◇6 - 教会の依頼主
教会に戻った俺たちは、遅めの朝食(と言うよりすでに昼飯だ)をとっていた。
「はははっ、それはまた馬鹿な事をしたものだ。毒系統のスライムをまさか燃やすとは」
地下での出来事を一通り報告すると、ミュセが大笑いした。
「そんな笑うなよ。俺だって反省してるんだ」
こちらが拗ねてそう訴えると、ミュセは目端に浮かんだ涙を拭いながら謝った。
「ああ、わるい悪い。―――しかし、君はつくづく変わっているね。能力紋がステータスから勝手に職種を当てはめているだけとはいえ、君の戦い方は≪アサシン≫とは程遠いな」
「ああ。俺だって、自分をそんな器用な奴だとは思えないんだがな。そもそも、この職種って何なんだ?」
レベルアップに伴って勝手に能力値に追加された項目だが、俺自身は一度もこれを名乗ろうなどと思った事は無い。
「それはただの称号さ。その巡礼者がどんなスキルを持っているのかを視覚的に表す、記号のようなものだね。パーティーを作るときに役立てる目安の様なものだよ」
「じゃあ、あんまり気にしなくてもいいのか」
「そうとも言えないかな。スキルの構成から算出された職種は、その人間がどの様な戦い方をすれば力を活かせるのかという、目安にもなる。
≪アサシン≫と表示されたからには、それに準じた戦い方のほうが、強くなれるかもしれないよ?」
ミュセはそんな事を言う。
隠れて奇襲して、魔物を狩る。一人の時ならば、アサシンとしての立ち回りは俺に合っていただろう。
だが、仲間と連携していく事を考えた場合、そのままで良いとは思えない。
現に今日の戦いでは、俺は率先して前線に出ていた。盾を張って攻撃を防いだりしたし、もはや≪アサシン≫ではなく別の何かだ。
「そういうものかな。教会に≪アサシン≫なんて、あんまり似合わないなって思ってたんだが……」
「君が今後の戦い方を変えるのなら、それに応じてスキルも職種も変化していくだろう。言った私が否定するのも変だが、あまり縛られ過ぎない方が良い」
ティーポットを持って台所から戻ってきたミラが、俺の発言に困り顔で反応した。
「そんな事を気にしていたんですね。それを言ったら、≪ネクロマンサー≫だって同じですよ」
そう言って自分の席に座ったミラへ、ミュセが訊ねる。
「連絡は付いたのかい?」
「はい。一時間後に来るそうですよ」
ミラはミュセに頷く。二人の中で完結していて、話の意味が分からない。
「何が来るんだ?」
「依頼主です。依頼完了の報告をしなければならないので。ギルは、立ち会いますか?」
依頼主という事は、エセナ教会の人間と会うのか。
組織のする事だから、迫害の件に対して特定の個人に恨みを持つのは違うという事も分かるのだが、やはり良い気はしない相手だ。
あまり関わりたくない相手だったが、ミラの不安そうな顔は、一緒に居てくれと訴えている様だった。
そんな顔を向けられては、嫌とは言えない。
自分を拾ってくれたミラへの忠義を尽くす事が、今の俺にできる恩返しだと思う。
「分かった。立ち会うよ。仕事の事、もっとよく知っておきたいし」
そう理由を付けて、俺は同席を申し出た。
約束の時間から三十分以上も過ぎてから、その客人はやって来た。
白い法衣に身を包んだ初老の男性で、上品な雰囲気を纏っていた。
「お待ちしておりました、教区長様」
出迎えたミラが、そう言って頭を下げた。隣に控えている俺も、倣って首を垂れる。
今のミラは、顔に黒いベールをかけている。
表情を全く読み取れなくなったが、代わりに彼女の態度はいつも以上に平静としていた。
これは彼女にとって、対人用の壁なのだろう。
「うむ。報告を聞こうか」
教区長と呼ばれた男は、遅刻の非礼を詫びる事無く、不遜な態度でそう言った。
ミラは椅子に座る事を促したが、男は「急ぎの用があるから手短に話せ」とそれを突っぱねた。
