愛らしくボロボロの天使がいたものです」
「……なによ、アンタ……」
邪魔をするように現れたのは白装束の眼鏡をかけた人間の男だった。
「私の名はトゥウ。お嬢さん、悪いことは言わない。すぐにこちらに来なさい。そこから落ちても待ってるのは死だけですよ」
「いいのよそれで。死にたいの私は。ほっといてよ」
せっかく踏み出せそうだった1歩を邪魔された。
トゥウという男はまだ後ろにいる。
落ちるのには相当な心構えが必要なのだから1人にしてほしい。
「死の直前の痛みというものはとても辛いものですよ。それでも行こうとするのですか?」
無視をして深呼吸をする。
そしてまた1歩を踏み出そうとしたときだった。
「……はなしなさいよ……」
男は私の腕をガシッと掴み、前に進ませようとしなかった。
「いいえ、離しません。なぜならあなたは生きなければならないのですから」
「……はなして……はなしてよ……」
「離しません」
「はなせ!」
振り向いて男の腹を殴る。
男は顔を歪ませるが、それでも私の手を握る力を弱めることはしなかった。
「はなせ! はなせ! はなせ! はなせっ!」
何度も殴る。
腹だけでなく顔も腕も。
なのにはなさない、はなしてくれない。
「人間ごときが! なんではなさないのよ! 私がどんな存在かも知らないで! 私みたいな罪を重ねたクズはさっさと死ぬべきなのよ!」
殴られながらも男は言ってきた。
「ガハッ!! あ、あなたがどんな存在なのか、どんな罪を犯したのか。そんなことは関係ありません。ですが――」
男は自分の胸に私を強引に引き寄せ……。
「未来ある者が、死ぬべきであるはずがありません!」
力強く抱きしめてきた。
……暖かい。
それに、優しい。
人間のくせに……。
人間なんて、怒りの対象でしかないのに、ないのに……。
「……」
頬に温かなものがつたる。
今度は本物の涙だった。
無意識に男の背中に手を回す。
「う……う……」
我慢していたものが吐き出される。
堪えていた声が溢れる。
これがトゥウとの出会いであり、私の実らない恋の始まりだった。
廊下を走るナイトとブライト。
空の虹が収まったのを確認する。
「あの光、一体なんだったんだろう。急に出てきてすぐなくなっちゃったけど……」
ふと彼女の背中をある恋する女王の手が優しく前に押すように触れる。
「どうした?」
ブライトは驚き立ち止まって振り向くが、そこには誰もいなかった。
「あれ? 今たしかに……」
それが幻なのかはわからない。
そして、あの恋する女王はこの小さな少女に僅かでも導を与えることができたのかもわからない。
「なにかあったのか?」
「うんうん、なんでもない。気にしないで」
ただ、その導が正しいものであるのか、そして見つけだせるのかどうかは、これからの彼女の歩み次第で大きく変わることだろう。
「やあ、久しぶりだね2人とも」
「カユウ! 無事だったんだね!」
前からカユウが手を振りながら近づいてきた。
「ボロボロだな」
ネーズと闘ったときにできた傷や破けた服を見ながらナイトは言った。
「……ネーズと戦ってきたのか?」
調べるようにナイトはカユウを見る。
「アハハ、もっと楽に終わるかと思ってたらこのザマさ。そっちは? ミーゼとラージニイの救出は成功したのかい? それにシュランとバトラはどこかな?」
「「……」」
ナイトとブライトはこれまで起こったことを時間がかからないようできるだけ短く伝えた。
「……そっか。それは辛いね……。2人はこれからどうする――」
苦悶の表情を浮かべながらも、カユウはすぐに次の行動に移すため話し合おうとする。
すると、空は再びアメリカ大陸から発射される色力によって虹色に光りだした。
「――つもりなんだい?」
3人は窓の外を見る。
「さっきも見たとき思ったんだけどさ。多分あれかなりやばいこと起こってるよね。空からありえないくらい膨大な色力が皮膚をザクザクと刺さるように感じられるし。どうする? 多分ミーゼ達の加勢に行っても間に合いそうもないよ」
カユウの言うとおり、今からミーゼを助けに最上階に向かったところで逃げる時間などない。
だが、仲間が死ぬとわかっていて自分達だけで逃げるという選択をすることも難しい。
「……なあ、2人とも……俺は――」
ナイトは躊躇いながらもその言葉を口にしようとする。
「おやおや、ここにもまだ迷ってる子供がいたみたいですね」
だが、3人の中心に現れた蒲公英色の髪を揺らすその存在によってその先の言葉が遮られた。
「エメ!」
