第一話:転生に気付いた日
自分には前世の記憶がある。
そう気付いたのは、五歳ぐらいの時だった。
別に雷に撃たれたとか馬車に轢かれたなんて大事は無く、ただボロ屋の中で呆けていた時に、パッと忘れていたことを思い出すようにふと記憶が蘇ったのだ。
前世の自分は、日本に住んでいた。少し曖昧だが、多分三十歳を過ぎる前に亡くなったはずだ。
それが今は、五歳の子供として全然別の姿になっているのだから最初は当然戸惑ったものだ。
いわゆるオタクであった自分も、当然のことながら異世界転生くらいは知っていた。だけど自分にそれが起こると妄想はしていても想像する奴なんていない。最初は正直言って戸惑ったものだ。
しかし転生したとしても、問題はどんな世界に来たかだ。ボロ屋の中にはちょっとした鍋やボロ着など時代を測定できない。現代ではなさそうだが、鏡も無いので顔も判別出来なかった。
これは外へ出て確認するしかないと思って玄関から飛び出すと――解答はあっさり顔を出した。
木で出来た簡素な家がポッポッと並ぶこじんまりとした村、それを稲穂が囲うように生い茂った田んぼの合間を、全長五メートルはあろうかと言う巨人が歩いていた。
いや、正確には巨人ではない。黄土色をした素肌は、全身甲冑、フルプレートアーマーのような金属でゴツゴツとした容姿。顔は西洋の物語でよく出てくるような長方形の兜そのもので、目の部分には細い空洞が開いていた。手には、その巨躯に見合う大型の剣が握られていた。そんな巨人が、何体も何体も村の横を歩いていたのだ。
前世の日本にいた人間なら、まず間違いなく『ロボット』と表現するであろうその異形たちだったが、彼女はその本来の名を知っていた。
「≪ジャック≫……」
口から漏れたその名前と共に、彼女はこの世界が、生前自分がやり込んでいたゲーム、『タイタン・ソルジャーズ・ファンタジア』の世界だと確信した。
***
『タイタン・ソルジャーズ・ファンタジア』は、ファンタジーな世界で女性主人公が光の魔法使いに選ばれ、男性攻略キャラたちと共に魔王を倒すため戦うと言った、まあよくあるRPG恋愛ゲームである。人型ロボット兵器に乗ることを除けば。
乙女ゲームなのだから当然メインプレイヤーは女性なのだが、実はこのゲームに限っては男性のプレイヤーも割と多かった。
というのも、実はこの『タイタン・ソルジャーズ・ファンタジア』――ファンの間ではタイソとかTSFとか呼ばれていた――は、単独のゲームではなくとあるゲームシリーズの外伝作品として作られたからだ。
『Iron Legend』。通称『鉄伝』などと呼ばれていたこの作品は、魔法と科学が融合した世界で巨大ロボットに乗って戦うという二十年以上前から続くシリーズで、硬派な世界観とハードなストーリー、そしてロボットに乗って激しく戦うアクションで人気を博した名作ゲームだ。
だから、最初に『タイソ』の情報が流れた時は、「あの『鉄伝』のゲーム会社が乙女ゲーを!?」と騒がれたが、『鉄伝』の男性ファンから期待半分不安半分で購入する者がいくらもいた。自分もその一人である。
そして実際にプレイしてみれば、勿論乙女ゲーということでずいぶん柔らかくなっているが、相変わらずロボットアクションと深みのあるストーリーと多くのやり込み要素で旧作からのファンのみならず新規ファンも掴みそれなりの評価を得た。かくいう自分も、『鉄伝』の頃からのファンだったため購入し、全ルート攻略までしたのをよく覚えている。
***
そんなことまで思い出すと、前世の自分なら一度くらいハマったゲーム世界に転生したのであれば嬉しいだろうなと確かに考えたことはあったが……実際体験すると正直言って、戸惑いしかなかった。
それは、勿論異世界転生という小説の中の夢物語が実際に起こったからもあったのだが、それ以上に困惑する理由があった。
「…………」
ふと、見下ろして自分の身体を凝視する。ボロ布で作られた服ではなく、その下の素肌を透視するイメージで。
当然、五歳の子供に女性らしい肉体的特徴なんかあるわけがなく、単なる幼児体型でしか無いのだが、ただ一点だけ、身体を触ったり揉んだりしてみると違和感があるのだ。
「…………無い」
ポツリとそう呟いた。何度となく発したそのセリフを。
転生したことに気付き、あれあれと周囲や自分の肉体を確認して、すぐ気付いた。下腹部の違和感を。
「……なんで、女になってるんだ」
そう。自分は、いや彼女は、前世で男だったことを思い出していた。下腹部にある、あった者が無くなっていることが分かった時に。
ボロ屋の中を再び見回すと、割れた鏡のような破片が転がっていた。どこかから拾ってきたのか錆びついているが、顔を見るくらいなら十分だ。
