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第六話:我が儘お嬢様

 エミーナ・グリンメルス。ギヴィン帝国でも名門貴族たるグリンメルス公爵家の長女。

 家柄としては文句なしのお嬢様だが、その性格といえば我が儘で傲慢でいつも取り巻きを侍らせ、奴隷の如く扱うのを何とも思っていない。

 平民どころか自分より位が低ければ貴族すら虫けら同然。いかなる暴虐な振る舞いを行っても当然だと嘲笑を絶やさない。


 そんな彼女が、平民だというのに光の聖女などと呼ばれ敬われている主人公を気に入る訳が無い。取り巻きを使って物を取ったり部屋を荒らしたり、MNの操縦訓練の際わざとぶつかったり、しまいには魔法攻撃を当てようとするなど殺人未遂まで犯す。


 その外道ぶりは、まさに『悪役令嬢』と呼ぶにふさわしく、どのルートでも最後は破滅して死亡するのは、自業自得だとプレイヤーたちからは吐き捨てられている――まあ、あくまで一部からは、だが。


 兎にも角にも、『タイソ』における悪役令嬢ポジションであるエミーナ・グリンメルスは、ゲーム内の行動は世間の悪役令嬢から漏れず、極悪非道なお貴族様である。


 故に、


「ナオ様、次こちらを召し上がって下さいませ。私の領地で作ったお野菜で作ったぬか漬けですの♪ わざわざ糠床ごと持ってきたのですわ♪」

「え、糠床部屋に置くの?」

「いえいえ、こちらの厨房で預かってもらうことになりましたわ。シェフも快く承諾してくださったのですのよ♪」

「そりゃ公爵令嬢から頼まれたら断れないだろ……シェフ参ったろうな」

「え、何か仰いまして?」

「あ、いや、何でもないですわ」


 隣で喜色満面の笑みで座りながらエミーナは、あれやこれやと料理を進めてくる。大抵和食を。

 そしてそれをナオは箸とお茶碗を持って食べ続けている。顔をしかめながら。


 ――なんでこんなことになってるんだ……?


 そう何度自問しただろうか。両者とも豪奢なドレスを身に纏いながら、晩餐会の会場で食ってばかりというシュールな光景の中心にいながら。


 結論から言うと、懐かれた。乙女ゲーの主人公が、悪役令嬢に。

 どうしてこんなことになったのか、ほんの数時間前をナオは回想した。


   ***


 あんなカッコ良く、ヒーローっぽく現れたエミーナ・グリンメルスだったが、その後別に活躍したりはせず終わった。

 当たり前だが、≪ラムトワーム≫の三匹目はすぐさまフォルトの≪アーリスト≫が今度は竹を割ったように真っ二つに切り裂いた。そもそも一瞬の隙を突かれただけであり、シルヴィア王国きつての機師が手こずる魔物ではないのだ。


 ポーズを決めたまま硬直していたエミーナを、ナオも絶望した笑みを固めたまま見ていたが、


「レベッカ様、大丈夫ですか!?」


 という悲鳴じみた声に正気に戻る。


 振り返ってみると、レベッカが床に倒れており、マヤはそれを抱き起そうとして、サーシャは尻もちをついて真っ青な顔で動かなかった。

 無理もない。苦悶の表情で倒れるレベッカの左腕は、ひしゃげて千切れかけていたのだ。赤い血が敷かれた絨毯を禍々しく染めていた。


 ――やばい、なんでこんなとこだけ本編通りなんだ!


