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◇7 - 呪われた娘

 時はさかのぼる事十四年前になる。

 カームヴィリア家に、待望の赤子が生まれた。


 生まれた子は女であり、名をミラと名付けられた。


 カームヴィリア家は、リエム教区に二百年ほどの歴史を持つ貴族の家である。


 跡継ぎを欲しがる頭首とその妻の間には、長年子供ができなかった。

 長年の治療を経てようやく生まれた子供が、女であった事に、周囲は落胆した。


 父親はもちろんの事、母親ですら夫の機嫌を取るばかりに、娘を放置してしまう。

 ミラは押し付けられる様にして、乳母に育てられた。


 当主の寵愛を受けられない子供に価値はないと、周囲の大人もミラを見放した。


 愛の無い生活の中で、ミラは幼年期を孤独に過ごした。

 屋敷に閉じ込められた彼女には外で遊ぶ機会も与えられず、周囲に同年代の子供など居なかった。


 自分には存在価値が無い。それを自覚するようになった頃から、ミラは人に望まれる存在になる事を切望する様になった。


 そのために、ミラは"良い子"にならなければいけないのだと、自分を戒めた。


 言う事をなんでも聞く子。そして、人の邪魔にならない目立たない子。


 感性を歪められたミラにとって、それが"良い子供"の定義だった。


 だが、そんなものを直向きに実践する子供など、周囲からすれば可愛げが無く、不気味なだけである。


 ミラの願いはどうあっても、叶えられる事が無かった。


 そして極めつけは、八歳の誕生日。


 貴族の子は皆、家に神官を招いて【能力紋】を刻む儀式を行う事になっている。

 理由は単純に、家の者意外にギフトの内容を知られないためである。


 万が一にも不幸があれば、家の名そのものを墜としかねない大事なのだから、その予防策は当然である。

 しかし誰ひとり、そんな事態が起こるなどとは、本気で想定していなかった。




 そしてその万が一は、不幸にもミラに降りかかる。


 ―――≪死霊術≫


 不吉な名を冠するそのギフトを彼女が持っていると判明したその瞬間から、ミラの不幸は本当に始まった。


 それまで無関心を貫いてきた周囲の大人たちは、彼女を呪われた子供だと罵り始めたのだ。


 実の両親ですら例外ではなく、交渉材料として嫁に出す価値すら失った我が子に、心無い言葉を浴びせ続けた。


 ミラはいつも、それに謝り続けた。


 自分が悪いから怒られていて、それに謝る事はミラの掲げる"良い子"にとっては、当たり前の行為だった。


 ミラはその事に疑問を抱かなかった。

 むしろ、彼女にとっては喜びですらあったのだ。


 怒りであろうと、痛みであろうと、他人に構ってもらえる事はミラにとっては喜びだった。


 恐怖と歓喜が両立する歪な日々の中を、ミラは自覚も無く過ごした。





 ミラが十二歳になった年、些細ささいな事件が起こった。


 カームヴィリアの当主と、エセナ教会の教区長が、教会の行政介入に関して、いさかいを起こしたのである。


 これをきっかけに、教区長はカームヴィリアへの攻撃を開始した。

 名目上は、カームヴィリアの娘に対する背教罪である。


 異端の烙印を押されたミラを標的に、カームヴィリアの家そのものを追求したのである。


 しかしその実態は、カームヴィリアの所有する権威の簒奪さんだつと、富の接収が目的だった。


 カームヴィリアの屋敷は巡礼者の焼き討ちに遭い、その際に当主夫妻は屋敷もろとも炎に焼かれた。

 