ほんの少し前に話したばかりのブライトはエメを見た途端警戒心を露わにする。
だが、エメはお構いなしに3人に触れると、眩い光を発した。
「あれ?」
ブライトは目の前の光景を見てポカンとする。
木造の廊下だった光景は、一瞬にして土に囲まれた光景に変わったからだ。
「ここ、どこ?」
信じられない出来事に慌てた様子で前後左右を見る。
「あの膨大な色力の影響を受けない安全な場所まで移動させました」
エメの視線の先には空が虹色に光るイーストエンドの町があった。
「おーい、みんなー!」
横から馬車を引っ張るリェゼルとラージニイが近付いてきた。
「もしかして、ラージニイ達もエメに飛ばされたの?」
「うん。空の色が変わったから助けにいこうか迷ってたらエメに突然ここに移動させられて……」
ラージニイはここにいるはずだと思っていた人物がいないことに悪寒を感じる。
「ねえ、姉ちゃんは……?」
周りを見るが、ミーゼの姿形はない。
「いるはずがないでしょう? だってまだミーゼはあそこでケルロスと戦っているのてすから」
エメは城を指差す。
「な、なんで!?」
ラージニイはエメに迫ろうとするが、それを察したリェゼルはすぐに襟に噛みつき、暴れるラージニイを軽々と持ち上げる。
「やめなさい。得体の知れない相手にむやみに迫るのは危険なことよ」
「ふふふ。得体の知れないというのは心外ですが、そこの馬みたいな生き物の言うとおりですよ。まあ、子供を傷つけるほど私は悪でいるつもりはないのでご安心を。仮に殴られても真摯に対応してみせましょう」
ニコニコと言うが、この中でその言葉を信じているニンゲンはどれほどいるのだろうか。
エメもそのことをわかっていて、からかうように笑っているようだった。
「エメ、どうして私達だけをここに移動させたの?」
ミーゼを助けにいくチャンスを邪魔され、さらに彼女だけを置いていったことに怒りを隠すこともせず睨みつけるブライト。
ブライトの言葉にはシュランについても含まれている。
彼女の死を知らないので当然のことだ。
「そうですね。実はある方にあなた達をあの町から逃がすよう頼まれまして。それに……気になることもありましたからね……」
エメはブライトの態度を気にせずにそう言って視線を僅かにナイトとカユウとリェゼルに送る。
「だれ? そのある方って……」
いつもと違い、誰よりも積極的に詰問するブライト。
「ええ、その方とは――」
エメはその人物を言おうとすると。
「ラプラスの王、じゃないのか?」
ナイトが食い気味にそう言った。
「……」
エメは少し驚き、『何を言っているんだコイツは?』と言っているかのような顔をしたあと、何かを思いつきニヤッと笑う。
「ええ、そのとおりです。ナイトさんは察しが良いのですね」
お互い腹を探り合うように見つめる2人。
そんな2人を見て、さすがのブライトも落ち着きを取り戻し始めた。
「別に大したことじゃない。大半は勘だ。ノースエンドのときもラプラスの王と関係があるピグラという女がネーズ達の邪魔をしていたからな。ネーズ達を従わせていたケルロスの命を狙うなら、ラプラスの王なんじゃないかと考えただけだ」
『驚くことじゃない当然のことだ』、と言っているかのように鼻で笑う演技をするナイト。
自分を驕ることに慣れていないのでぎこちない仕草になってしまう。
「別に理由を訊きたいわけでもいなかったのですが。勘だけでそこまでわかるものなのですね……」
エメにも当然そのぎこちなさは伝わり、嘲笑するかのような目をする。
「さて、そろそろ私は撤収しますね。これ以上この国にいても意味はないですし。目的も達成できましたからね! あ、そうそう、ブライトさん……」
背中を見せたあと、エメは言った。
「シュランさんについてですが。彼女は出涸らしとは思えない女王に相応しい堂々たる最後を迎えましたよ」
そう言ってエメはまた光を発しながら消え、ナイト達だけが残される。
「え?」
2人のやり取りを聞いて失意していたブライトは、その言葉に驚愕し言葉を失った。
躊躇なく連続でパンチを繰り出す。
ケルロスはそれを受け流し、発勁を私の腹に当てる。
同時に彼の顔には私の拳が当たる。
いつもの私なら痛みで倒れているけど、今は違う。
この戦いは絶対に負けたくない、負けられない。
たとえ死ぬことが決まっているとしても、この贖罪だけは手放したくない。
だから倒れない。
怯まずに攻撃すると、ケルロスは骨を大きく広げて盾にすることで拳の軌道をずらし、頭への直撃を回避した。
