第四話:魔導列車に乗って
ゲーム本編で、魔導列車に乗るシーンなどごく一部に過ぎない。しかし、その美しさと圧巻な姿がわざわざCGの動画で描かれており、その力の入れように「製作費の無駄遣いだ」と揶揄されながらも、『タイソ』プレイヤーたちは魅了されたのもまた事実。だから、ナオも内心乗るのをとても楽しみにしていた。
しかし、いざ乗ってみると、そんな乗り心地がどうとか景色を楽しむなどは吹き飛んだ。正確には、それどころではなかった。何故なら、
「……というわけで、学園へ訪れる前に是非とも聖女様にご挨拶願いたく参った訳です。私には学園でも優秀の名を持つ兄もいますので、何事かありましたらこのモーリス家の……」
「ははは……ありがとう、ございます」
青い髪をしたいかにも遊んでそうな優男が、ベラベラと喋り続けている。座席にもたれかかりたい衝動を堪え、適当に打つ相槌と愛想笑いが、特別に用意された個室の窓やらドアやら壁に貼り付いてしまっているようだ。
とまあこんな風に、乗った途端にこういう学生共が山ほど来たのだ。お近づきのご挨拶だとか是非とも聖女様のお姿を拝見したくとか、色々言っているがその実、こちらとのコネ作りというかなんとか取り入るようにと親元から吹き込まれた貴族様たちばかりなのは明白だった。なにしろ伝説の聖女様、学園も国も目にかけている相手である。何が何でも自分のところに引き込みたい、しまいには息子と婚約、なんて企てている者も珍しくあるまい。
そんなわけで、平民に対して放ったことのないような世辞やらおべんちゃらやらを並べられ、流石にうんざりしてしまった。幸い、レベッカがあんまりしつこかったり強引だったりする輩は視線のみで追い返しているが、何しろ相手はゴッソリといるのでキリがない。
かといって、怒って叩き出すという選択肢もまた無かった。これから同じ学園で生活するのである。最初に印象を悪くするようなことは出来ない。
第一、彼ら彼女らは口では褒め称えているものの、それは親に強要されて仕方なくしているだけで、内心平民にヘコヘコ良い顔しなければならないなんて反吐が出ると思っているに違いない。そんな顔を何人もしていた。
だからこそ、無下に扱えば余計に腹を立てるだろう。互いのためにも、相手の顔を立てつつやんわりと帰って貰うのが一番得策だった。
最初、いくら生徒と教師が別とはいえ、護衛役も兼ねているはずのフォルトがどうして一緒にいないのかと思ったが、多分そこまで優遇されている姿を見せると感じ悪く映るから、とナオは推測した。あるいは――と思ったが、確認する術が無いので諦めた。
そんなわけでシルヴィアの貴族様が引っ切り無しだったが、なんとかご挨拶をあしらい続けてようやく人がいなくなった。こんなシーンゲームでは無かったのに、と心底疲れ果てて安堵のため息をつく。
「あー……疲れた」
「お疲れ様ですナオ様。本来なら私が追い返すべきだったのですが」
「いえいえ、そんなお手を煩わせてなくても。レベッカ様だって立場というものがあるでしょうし」
「お心遣い感謝いたします、ナオ様」
頭を下げる。レベッカも感情が全然無いわけではないのは分かったが、相変わらず自分に対しては冷たい反応だ。前世のナオは人付き合いがいい方ではなかった――と思う――ので、ベタベタされるのは困るが二人きりの個室でここまで温度が低いのはきつい。まるで互いに乗り気でないお見合いだ。ご趣味はと聞きたかったが止めておいた。
と、弱り果てていると、またドアをノックする音がした。レベッカが立ち上がり、ドア越しに応対する。
「何者だ?」
「お寛ぎ中のところ失礼いたします。私はギヴィン帝国アトラトル領領主、ティワカン・アトラトル伯爵の娘、マヤ・アトラトルと申します。この度は聖女様にご挨拶と思い参りまして――」
「帰れっ!」
「へっ!?」