 燃え盛る炎の中で、ミラはまず両親を助けに走った。

 どれだけ見放されていても、ミラには両親に対する情が確かに在った。


 両親の寝室へ飛び込んだミラが見たのは、燃え盛る梁の下敷きになる、母親の姿だった。

 血も焦げる様な灼熱の中へと飛び込んで、ミラは母親の元へと駆け寄った。


「お母様っ!」


 もはや助ける手立てはミラには無い。

 どうする事も出来ずに己の手を取るミラへ、母親は言い放った。


「お前のせいだ。お前さえ居なければ……呪われたお前なんか、生まれなければ良かったのに!」


 それが断末魔の叫びだった。


 母親からの恨み言なら幾度となく聞いてきたミラだったが、この言葉が何よりも深く、彼女の心を傷つけた。

 死の間際なら、本当の言葉が聞けるのだろうと、ミラは信じていた。


 どれだけ呪われた子供と罵られても、どこかに親子としての愛が有るはずなのだと。


 しかしそんな物は、ミラの願いとは裏腹に、どこにも存在していなかったのだ。


「ごめんなさい。ごめんなさい……ごめんなさい!」


 泣きながら、訳も分からずそう叫び続けて、ミラは屋敷から逃げた。


 自分が悪いのだと思った。

 親を不幸にした自分が、他人に好かれない自分が、呪いを受けた自分が、全ての元凶なのだと。


 武器を持った巡礼者に追われ、ミラはあても無く街を逃げ続けた。


 悪者の自分が死ねば、何もかも良くなるのだと、ミラは信じて疑わなかった。

 けれど、死にたくなかった。生きて居たいと思ってしまった。

 