壁の隙間から入る虹色の光は更に強くなる。
もういつ2発目が着弾してもおかしくない状況。
ケルロスからは焦りが感じられた。
すぐにここ戦いを終わらせてここから立ち去りたいという渇望が見え見えだ。
その一瞬の隙を私は見逃さない。
脇腹目掛けて回し蹴りを喰らわせると、ケルロスは苦悶の表情を浮かべる。
すかさず顔を力任せに殴る。
何度も、何度も。
もう腕が無くなってもいいくらい殴る。
手は彼の血で赤く染まっていくが、それでもやめない。
「調子に乗るなーっ!」
怒りの咆哮で私の攻撃を止めると、同時に全ての色力を骨に凝縮し始めた。
「色力全開放――!」
骨は巨大な3つの犬頭に変形して私に襲いかかる。
『色力全開放』、それは自分の中にある全ての色力を使用して能力を引き出す現在の究極。
使用者はそのあと色力を全て失って動けなくなるというデメリットが存在し、これで終わらせるという彼の覚悟だった。
「ケルベロス・スカル!」
私は距離を取り、3つの犬頭それぞれに攻撃するが、大したダメージにはなっていなかった。
それでも繰り返せばいつかは壊れる。
「はああああああ!!」
その想いで何度も攻撃する。
2つの犬頭がバラバラに砕け、残り1つになったとき、私の方にも限界が来た。
力が入れられなくなったところで右肩を咬まれる。
歯が食い込み、血が噴き出すことで意識が飛びそうになるが、私は最後の力を入れる。
「オラァ!!」
咬みつく頭を左拳で思い切り殴る。
「はあ……はあ……はあ……」
砕け動かなくなったことを確認すると、足で体を支えることができなくなった。
やばい……出血量が多い。
このままじゃ私の方が先に死ぬ。
「はあ……はあ……やっと倒れたか……」
色力を全て使い果たしたケルロスがゆっくりと近づいてくる。
「お前が俺のもとを離れてから10年が経った。いつかはこんな日が来るんじゃないかと予感していたが、本当にこうなるとはな……」
落ちてある骨を拾い、尖った先端を振り上げる。
「どの道死ぬ運命だが……兵器なんかで殺されるくらいなら、俺が殺してやる」
クソ! クソ! クソ!
もう少しなのに!
やっと償いのチャンスが来たと思ったのに!
「死ねぇぇぇぇぇー!」
私の頭を貫く勢いで骨が振り下ろされた。
ああ……本当にもう少しだったのに……。
あとちょっと強ければこんなことにはならなかったのに……。
ごめんねラージニイ。
ごめんねみんな。
ごめんね……トゥウ……。
……喪われつつある意識で最初に感じられたのは根拠のない安心感だった。
「ぐはぁっ!!」
ケルロスの悲鳴、何かが何かにぶつかる音。
そして、私の全てを受け入れるような温もり。
ずっと抱かれていたいと思わされる胸の高鳴り。
「卑怯なことを承知の上で不意打ちしましたが、ご容赦くださいね」
ああ……どうしていつもあなたは……。
「この娘は、私の大切な部下ですから」
「……トゥウ……」
反射的に彼の胸を服の上からギュッと握る。
「なんで……なんで……」
どうしてあなたは、いつも私のことを……。
「助けてくれるのよ!!」
大粒の涙を流しながら私は叫んだ。
ここで死ぬはずだった。
死ぬべきだった。
そう思って戦っていたのに……。
「決まっているでしょう」
真っ直ぐで、優しい目を向けながら彼は言った。
「あなたには未来がある。とても素晴らしい未来が。だから、こんなところで死んでいいはずがありません」
曇のない澄んだ言葉。
私はトゥウの首に腕を回し精一杯の想いを込めて抱きしめる。
「さて、ではイーストエンドの王よ。私達はこれにて失礼します」
お姫様抱っこされながら立ち上がるトゥウ。
少し恥ずかしかったけど、それでも嬉しい気持ちの方が圧倒的に強かった。
「ま、待てっ!!」
ケルロスの声を無視し、足に色力を込めたトゥウはリェゼル顔負けとも言える速度で自分が開けた穴から飛び出す。
虹色の砲弾が隕石のようにイーストエンドの町に降り注ぐ直前だったのに、いつの間にか町は私の視界に小さく映っていた。
「おい、あれ大丈夫なのか?」
あまりの異常事態にイーストエンドの住民も不安が募る。
だが……。
「平気だって。さっきだって誰かが止めてくれただろ。今回も大丈夫だろ」
大丈夫。
どうせ今回も助かる。
誰かが助けてくれる。
何も心配することはない。
そんな根拠もないことを言って住民達は何もせず、知らず知らずのうちに自らの命を差し出す。
元女王が命懸けで示した導は、国民には全く届いていなかったのだ……。