レベッカがいきなり怒声を上げたので、外から悲鳴が聞こえた。ナオは慌ててレベッカを止めに入る。ドアの前から引き剥がして、聞こえぬようひそひそ話を始めた。
「ちょ、ちょっとレベッカ様何してるんですか!」
「ナオ様、相手はギヴィンの人間ですよ! 聖女様に危害を加えようとしているに違いありません、今すぐ追い払うべきです!」
「今は同盟国でしょ!? いくらかつて敵対関係だったからって、そんな冷たくあしらったら気悪くされますよ! 伯爵令嬢叩き出した知れたら問題になりますって!」
「それは……そうですが……」
言い返せず、黙ってしまう。冷淡そうに見えるが、やはり軍人家系の娘。ギヴィンに良い感情を抱いておらず高ぶってしまうらしい。恐らく、彼女だけに限った話ではないだろう。
「あ、あの……」
「あ、いえ大丈夫です! どうぞ、どうぞお入りください!」
外の恐る恐るといった声にナオは自分なりに明るい様子で応じた。ここで追い返すのは後々面倒だし、何より気まずいお見合い状態から抜け出したかった。
扉を開けて入ってきたのは、同じ制服を着た二人の少女だった。一人は何が入っているか分からないが、手提げのバッグを両手に持っている。
シルヴィア王国とギヴィン帝国といえど人種的な違いがあるわけではなく、肌の色は大概白だが、髪の色は金髪銀髪黒髪赤髪など多種多彩だった。ナオはこれをゲーム世界である都合ではないかと推測したが、考える意味は無いと判断して止めた。
一人の少女は、これもまたナオの前世の世界ではそれこそゲームでもないと見ない緑色。それを髪の両側で巻いたいわゆる縦ロールだが、あまり大きくはなくワンポイントに留めている。パッチリとした栗色の瞳に合わさって穏やかそうな印象を見る人に与えた。
もう一人は、青い髪に黄色、いや確か琥珀色と呼ばれるような瞳の色をしていた。髪はボブカットにしているが、可愛らしい装飾を施されたカチューシャを付けている。――元男だというのに、一か月の教育の果てにこんな知識まで身に着けてしまった自分がナオは恥ずかしくて仕方なかった。
両者共に、制服に負けず優雅さと華美さを持ち、レベッカ同様本物の『お嬢様』だと感じさせる佇まいであった。
「このような場所で申し訳ありません。改めまして、私はマヤ・アトラトルと申します。そしてこちらは――」
「は、初めまして聖女様! 私はサーシャ・グレイドルンです! こちらのマヤ様と同じくギヴィン帝国の子爵家で、父の名は、あの……」
とまで言ったが、何故かしどろもどろになってしまった。というより、動揺して何を言うのだったか忘れたらしい。
「落ち着きなさい、サーシャさん。ほら、深呼吸なさって」
「は、はい! 本日は聖女様に出会えて光栄で、ああっ!」
頭を下げたところで、サーシャは手が滑ったのか、バッグを床に落としてしまう。中の物がそこかしこに散乱する。
「も、申し訳ありません! すぐに片づけ……」
「……ちょっと、待て」
拾おうとしたサーシャの手を、ナオは止める。その表情が、鬼気迫るようで他の三人が驚く。
「え、ナオ様、どうかしまし……」
「それ……なに?」
ナオは緊張した様子で、床に落ちた者を指さす。
落ちていたのは、紙に包まれた手のひら大の丸い物だった。
「え? これは、私の家から持ってきたサンドウィッチですけど……」
「サンド……ウィッチ」
がくっと、ナオは少し、いやかなり落胆した様子でうなだれてしまう。聖女様の奇行に三者三様に戸惑っていた。
「はい、私の領地で作られる、豆を原料としたソースを使っているんです。ソーイと申しまして、ギヴィンでは一部を除いてあまり好かれないのですが……」
「ソーイ……だと?」
ギロッと、今度は思い切り睨んできた。ナオのあまりの気迫に「ひっ」とサーシャは小さな悲鳴を上げる。何だか分からないが、とりあえず床に落ちなかったサンドウィッチを一つ取り出すと、