 ゲームでは、三匹目が倒された時ナオたちが乗る車両に倒れてきて、その衝撃でレベッカが大怪我するシーンがあった。一枚絵では怪我の部分はぼかして描かれていたが、実際の物を見るとグロ過ぎてナオは気分が悪くなった。


「レベッカ様しっかりなさって! サーシャさん、早く医者を!」

「あ、ああ……!」


 しかしサーシャは動かない。あまりの光景にパニックを起こしているらしい。


「ちょっ、ちょっと貴方大丈夫ですの!?」


 エミーナもこちらに気付いて駆け寄ってくる。非常に慌てた様子だ。


「うぅ……手が、私の手が……!」


 激痛に呻くレベッカは、自分の手の惨状に絶望の表情を浮かべる。ここもゲーム通り、いや、涙を浮かべ顔を歪めたその姿は一枚絵などよりはるかに惨かった。


「レベッカさんですね。待っててくださいまし。今私が……」

「……ちょっと、どいて」


 エミーナを押しのけ、ナオがレベッカの横に座り込む。そしてレベッカの傷の部分に両手を重ねてかざした。


「ナオ様、何を……?」

「すみません。かなり激痛が走るかもしれませんが、少し耐えててもらえますか」


 そう言うとナオは目を瞑り、一呼吸置いて、


「……『ヒール』」


 と呟くと、ナオの両手から光が発され、傷口を覆い出した。


『ヒール』。治癒魔法である『ヒール』は無属性に属し、実は効力に差はあれど魔力持ちならほぼ誰でも使える。

 ただし、それはあくまで回復の補助という扱い程度で、今回のレベッカのように重度の怪我を治癒することは不可能である――無属性ならば。


 しかし、それが光属性であれば話は変わる。


「え……」


 サーシャの絶句した声がした。当然の話だ。今彼女の眼前には、通常の『ヒール』ではあり得ない光景が広がっているのだから。

 あの千切れかけていた腕が、光に包まれると見る見るうちに元へ戻っていったのだ。


「これは……」


 レベッカ自身も目を見開いている。自分で痛みも消えていくのが信じられないに違いない。


 これが『エクストラヒール』。無属性の『ヒール』をはるかに上回る、光属性だけが持つ特別な治癒魔法。ゲームでもHPや状態異常回復に役立つ重宝した魔法だった。

 ゲーム本編でも、このシーンでナオがレベッカを救おうと『ヒール』を使ったが、それが本人も知らぬうちに上位魔法である『エクストラヒール』を発動させて、レベッカを完全回復させたことに驚くという展開だった。

 だからナオも自分が使えると知っていたので村で練習していた。ここまでの大怪我を経験しなかったので実践するのは初めてなのだが、ゲーム通り上手く行った――つもりだったのだが。


「――ぅ」


 急にふらっと、意識が遠のく感覚がした。慌ててかぶりを振る。


 やっちまった、とナオは心の中で舌打ちする。

 村で魔法の特訓をしていた時何度も経験した、魔力切れの兆候だった。


 この世界の人間は誰しも魔力を持っていて、誰でも魔法を使うことが出来る。

 しかし、無限に使えるわけではない。人間が持つ魔力量には限りがあり、いっぺんに大量の魔法を使えば魔力切れ、いわばガス欠状態へと陥る。軽くて意識混濁か気絶、あまりに魔力を使おうとすれば死もあり得る危険な代物だった。


 もっとも、村の魔術師の婆さん曰く、ナオの魔力は(主人公だからか知らないが)普通の人間に比べると高いらしく、早々魔力切れなんてならないそうだが、今回は無駄に終わった『アイス・ランス』に使った魔力が思いの外多かったようで、これほどの治癒魔法は無理があったようだ。


 いかんと思いつつレベッカを治療するのを止めようとはせず、なんとか力を振り絞ろうとしたら、倒れかけた背を誰かが支えてくれた。


「貴方大丈夫ですの!? しっかりしてくださいまし!」

「いや、ちょっと魔力を使い過ぎたらしくて……」


 支えたのはエミーナだった。悪役令嬢に心配される主人公て物語では最近多いが、まさが自分が体感するとは夢にも思わなかったとナオは変な気分になる。支えられている背中にぽよんと密着している柔らかい感触に反応しているわけではない。