「……うわ、幼女だよ」
五歳くらいだと何故だか自分の年齢を覚えていたが、鏡で見ると本当に子供だ。長い黒髪はボサボサで、手入れが行き届いているようには見えず、伸ばしているのではなく単に切る人が誰もいないのだろうと分かる。
肌は白いが、どこか痩せこけていて栄養状態が良さそうには見えない。目もどこか虚ろそうに感じられる。そういえば腹が減っているなとこの時になって気付いた。
いったい両親は何をしているのだろう、虐待でもしているのか? とまで考えたところで、ふと頭に激痛が走った。強烈な痛みと共に、
「……づぅっ!?」
あまりの痛みにその場にしゃがみ込むと、何かの映像がいくつも流れてきた。見たこともない、前世では見たこともない物が。
「なんだ……これっ……!」
脳内を暴れるように流れるのは、見たこともない二人の男女。その二人と仲良く過ごし、楽しく遊び、時に叱られ、時に笑い――そして、二人揃って物言わぬ死体となった姿。
「これは……こいつの……いや、私の……」
そこでようやく分かった。違う、思い出した。
この二人はこの少女の、ナオ・ハディスという名前の自分の両親だと。
ナオ・ハディス。それが自分の、転生したこの少女の名前。
ガイールという普通の農村で生まれた、普通の農民の少女。何てことは無い両親から生まれ、ごく普通に家や村の仕事を手伝いながら暮らしていたただの少女。
一年前に両親が、流行り病で死亡する前はの話だが。
「……なるほど、痩せてるわけだ」
ようやく頭痛が収まると、その場に仰向けに寝転がりながら納得したように自分、いやナオはポツリと呟いた。頭痛の原因は、この体の記憶が一気に戻ったことだったようで、落ち着いた今全てが思い出せる。
両親が死んだあと、ナオは村の仕事を手伝いながら暮らしていた。といってもどこかの家が引き取ってはくれず、基本的に村人が用があったら呼ばれるだけで昔の家で一人暮らし。食べ物の類はお駄賃代わりに残り物を貰う程度だった。誰も自分で世話をするのを嫌がったのだ。まぁ、児童福祉法なんて無い中世くらいの農村なんてそんなものだろうとナオはため息をつく。
むしろ村を追い出されないだけありがたいと感謝しなくてはいけない、とまで考えて、村人が自分を置いておくのは他に理由があったと思い出す。人差し指を顔の真上に出して、口を指さすと、
「……ウォーター」
と呟くと、人差し指から水がツゥーと流れてきた。ナオは流れるままにゴクゴクと飲んでいく。冷たい飲み水が全身に流れ込んでいった。
ウォーター。自分の体から水を出す、水属性の魔法として一番初歩的なもの。これがナオが村で生活を許されている理由だった。
この世界、『タイソ』の舞台であるメガラ大陸の人間は、皆多かれ少なかれ魔法が使える。人によって随分差はあるが、ウォーターくらいなら誰でも使えはした。しかし、その量はせいぜいコップ一杯程度だ。
しかし、ナオは五歳という年齢ながら、実に浴槽一杯分の水を出すことが出来た。まあ本当に浴槽一杯の水を出すと疲労で死にかけるのだが、それでも村にそこまで自在に水を出せる人間などいないので重宝された。
といっても、ガイール村は目の前を川が流れ、農村と言っても王都からもそこまで離れていないので水不足の問題はほとんど無いのだが、それでも何かと便利なので引っ張りだこではあった。
もっとも、夏はありがたがられるのだが冬は嫌われた。何しろ、冷たい、もうキンキンに冷えた水しか出さないからだ。そのせいで夏は喜ばれるが、冬はもっと熱い水を出せと理不尽に怒られ殴られ散々な目に遭っている。水が好きに飲めるだけ感謝しろと記憶が戻った今は叫びたい。
そう、今までの人生を振り返るという現実逃避をして誤魔化していたが、そろそろネタが尽きたので最大の問題にナオは想いを馳せることにした。
「ナオ・ハディスって……主人公じゃん」
ナオ・ハディス。『タイソ』を遊んだ人間で、その名を忘れる人間はいない。
何しろ彼女こそ、他ならぬ『タイソ』の主人公である少女なのだから。
メガラ大陸に三つ存在する国のうち、シルヴィア王国にある小さな村で生まれたごく普通の平民の少女。両親は幼いころに他界し、村で平凡に暮らしていたが、ある時非常に高い魔力値、それも数千人に一人とも数万人に一人とも称される光属性の適性を持っていたことが判明する。
その才能を見込まれ、平民ながら三か国が共同で創立させた、優れた魔術師や騎士を育成するための学校『テヘラヘドロン学園』へと招待される――というのが『タイソ』の大まかな粗筋である。