「あ、あの……いかがですか、一つお召し上がりにひゃあっ!?」
そう言い終わるのを待たず、ナオはサーシャの手からサンドウィッチをもぎ取り、紙を引き千切って一気に齧り付いた。ガシュガシュと恐ろしいほどの勢いで食らいつき、あっという間に食い尽くすと、床に落ちたもう一つも拾い上げ、座った状態のまま再び驚異的なスピードで貪り食っていく。
まるでグールのような有様に、部屋の人間誰もが言葉を失ってしまい、聞こえるのは咀嚼音だけ。それも食べ終わるとすぐ消えたが、次に聞こえてきたのは嗚咽だった。
「え、えっと……え?」
「ナオ様……あの、どうかしました?」
いつもは冷徹なレベッカすら困惑している。無理もない。屍肉を貪るグール同然の様子だった聖女が、今度はソースに汚れた口で泣き出したのだがら。
「ひぐっ、ひっぐ……」
ナオは泣いていた。それも号泣レベルで。
周囲からは異常な姿だが、ナオ自身にとっては当然の行いであった。それほどまでに、嬉しかったのだ。
――醤油味だぁ……。
正確には、醤油と砂糖の味がするので照り焼き味だろうか。焼いた鶏肉に照り焼きソースを塗り、レタスと挟んだものらしい。
そう、最初ナオが床に落とした物から嗅いだのは、前世の日本で慣れ親しんだ、懐かしの醤油の香りだった。
思わず確認し、サンドウィッチと聞いた時はガックリきたものの、ソイという醤油の英語を聞いた時、まさかと考えてしまい、一口食べた時点で後は無我夢中に食べてしまった。
ナオがいたガイール村は、作っていたのは米でそこは幸いだったのだが、調味料の類は塩か村で飼ってる山羊のチーズかバター程度。しかも乳製品なんて奴隷扱いのナオにはほぼ口にできない。いずれにしろ前世日本人で調味料過多の食生活に慣れたナオに満足できる代物ではなかった。
自分で醤油か味噌でも作ろうかなんて考えたことはあるが、あいにく知識も無くも材料も手に入らなかったので諦めた。所詮中世ヨーロッパ系異世界で、日本的調味料自作なんてそれこそファンタジーだと。
そんな諦めで十年間蓋をした故郷の味を、こんな形で手に入れられるとは想像も出来なかった。思わずやってしまったが、後悔など在りはしない。
ひとしきり泣いた後、さすがに冷静になり、とにかく涙を拭うと、
「ごめんなさい。少々故郷を思い出してしまって……」
「そ、そうですか……」
引き気味ではあるものの、とりあえずマヤもサーシャも安堵のため息をついた。まあいきなりこんな修羅場を見せられて動揺せぬ奴はいないだろうとナオは罪悪感を抱く。
「すみません、お二人の食事を勝手に頂いてしまって。そうだ、実は私たちも食事を用意しているのです。代わりにそちらを頂きませんか? ここで」
「えっ!? よ、宜しいんですか!?」
「ちょっ、ナオ様、そんな勝手に……!」
マヤが驚き、レベッカが慌てる。マヤたちからすればお近づきかせめて顔でも覚えてもらえればというだけだったのに、一緒に食事なんて願ったり叶ったりに違いない。反対にレベッカからすれば、適当に挨拶して追い返せばいいギヴィンの人間と場所を同じくするなんて正気の沙汰ではないと言いたいのだろう。
「先に無礼を働いたのはこちらですよ、レベッカ様。お詫びをしなくては」
「しかし、ギヴィンの人間といるなんて危険では……」
「大丈夫ですよ、試食なら先ほどしましたし、毒は入ってないようです。それに――こんなところで私を手にかけるなんて度胸のある人などいないでしょう?」
レベッカは口ごもってしまう。確かに、こんな逃げ場の無い列車内で暗殺なんてしようものならすぐに捕まる。第一、三か国にとって重要な存在であるナオを暗殺などがあれば平和は崩れ一気に戦争になってもおかしくない。そんな愚行をするものなどそうはおるまい。
というわけで、ギヴィン帝国の人間との交流を赤めるための非公式な昼食会兼お茶会が開かれた。無論ナオの目的が、もう少しサンドウィッチを貰えるかもという下心だったのは言うまでもない。