「手を貸しますわ! 一緒にやりましょう!」

「え、『ヒール』使えるんですか?」

「余裕ですわ!」


 そう言うと、エミーナはナオの両手に重ねる形で手を合わせ、同じく光を放っていく。

 二つの光は一つとなり、レベッカの千切れかけた腕は元の形に戻り――やがて傷跡すら完全に消え失せた。


「すごっ……!」


 ナオも驚いている。エミーナはこの時点では闇属性の素質があるとはいえ魔法など全然使えないはずなのだが、ゲーム本編とはこちらも色々かけ離れているらしい。


 痛みも無くなり、残ったのは切り裂かれ血の跡の付いた制服だけとなったレベッカが、目を見開いたまま呆然としていた。しかし、すぐに正気に戻ると、ザザッと効果音が鳴りそうなスピードでナオの前に跪いて、


「聖女様、私のようなものを救っていただきありがとうございます。このレベッカ・ジーク、この御恩を一生忘れずこの身を聖女様に捧げようと――」

「あ、まだあまり動かさないでください」

「え?」

「完璧に治ったか分からないので、ちゃんと医者に診てもらってくださいね」


 これは村で婆さんから教わったことだった。治癒魔法は便利ではあるが、変に傷口を塞ぐだけでは傷口に破片が食い込んでいたり、治ったのは表面だけで内出血など後々傷が悪化するということもあり得るという。傷が治ったように見えてもじっくり調べるのが大事だと強く吹き込まれた。


「は、はい……お気遣い、感謝いたします」


 なんだか決め台詞を断ち切ってしまってらしく、申し訳ない気分になったが、仕方ないと思って諦めてもらう。

 まあとりあえず助かって良かった、などと安堵していると、突然手を掴まれた。


「うえっ!?」

「貴方凄いんですのねっ! こんな完璧な『エクストラヒール』見たことありませんわ! まるでゲームの主人公みたいでしたわっ!」


 と、興奮気味のエミーナの顔が目の前にあった。というか、距離が近い。端正のとれた顔もボリュームたっぷり金髪縦ロールも、何より胸部、胸、おっぱいが当たっ、当たっ、当たって……とナオはパニックになりつつあった。


「い、いえ別に大したことは、無いのでちょっと、落ち着いて……ていうか、なんですかゲームって」

「へ? あ、いや……さ、さあ? 私そんなこと申しましたっけ?」


 ゲーム、の部分を指摘されると、いきなり興奮が止み目を逸らし上ずった声でとぼけ出した。どうも秘密主義らしい。これだけバレバレなのに何を今更とツッコミたかったが、ナオは堪えることにした。


「まあそれはとにかく、私一人で出来たことではありません。お力添え感謝いたします。ええと――エミーナ・グリンメルス様で宜しかったですか?」

「あら、貴方どうして私の名前を?」


 さっき自分で叫んだろうがと今度はぶん殴りたくなった。確信した、こいつ馬鹿だとナオの中で彼女のプロフィール欄に『異世界転生者』と隣に『馬鹿』が記載されてしまった。


「いえ、先ほどご自分で仰ったではありませんか」

「はて、そういえば……そうでしたわね。失礼いたしましたわ。では改めて、私の名はギヴィン帝国グリンメルス領領主、エルヴィン・グリンメルス公爵令嬢の、エミーナ・グリンメルスと申しますわ。貴方の名は何と申しますの?」

「あ、はい、私は……」


 そう、名乗ろうとしたところ、ドタバタと廊下を走る音がしたかと思うと、勢いよく部屋のドアが開け放たれた。


「お嬢様、ご無事ですか!?」

「あら、アリサさん!?」


 飛び込んできたのは、紫色の髪をサイドアップにした上にメイドキャップを被り、同じく紫の瞳をしたその姿は、いかにもメイドという黒と白を主体としたクラシカルなメイド服を纏った女性だった。