 それが悪い事なのだと思い、泣きながら、彼女は誰に言うでもなく謝罪の言葉を繰り返し続けた。


 そうしてたどり着いたのは、街の最下層にある水路だった。既に水は無く、貧民の溜まり場となっている地区だ。


 貧民窟の住人たちは、巡礼者に追われるミラを、物珍しく思いながら遠巻きに眺めていたが、誰も助けに入る者は居なかった。


 この国では、教会に歯向かう事そのものが重大な罪である。


 貧民窟を抜け、人気の完全になくなった所で、ミラは巡礼者たちに追い付かれた。


 巡礼者はミラの小さな身体を容赦なく蹴り飛ばした。

 地面にうずくまって咳き込むミラへ、巡礼者たちは得物を突きつける。


「こいつの首を持って行けば、悪魔狩りで英雄だ」


「馬鹿っ、いつの時代の話だよ。まあ、金はもらえるからいいけどな」


 巡礼者たちによるそんな軽薄な会話が、ミラの頭上で行われる。


 どれだけ箱入りで無知に育ったミラであろうとも、いい加減に気づく事もある。

 これまでの人生に、今起こっている状況に、一切自分の非は無いのだと。


 本当に彼女に降りかかった呪いがあるとするのなら、それはミラの周囲を取り巻く理不尽そのものだった。


「―――それなら、私は何のために生まれてきたのですか? 母様」


 悲しくて、ミラは泣いた。


 人に好かれたかった。

 誰かに愛されたかった。

 ただ、それだけだったのに。


 どうして自分はこんなにも、人に恨まれる生き方しかできなかったのかと。


「―――それはお前、俺達の金になるためだろうさ」


 巡礼者の一人が言った。軽薄な笑いが、ミラの周囲で起こる。


 死ぬのは嫌だった。誰にも愛されずに死ぬなんて、生きる価値すら無かったなんて、そんな人生は哀しすぎる。


「誰か、助けて……」


 かすれた声で、誰にも届かない小さな声で、ミラは叫んだ。


「―――ったく、それが聖職者の台詞かよ」


 唐突に、少年の声がした。

 巡礼者たちは一斉に、声のした方へ視線を向ける。

 その先には岩壁があり、封鎖された水路の入り口があるだけである。


 そんな水路の闇の中から、人影が現れた。

 布で頭部をくるんでいるせいで、人相は分からない。


 ただ、夜の闇の中で佇むその少年は、まるで死神の様であった。


「何だお前? このガキを助けようってか?」


 巡礼者の一人が挑発する様にそう言って、ミラの身体を踏みつけた。

 痛みにうめくミラの様子に、少年は舌打ちする。


「クズ共が……お前らみたいなのには、手加減する必要はねえな」


 少年の啖呵たんかに、巡礼者たちは一斉に吹き出した。


「ははははっ、お前みたいなチビに何ができるって?」


 複数の嘲笑が響き渡る中、少年は静かな調子で魔法を発動させた。


「―――≪ブラック・ランス≫」


 途端、巡礼者の何人かが一斉に倒れた。

 唐突に仲間が倒れた現象を理解できずに、攻撃を免れた者たちは立ち尽くす。


「てめぇ、一体何を―――」


 少年の仕業だと気づいた者が再び振り返ると、すでにそこに少年の姿は無かった。


「どこに行きやがった!」


 狼狽える巡礼者たちが一人、また一人と倒れていく。

 ついには、ミラを踏みつけた男だけが残った。


 男はミラから離れると、怯えた様子で周囲を警戒する。


「くそっ、暗すぎて何も見えねえ!」


 夜の闇に視界を遮られ、少年の姿をどこにも見つけられずに、男は悪態をつく。


 しかし、昼間だったところで男に少年を見つけることは不可能だっただろう。なぜなら―――


「【隠密】スキルだ。お前みたいな雑魚には、一生掛かったって、俺は見つけられねえよ」


 男の背後で、少年の声がした。

 瞬間、後頭部に強い衝撃を受けて、男は受け身も取らずに前のめりに倒れた。


 気を失った男を見下ろして、少年は吐き捨てる様に言った。


「お前らなんか、殺す価値もねえ」


 少年はそれからミラの元へと駆け寄り、彼女を助け起こした。


「怪我は大丈夫か? アイツらにやられた処は痛むか?」


 少年はミラの髪に付いたゴミを払いながら、心配そうに尋ねた。

 ミラにとってそれは、未知の出来事だった。


 見知らぬ他人が自分の窮地を救い、しかもその身を案じてくれるなんて経験は、これまで無かった事だ。

 両親からですら、ただの一度も「大丈夫か」なんて言葉をかけられた事は無い。


「わたっ……私っ、わたしっ―――」


 うまく声が出せなかった。混乱していて、落ち着く事すらできない。


 少年はミラへと手を伸ばした。

 叩かれるのだと思って体を強張らせたミラだったが、少年はミラの頭を撫でただけだった。


「怖かったんだな。この辺りは妙な連中が多い。子供は上へ行きな」


 柔らかい口調でそう言って、少年は微笑んでいた様だった。

 優しく撫でられた経験など、それこそミラには無い。


 あまりに衝撃的な出来事に、ミラは再びその場から逃げ出した。

 少年の呼び留める声が後ろで聞こえたが、ミラは走り続けた。混乱して、それどころでは無かったのだ。


 それから少年の言いつけ通りに街へと戻り、適当な路地裏でうずくまった。


 撫でられた余韻に浸りながら、ミラは少年へ礼を言えなかった事を悔やんだ。

 それと同時に、ミラの中に新しい決意のような物が芽生えていた。


 どうして少年が自分を助けてくれたのか、それは分からなかったが、人に救われる事が嬉しい事なのだとミラは知った。


 人を救うのは良い事で、それをすれば今度こそ、自分の価値を人に認めてもらえるのではないかと、ミラは考えていた。


「―――おや、随分と汚い子供だね」


 唐突に女の声がして、ミラは顔を上げた。

 ミラの目の前に居たのは、エルフだった。魔法使い風の恰好をした、赤髪の女だ。


「行く当てが無いのなら、私と来るかい? おチビちゃん」


 女は不敵に笑って、ミラへ手を差し出した。

 それもまた、ミラにとっては未知の行動だ。


 けれど、ミラは女の手を取った。この女からは、先ほどの少年と同じ雰囲気を感じ取ったからだ。

 きっと自分に、新しい可能性を示してくれる人なのだと、直感的に悟った。


「さてと、君の名前を聞こうじゃないか。私はミュセルポルタと言う。君は?」


 女はミラの手を引いて歩きながら、そう名乗った。


「わっ、私はミラ……です。ミラ・ウェイス・カームヴィリア」


 ミラは女に気に入られようと、精一杯の笑顔を作って、そう名乗った。

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