しかし、その下心は全く予想しない方向に裏切られることとなった。理由は、マヤが持ってきたお茶を口にした時だった。
「えっ、これ緑茶!?」
「リョク、チャ……? ナオ様、もしかしてグリー系の紅茶は初めてですの?」
緑色の茶を出された時とその匂いからまさかと思ったが、出された物は確かに前世の日本で一番親しまれていた緑茶だった。ナオの記憶にある物とは味わいが少し異なるが、それは茶葉の産地や種類の問題かもしれない。
「グリー、系? それはもしかして、紅茶の種類なんですか?」
「そうですわ。紅茶は製造法によって、色や味わいが全部変わりますの。私の地方ではこうして茶葉を蒸して乾燥させたグリー系が中心ですの。シルヴィア王国では茶葉を発酵させるブー系が主流とお聞きしていましたが本当でしたのね」
「ブー系……ですか」
ナオがいた前世では、お茶は茶葉の製法の違いで紅茶や緑茶、烏龍茶など名前が分かれていたが、どうもこの世界では茶葉を加工して作る飲み物は全部『紅茶』と呼ばれ、種類は何々系と別に名称が付くらしい。ゲーム中だともっぱら飲んでいたのは紅茶だったが、もしかしてあれも別の物だったかもしれないと思った。
いずれにしろ、醤油といい緑茶といい、ギヴィンは前世日本と似たような食材が存在しているのかもしれない。こうして気付いてみると、
「……ギヴィンに生まれたかった」
などと呟いてしまい、レベッカに睨まれた。
それはともかく、昼食会は一応は和やかに始まった。レベッカの冷たい態度など、十年ぶりの故郷の味からすれば十分無視できる代物。ナオは上機嫌で二人に応対した。
「それにしても、この車両にはてっきりシルヴィア王国の方ばかり乗っていると思っていましたが、ギヴィン帝国の方もいらしたなんて驚きましたわ」
「そうですね。数はあまり多くないようですけど、私のお知り合いも何人か乗っていますわ」
「そうですか。後でご挨拶に伺った方が宜しいかしら?」
「い、いえいえ、そんな聖女様にご足労願うなんて! お気遣いだけで充分すぎますわ!」
そう、突然マヤは慌てて止めに入る。変な態度に引っかかるものを感じたが、これ以上詮索するのは止めておいた。
「そうですね。ところで私、シルヴィア王国から離れたことがないのですが、ギヴィン帝国はどのようなところなのでしょう」
「どのような、ですか――そうですわね、ギヴィンは国土はシルヴィア王国と比べると狭いのですが、メガラ大陸一の山脈があって場所によってだいぶ違いますわ。サーシャさんのところはギヴィンでも有数の穀倉地帯ですわね?」
「え、は、はい! そうです!」
今まで硬くなって食事も喉を通っていなかったサーシャが、いきなり話を振られてびっくりしつつも答える。聖女様のお食事に突き合わされてだいぶ参っているようだ。悪いことをしたとナオは後悔する。
「比べて私の家の領地は、海に面していて王族ご用達のリゾート地もありますわ。まあ、時たまに海の魔物が出没することもあって大変なのですが……」
「それは恐ろしいですねえ……でもリゾート地ですか。機会があれが行ってみたいものです」
「ご、ご用命とあれば是非!」
世辞で言ったのだが、興奮気味に了承されてしまった。家から聖女様に覚えよくして来いと言われたらしい彼女たちからすればそれは手応えを感じてるのは嬉しいに違いない。レベッカの軽々しく言うなという批判じみた視線を感じるが無視することにした。
「まあ、それは学園が休みに入った時でしょうが……まずは魔導機師になるための勉強が大事ですものね。そのために来たのですから」
「そうですわね。さすが光の聖女様ですわ」
「聖女様なんて、そんな恥ずかしいです。私なんてただの平民で――それに、ギヴィン帝国には闇属性の、闇の巫女様もいらっしゃるのでしょう?」