 年齢はナオたちより五歳も離れていないだろうか、アリサと呼ばれたその女性は、エミーナの姿に一瞬ホッとした表情を浮かべたかに見えたが、すぐに眉を吊り上げて怒りのオーラを醸し出した。


「何をしてらっしゃるんですか、お嬢様! 勝手に駆け出していって魔物と戦うなんて危険にもほどがあります! 魔物なんて護衛に任せておけばいいんです!」

「だ、だってなんか苦戦してそうだから加勢しようと……それに、≪ラムトワーム≫程度なら私にだって余裕で倒せる相手で……」

「そんなものはただの慢心に過ぎません! 何かあってからでは遅いんですよっ!」


 声を荒げるメイドにタジタジの様子のエミーナ。従者とお嬢様とは思えぬ姿だが、この二人にとってはいつもの調子なのか違和感が持てなかった。


「あ、あの……」

「ですからお嬢様はいつも……ん? あ、これは失礼いたしました。私はグリンメルス公爵家に仕える、アリサ・オルコットと申します。こちらのエミーナ・グリンメルスお嬢様の専属メイドとしてこの度学園へ同行させていただきました」

「そう、ですか……」


 アリサなんてキャラの名前を、ナオは聞いたことが無かった。エミーナの専属メイドは本編でもいたことはいたろうが、話には上がったことは無い。まあゲームでは背景に過ぎないモブキャラも、この世界では一人一人名有りの生きた人間なので当然のことなのかもしれない。


 そんなことを考えていると、アリサはまたエミーナの方へ向き直り、説教を再開させた。


「そもそも、予定通りオーバースカイ号に乗っていればこんなことにならなかったのに、エミーナ様が我が儘を通すからこんなことになったのです! ご自覚はあるのですか!?」

「だってやっぱり学園へ向かうにはランドキング号じゃないですの! アバンでずっと乗ってみたいと思ってたんですのよ、妥協したくなくてお願いしたんですわ!」

「だからアバンてなんのこと……」

「……はあ?」


 ヒートアップし出した二人の会話に、ナオはつい惚けた声を漏らしてしまった。


   ***


 その後すぐ、レベッカは駆けつけたフォルトと衛兵に連れられ、医者の下へ搬送された。ついでに、残ったフォルトたちやエミーナを含めたギヴィンの方々と共に、お茶会ついでに事情を聞くことになった。


 なんでもそもそもの発端は、エミーナが「ランドキング号に乗りたい!」と入学式直前に言い出したことだった。

 魔導列車は勿論一両ではなく、生徒たちもメガラ大陸各地から運ばれるので、何両もの車両がそれぞれバラバラに運行される予定だった。シルヴィア王国からはシルヴィア王国の人間が、ギヴィン帝国からはギヴィン帝国の人間が乗るのは必然の理である。


 のはずが、エミーナがギヴィン帝国の魔導列車の一つ、オーバースカイ号への乗車を拒否し、シルヴィア王国のランドキング号に乗りたいと言い出した。どうもランドキング号に乗ると信じ込んでいたらしい。それが違うことに気付いて大慌てで騒ぎだしたのだ。


 ギヴィンの人間からすれば奇行に違いないが、ゲームをプレイしたナオには理解できなくもなかった。あのCGで描かれるランドキング号は遊んだ人間なら憧れない訳が無い。実際に乗るこの機会を、奪われるのは嫌なのは同意したかった。


 とはいえ、さすがにこんな要求通るなんて信じる者などいない。グリンメルス家も本気で帝国貴族院に依頼したわけではなかろう。断られると承知で、我が儘娘を諦めさせるための口実として話通したのだが――なんと、貴族院は了承し、シルヴィア王国に要求したのだという。


 驚いてフォルトの方を向くと、フッと失笑だけして目を逸らされた。この顛末自体はフォルトも知っていたようだ。しかも、エミーナ一人だけでなく、ギヴィン帝国の有力貴族の子たちも何人も入れ込んできたという。