ゲームでは村で暮らしていた時の話は全く語られていないので詳細は分からなかったが、結構冷遇されていたのは驚いた。まぁ、乙女ゲーに主人公の幼少期の設定なんて詳しく描く必要ないし当然だが。
しかし、ナオにはどうしても納得できないことがあった。
「……こういう時って、普通悪役令嬢に転生するんじゃないのかな」
どうしようもなくどうでもいいことではあったが。
乙女ゲーである『タイソ』にも、定番というかテンプレというか、物語のヒール役を引き受けるいわゆる『悪役令嬢』は存在した。
エミーナ・グリンメルス。金髪縦ロールの公爵令嬢というこれ以上なく定石通りの悪役令嬢。それはもう嫌味で悪辣なお嬢様で、プレイヤーからはヘイトと、その他諸々を稼ぎまくっていた。
異世界の、それも乙女ゲーに転生するんだったら主人公じゃなくて悪役令嬢であるべきだろうと前世の知識でナオは困っていたが、本当に些細な悩みなので諦めた。
「……ま、エミーナになったらロクな最後迎えないからいいか。ルート上死ぬしかない人物に転生して喜べねえよ。……生活は、こっちよりずっと良かったろうけど」
なにしろ向こうは公爵令嬢。メイドもいて執事もいて豪華なお城にキンキラキンな服に三食デザート付きな食事。衣食住それ以外すべて並べてもナオが彼女に勝てるものなど何一つとしてあるまい。――たった一つだけを除いたら話だが。
「さて、と――」
ナオは寝転んだ状態から起き上がると、これからどうするかを考えていた。
はっきり言って破滅する運命が決まっている悪役令嬢じゃあるまいし、ルート改変のため努力、なんて必要は無い。最低十年待ちさえすれば光属性が発覚して学園行きが決定し、そのままゲーム通り話を進めれば何の問題も無いのだ。
しかし、とナオは思い直す。この世界が間違いなく『タイソ』の世界であるとは確信出来るが、展開まで完全に一致するとは限らない。ゲーム内では主人公であったナオ・ハディスも、その運命通り光属性の魔法に目覚めるかは不明だし、そもそもこんな村中から使い捨ての道具扱いされてる生活で生き残れる保証も無い。最悪十年経つ前に死ぬかもしれない。
それに――とナオはもう一度『タイソ』のストーリーを思い出す。
テヘラヘドロン学園は、ただの学校ではない。最大の目的は、MNのパイロット、ゲーム内では『魔導機師』と呼ばれていた兵士を育成することにある。主人公のナオのみならず、高い魔術適正を持つならば平民でも通わせているのはそれが理由だ。
そこまでして三か国がMNや魔導機師を大量に欲する理由――それは、いずれ復活すると噂されている、ゲーム内のラスボスである『魔王』を倒すためだった。
実際にいつ復活するかは誰にも分からない。ただし、魔物の数やその力は年々増大しているということで、数年か十数年単位で復活するのは間違いないと言うのが各国の認識だ。だからこそ、主力兵器のMNとその操縦者は幾らでも欲しい。故に大業な学園まで建てたのだ。
まあゲームをプレイしたナオは、魔王が復活するのは主人公が入学して約二年後、つまり三年生の時だと知ってはいたが、現実と化したこの世界でもそうなるかは分からない。あるいは復活しないかもしれないし、もっと早いかもしれない。
しかし、どちらにしても復活するという前提で備えることは悪い事じゃない、とナオは考えた。せっかく生まれ変わった人生、魔王か魔物に殺されて終わりなんて冗談ではない。魔王に勝つ、あるいは生き残る術を今のうちに得る必要があった。
ならば必要なのは、騎士としての肉体強化と魔術師としての魔術の勉強であった。両者共に魔導機師となるには大切なものだった。騎士はともかく、水を出せる量を考えればこの肉体は魔術師としての才能はあるに違いない。ならば今のうち鍛え上げ、学園に入るまでにそれなりに強くなっておくべきだとナオは結論付けた。
――なんて、言い訳を散々並べてきていたが、ナオは自分の本当の気持ちを理解していた。すなわち、何故そんな結論に至ったのかを。
もう一度、今度はボロ屋に唯一取り付けられた窓から外を見る。何かしらの行軍のようで、村の外の街道に≪ジャック≫が何体も歩いていた。
ゲーム内で飽きるほど見たその容姿。ただのCGの画像でしか無かったロボットが、今目の前に現実として確かな質量を持って村を揺らすほどの振動を伴って歩いている。その姿に、去来する想いはただ一つ。
「……乗ってみたい」
当たり前である。ロボットゲーなんてしていればそれが普通。男の子ならば自然の理。今女の子だけど。
こうして、転生したナオは一応ルートを守ろうとは考えつつ、そんなことよりも巨大ロボットに今すぐ乗りたいという欲を優先することにした。
説明ばかりの回で申し訳ありません。
次かその次ぐらいで説明回は終わり、そこからは学園編の予定です