気恥ずかしさから言った一言だったが、その瞬間場の空気がピタ、と固まってしまった。やばい、とナオが思ってももう遅い。
闇の巫女。闇属性の持ち主。≪ウィズゲヘナ≫の使い手だか知らんが、差別されている闇魔法使いなんて、切り札ではあるものの良い感情を誰も抱いているわけがない。
ましてやエミーナ・グリンメルスは悪役令嬢という役割に漏れることなく、我が儘で尊大で卑劣なお嬢様と徹底的に悪者として描かれていた。本編では魔導列車に乗ることなくもっと後のシーンでお目見えとなるが、同じギヴィンの人間なら悪名は聞いているはず。もしかしてパーティーの類であっていても不可思議ではない。そんな人間の話をされていい気分がするわけがなかった。
「……?」
しかし、ギヴィン帝国の二人の反応は、ナオの予想とは違うものだった。
「…………」
「…………」
バツが悪いというか困っているというか、疲れたような弱り切った表情で二人は目を合わせる。何を言えばいいのかと戸惑っているようだ。
「あの、どうかしましたか?」
「……ナオ様は、エミーナ様の……闇の巫女様のことをご存知なのですか?」
「いいえ、そのような方がいらっしゃるという程度ですが」
「そう、ですか……」
それだけ言うと黙ってしまった。二人とも変な汗のかき方をしている。非道ぶりを話すのを躊躇っているとはどうも違うらしい。何が何だかわからなかった。
やがて、決心がついたのか、マヤが重い口をようやく開いた。
「私、社交パーティーで会ったことがあるのですが、あの方は、その……少し奔放と申しますか、貴族らしからぬと申しますか……」
「……はい?」
てっきり傲慢だの悪辣だの悪いエピソードが出ると思ったナオは、素っ頓狂な声を出してしまう。
「マヤ様、私はあまり話したことは無いのですが、あの噂本当なのでしょうか? パーティーの食事に文句付けてキッチンに飛び込んで自分が作ったとか、第二王子様をぶん殴ったとか……」
「あ、私その現場に居ましたわ。肉料理がなっちゃいないと叫んで飛び込んで行って、その肉で見たことも無い料理作りましたの。……まあ、美味しかったですけど」
「はあ?」
もっと素っ頓狂な声が出てしまう。料理だの第二王子ぶん殴りだの、そんなエピソードはエミーナには存在しない。何度も周回プレイしたナオが断言するのだから間違いない。
「あと、自分の屋敷で畑作ってるというのも本当なのでしょうか? 公爵令嬢が畑なんて信じられませんが……」
「それも本当ですわよ。パーティーとか事あるごとに配ってますの。野菜ゴロっと持たされてどうするって話ですが、料理人からは品質がいいって喜ばれてるとか」
「じゃ、じゃあ、あの腐って糸引いた豆を持ち歩いて無理やり食べさせようとしているというのも!?」
「――ありますわ。藁に包まれてあって、ニチャアって、ものすごく臭くて……あの方は「腐ってなんかいないですわ! これが正常ですのよ!」って薦めてくるのですが、あんな臭い物、とても食べる気になれずみんな逃げてますの」
「ひええぇぇ……」
「…………」
絶句してしまっていた。二人がドン引きしながらの会話に混ざることすらできない。
畑? 野菜? 腐った豆? そんなシーンは見たことないしテキストにも存在しなかった。ゲームの中のエミーナは、自分で農作業どころか土すら触ったことが無い、それこそ古い表現でスプーンとフォークより重い物を持った事が無いなんて本物のお嬢様だ。本編どころか攻略サイトも閲覧し、裏ルートすら完全攻略したナオが断言するのだから間違いない。追加パッチでもナオの死後配布されたのでなければ。
あるいは――そう、ナオの頭にある可能性が浮かび上がってきた。あり得ない、そう言いたかったが、あり得ないとする根拠が存在せず否定できなかった。