 敵国の、しかも聖女様が乗っている列車に乗せろなんて混乱必死の愚行を何故したのか? ギヴィンの考えが理解できなかったが……少し考えれば明白だった。


 単純に、聖女様たるナオが乗っていたからだ。闇の巫女を抱えたギヴィンとはいえ、伝説を背負った光の聖女の方が自国の優位性を手にするには都合がいいのは当然。それをシルヴィアが独占しているのが気に入らず、このエミーナの我が儘を口実に、多くのギヴィンの人間を列車に乗せて、ナオとの関係を作っておくよう要求したのだろう。であれば、マヤたちがわざわざ訪れたのも納得がいく。


 だが、であるならギヴィンの人間がマヤたちだけでなく、挨拶に訪れた山ほどの奴らのように引っ切り無しに来てもおかしくないのでは……と悩んでいたところ、明るすぎる声に思考は切断された。


「しかし、ランドキング号が壊れてしまったのは残念ですわ。やっぱりこの目でその雄姿を焼き付けていたかったですの。探索したいって言ってもみんな引き留めてしまうのですから……」

「お嬢様、貴方は一応高貴な貴族の娘なのです。危ない行動は控えろといつも当主様からも呈されておられるでしょう?」

「そ、そうですわエミーナ様。旅のお相手なら皆さんがいるのですから……」

「そんなこと言って、二人はいつの間にか消えてしまったではないですの! せっかくお二人にも私の領地で採れたお米で作った焼きおにぎりご馳走して差し上げようと思ったのに!」

「あ、あはは……申し訳ありません」


 マヤとサーシャの引きつった笑みに、ナオはようやく合点がいった。

 なるほど、要は全てこの女のせいだったわけだ。

 ギヴィンより聖女様への刺客として送り出された生徒たち。だけどそれだけでなく、暴走お嬢様の監視役兼付き合いという仕事も課されていたわけだ。特に探索なんて闇の巫女と光の聖女をかち合わせる真似を望むやつなどいない。だから生徒たちは彼女の道中暇つぶしの相手として散々楽しませられて、ようやく目から逃れた二人が代表で行けた、といったところであろう。


 子供の段階から貴族社会という世の中の荒波に揉まれて、お偉いさんたちも大変だ――なんて思っていると、がくんと列車全体が揺れた。


「あれ、ようやく動きました?」

「動きましたって、とっくに動いてたぞ。止まったんだよ」


 フォルトが呆れ気味に呟いた。どうも話に夢中で気付いてなかったらしい。

 しかし、だとしても変だった。周りは――すっかり日が落ちていたが――駅でもましてや停留所でもない。何も無い原っぱだったのだ。


「え、だってこんなところにどうして……」

「聞いたことがあります。学園へ入る前に、一旦止まって新入生たちに外観を見せると。ほら、あれですよ」


 アリサが窓の外を指さした。そこには確かに窓全体を覆うほどの光景が広がっていた。


「わあ……」


 自分か、あるいはその場の他の誰かは分からないが、感嘆の声がどこかから漏れた。


 目の前に広がっていたのは、まるで西洋の有名な城のような美しい建造物だった。

 それも一つではなく、三方にそれぞれ同じ塔が一つずつ、それの周囲を城壁が囲み、さらに三方の中心にはその三つよりはるかに大きな塔、いやそれ自体が城と言うべき巨大な白亜の建造物がそびえ立っていた。