そもそも、最初に転生してきた時から感じるときはいくつもあった。中世ヨーロッパなんてよく言われることだが、ほとんど風呂には入らなかったとか排泄物は垂れ流しとか、現代人からすれば衛生的に不潔どころじゃ済まない環境だと。
しかしこの世界では――ナオのいた村は水に困っていなかったというのが一番大きいのだろうが――食事前の手洗いうがいは当たり前で、排泄物もちゃんとトイレに溜めて肥料にと決まっていた。あんな小さな村でもそれが常識として浸透しているのは凄い事だ。
それのみならず、今回の醤油といい緑茶といい、どうも異世界にもかかわらず前世の世界を思い出させる事柄をたまに目にすることが多かった。露骨なのが、日本刀のような剣を手にして現代のスーツそのものな服を着たフォルト・シュテッケンだろう。
ゲーム世界だから、で片づけていたが、もう一つ考えられることもあった。
つまり、この世界へ、異世界転生をした人間がナオ一人だけでない、ということだ。
異世界転生したならば、それがオタクなら大抵の奴はチート、つまり偉くなるか讃えられるため現代知識を使って遅れた世界を進歩させようとするだろう。かくいうナオも記憶を取り戻した時は何かできないか探ったものの、あいにく前述のとおり意外と進んだ文明だったため、知識チート出来そうな事柄が見つからなかったので諦めることにした。
だから、自分以外にも転生した人間がそれらを先に為してしまった、とは推測していた。今も他の転生者は生きているのか、いるとしてもどこにいるのかなどと気になってはいた。だが、異世界転生なんて軽々しく言えるはずも無し。探すのは難しいだろうと探してどうすると思い探してはいなかった。
しかし、同時代を生きる初めての転生者が、よりにもよってエミーナ、あの悪役令嬢であるなどとは予想の範疇を超えていた。であるならば、当初の目的であるエミーナ・グリンメルスの殺害という目標に重大な支障をきたす恐れすらあった。
いや、まだそうと限った話ではない。全てはただの憶測だと心を落ち着かせ、気を取り直すためにグリー系紅茶――いや、もう緑茶でいい――に口をつけた。
「噂以上に凄い方なんですね……でもマヤ様、どうしてそんな風になってしまったのでしょう。グリンメルス家といえば帝国でも名門中の名門ですのに」
「そんなこと私に言われても分かりませんわ。ただ、風聞では雷に打たれて頭に異常をきたしたなんて聞きましたが……そうそう、さっき親しい方々が話しているのを聞いたのですが、闇属性だと聞いた時「よしっ」と喜んだとか、雷に打たれて目覚めた時、変なことを叫んだとか。たしか……「悪役令嬢に転生しちゃったー!!」とか意味が分からな」
「ぶふぁっ!!」
二人の会話を断ち切るように、ナオは口に含んだ緑茶を思いっきり吹き出した。ゲッホゲッホと壮大に咳込み、マヤたちに心配されてしまう。
「な、ナオ様大丈夫ですの!?」
「しっかりしてくださいっ。もしかして、私が用意した食べ物が合わなかったんじゃ……」
「おい貴様ら、われらが聖女様に何を食わせた!」
「だっ、だいじょ、だいじょぶ……ずみまぜ……ゲホゲホっ」
危うくレベッカが剣を抜きそうになったので、席をしながらもなんとか止めた。
落ち着け、落ち着け。まだそうと決まった訳じゃない。何かの間違い、いや伝わっていくうちに歪んでしまったのかもしれない。悪役令嬢ではなく、アーク屋、令状にて、ん製とか……より意味が分からなくなってしまった。
もはや決まったも同然だと言うのに、現実逃避を繰り返すナオだったが、その直後、急に列車が激しく振動した。いや、急停止したらしい。ティーカップが落ちて割れ、ナオたちも思わず転んでしまう。
「きゃっ! な、なんですの!?」
「何事だ!?」
マヤは突然のことに動揺し、レベッカも剣を取り身構える。サーシャは床に座ったままオロオロしていたが、ナオだけがこの事態を把握していた。
――やばい、忘れてた!