 思わず窓から出て食い入るように見てしまう。エミーナも同様だ。

 無理もない。同じ転生者であるならば、『タイソ』のプレイヤーであるならば、誰もが憧れた城であるはずだから。


『テトラヘドロン学園』。『タイソ』の舞台にして、三年間鍛え上げ、戦い、魔王を倒し――エミーナ・グリンメルスを殺す場所。


 ちら、と隣りのエミーナに視線を向ける。

 彼女は興奮気味に笑みを浮かべているだけだった。


 ***


 まず学園に入ってナオが驚いたのは、勿論学園自体のまさに西洋の宮殿のような豪奢な内装や美しさだったのだが、それ以上に入学式が中止になったという伝えであった。

 理由は簡単。ナオたちランドキング号の生徒たちが遅れに遅れたからだ。


≪ラムトワーム≫に襲撃され車両が一部破壊されたために生じたタイムラグは意外なほど大きく、ナオたちが到着したころにはすっかり夕方になっていた。

 こんな時間から入学式など始めていてはその後行われる後夜祭が本当の夜中になってしまう。というわけで、入学式は明日に延期として、後夜祭だけ行われることになった。


 入学式延期で後夜祭やるなんて変じゃないの? と思ったが、既に準備も出来てしまっているし、何より今日集まっているのは生徒たちだけでなく、三か国のVIPたちも大勢いた。彼らには仕事もあるし、一日拘束するなど出来ないのだ。


 そこで、後夜祭という舞踏会だけやって、入学式は翌日早々に行って帰ってもらう、などという日程で決まったらしい。


 変な日程だなあと伝えに来たレベッカには漏らしておいたが、さすがのナオにもこんな日程が成立した理由は分かっていた。


 つまり、三か国のVIPたちの目的は、入学式などではなく後夜祭、というよりそこで現れるナオ、光の聖女様なのだと。

 生徒だけでなく自分もお目通ししたい。ギヴィンやゴルディロはあわよくば自分たちのところに引き込みたい、なんて野望も抱いているだろう。入学式参列なんて口実に過ぎないのだ。


 こりゃ列車なんて比じゃないくらい大変かもな――などとナオがため息をつくと、キュッと腹部が引き締まる感覚がした。


「ナオ様、終わりました」

「あ、ありがとうございますレベッカさん。どうも自分で着るのは難しくて」

「何を仰います。着付けなど従者の仕事。聖女様たるナオ様がお手を煩わせることではありません」


 レベッカが恭しく応じる。

 考え事をしていながら、ナオはレベッカにドレスを着付けさせてもらっていた。元男としては恥ずかしいこの上ないのだが、何しろこの後夜祭のために用意されたドレスである。着るしかなかった。


 ナオが身に纏っているのは、深い海を思わせる青一色のドレスだった。ナオはドレスなんて詳しくないのだが、ところどころ装飾などにも拘っていて生地から何からも、恐らく元の世界でナオが一生働いても袖の部分すら買えないに違いない高級品だとは容易に想像がつく。あまり考えると鬱になるのでそこで止めておいた。


 鏡を見る。素晴らしく美しいドレスを身に着けた平民の彼女は、正直ドレスに不釣り合いだと言えるかもしれないがそこは乙女ゲーの主人公。纏いさえすれば十分奇麗だとナオ自身が思えるくらい美人に見えた。


 対してレベッカは、紫を主体としてドレスを纏っている。こちらも高級品であることは間違いないが、あくまでレベッカは聖女の従者であるため引き立て役に留めているのだろう。それほど派手さは感じられなかった。


「本当は私ごとき軍服で仕えるべきと言ったのですが……」

「いやいや、舞踏会で女性が軍服なんて変ですよ。レベッカさんだって生徒なのですし。それより、腕の調子はいかがですか?」

「はい、何ともありません。これも聖女様の御威光あってのこと、心より感謝申し上げます」

 

 などと言って、また跪いた。あの治癒魔法の一件から彼女の自分を見る目が変になった気がするが、それを悩む余裕はナオにはなかった。

 何しろ、これからが大変なのだ。


 ゲームとは順番が入れ替わったが、この後夜祭はゲームでも重要な場面であることは変わらない。


 乙女ゲーの本領、攻略対象のイケメンたちと、初めて出会う場所なのだから。

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