列車に乗って早々色んな奴らが来たり、醤油味に舌鼓を打ったり、闇の巫女が……なんて話を聞かされたせいですっかり忘れてしまっていた。この後、何が起きるのかを。
「マ、マヤ様、外を見てください!」
サーシャが顔面を蒼白にして窓を指さす。その先には、
「あれは……!」
外には、巨大な、尋常ではない大きさの縄が暴れ回っていた。
いや、正確には縄ではない。茶褐色の表皮に、粘液を滴らせた土まみれの長い体が地面から突き出てうねっている。
この列車の倍近くある幅を持った巨大ミミズ、ゲーム中では≪ラムトワーム≫と呼ばれた怪物である。
「馬鹿な、こんな場所で≪ラムトワーム≫が出没するわけが……!」
当然の反応である。三か国を繋ぐ大動脈と言っていい魔導列車。その線路は勿論厳密に精査された安全な地帯を通っている。大型の魔物が出る可能性がある場所に作るはずがない。だからこれは異常事態だ。
これも魔王復活が近づいて、魔物が活発になっている影響――と、ゲームのテキストで書かれていたのを思い出した。
「ま、まずいですわ逃げましょうサーシャさん!」
「逃げるって、どこに逃げるんですかマヤ様!」
二人とも動揺している。レベッカも剣に手を掛けたが、あんな大型の魔物では剣など役に立ちはしない。ましてや≪ラムトワーム≫は再生能力が高く、剣で斬るだけでは完全に倒すのは不可能だった。
皆が混乱状態の中、≪ラムトワーム≫がこちらに頭を向けてきた。大きく、円形の口をがぱっと開き、襲い掛かってくる。
二人が「ひゃああっ!」と抱き着き、レベッカがナオの前に立ちせめて盾になろうとした、その瞬間、
ガイィン! と激しい通堂と音がしたかと思えば、目の前まで来たはずの≪ラムトワーム≫の頭が、突如横へ吹っ飛んだ。
いや、何かが≪ラムトワーム≫へ体当たりし、弾き飛ばしたのだった。
その弾き飛ばした巨大な物体が、新たにナオたちの目の前に現れた。
真っ青なサファイアのように輝く金属の体、いや鎧。西洋の物語やファンタジー系のゲームで出てくる、フルプレートメイルと呼ばれた全身甲冑だ。
しかし、その体躯は人の五倍以上ある。
人ならば兜に当たる頭部は、目のところは細い穴がある程度。六角形のバケツを逆さまにしたような形。まるで屈強な戦士のような姿をした神話に出てくる巨人のようだった。
しかし、この場にいる人間は、それが巨人ではないと事を知っていた。人ではないことも、怪物ではないことも。
≪ブロード≫。ギヴィン帝国製のMNとしては最新型。両手にはそれぞれ体躯に合った剣と盾を装備し、世界を守る剣としての威厳をまざまざと見せつけていた。
それに遅れるかのように、彼方からシルヴィア王国製の≪ジャック≫も駆けつけてきた。線路を守るために要所に配備された警備隊、ではない。この列車を守るために両国から特別に編成された護衛隊に違いない。
違いないというか、ナオは彼らが何者か知っていた。何しろ前世では、彼らを使って戦ったことがあるのだから。
――チュートリアル戦闘だ……
そう、『タイソ』でもここで魔物に襲撃され、MNを使っての初戦闘、チュートリアルが始まるのだ。主人公は見ているだけという設定ではあったが。
ナオは村でMNに乗って魔物と戦うことはあったが、どちらかというと駆除で軽く潰したという程度で戦ったとは言えない。だから、大型魔物とMNが戦うのを初めて目撃することになる。
前世でロボットオタクだったナオが、興奮しているのは言うまでもない。
遅れて申し訳ありません。長くなってしまいましたが次はもっと短い予定です。
ようやくのMNの戦闘シーン、そしてこの物語のもう一人の主人公登場の予定です