随分と偉そうな態度の男だが、実際偉いのだから何とも言えない。
教区長とは、教会本部から各街の教会の組織運営を託された役職である。
つまりこの男は、この街のエセナ教会を仕切る王なのである。
「ご要望通り、三層のスライムを全滅させました。しばらくの間は大丈夫でしょう。
それと、スライムの出現元と思われる隠し通路を発見いたしました」
ミラは通路を書き足した三層の地図を、教区長に手渡した。
「こんなものを出したところで、任務外の成果に金は出さないぞ」
教区長は冷たくミラに言い放つ。
内容よりも言い方に腹の立つ物言いだったが、ミュセからは何があっても絶対に大人しくしていろと言われたので、黙っている。
ミラは感情の無い声で、教区長の言葉に応じた。
「……構いません。ただの報告です」
「まあいい。また何かあれば仕事をもって来てやろう。それまでは勝手な事をするなよ。探索も無しだ。教会は未だに、お前たちを許したわけではないのだ。それを肝に銘じておけ」
一方的にそう言い放つと、教区長は聖堂を出て行った。
「何だあのジジイは……」
思わずそう声に出てしまうくらい、腸が煮えくり返る思いだった。
ミラへ一方的に責める様なことを言って、仕事の成果には労いの言葉一つなかった。
異端者だからと見下しているのは、街の人間たちと変わらない。―――いや、むしろ教会のああいう態度が元凶なのだ。
「ふっ、不快でしたでしょう。付き合わせてしまって、申し訳ありません」
ミラは弱々しくそう言うと、前触れも無くよろめいた。
倒れそうになった彼女を、慌てて支える。
「おいっ、大丈夫か?」
「すっ、すみません」
そう言って謝るミラは、初めて出会った時以上に弱った様子だった。
あの教区長との会話が、それほどまでに重圧だったのか。
「座った方が良い」
「いえ、それより寝室に。……すこし、寝たいです」
「分かった」
ミラの身体を支えて、彼女の寝室へと連れて行く。
ミラの部屋は、入り口の位置が逆なだけで、俺の部屋とほぼ同じ作りだった。
ベッドにミラを寝かせ、ベールを取ってやる。除けた前髪から覗くミラの表情は、怯えていた。
「……大丈夫か? 何か、俺にできる事はあるか?」
どう接したものか迷うばかりに、その判断をミラへ仰いでしまう。
人と接する機会が少なかったばかりに、こういう時は困る。
ミラは泣き出しそうな瞳で俺を見つめて、息を吐く様に小さく言った。
「そっ、傍に、居ていただけますか?」
「分かった」
椅子を持って来て、ベッド脇に座る。
ミラが寝付くまで黙っているつもりだったが、少しの沈黙の後にミラの方から話しかけてきた。
「―――変ですよね、私。人と話すと、すぐにこうなってしまうんです。特に、あの人は駄目で……」
「……」
どう言葉を返して良いものか、咄嗟には出てこなかった。
単なる人見知りという範疇を超えている。ミラが他人に示す反応は、恐怖や怯えの類なのだと思った。
すぐに謝るのもそのせいだろう。相手が怖いから、真っ先に自分に非が有ると謝罪する癖がついている。
出会って一日。浅い時間の中で感じた推察だけれど、たぶん間違ってはいないだろう。
「……でも、ギルとはなんだか話し易い。出会ったばっかりなのに、不思議」
ミラはそう言って笑う。本当に不器用な、作り笑い。
それを否定はしない。他人に媚びて、他人に合わせて、できるだけ好かれようと振舞う。それも生き方の一つだろう。
相手が意味もなく嫌ってくるのならなおさら、それが必要なのかもしれない。
だが、俺はそれが心底嫌だった。無いはずの非を認める様で、癪な話だ。
だから他人を諦めて、一人で生きてきたのだ。他人に何も期待なんてしていないのだ。
そこのところで正反対だからだろう。俺はミラの愛想笑いに、心底腹が立った。
「……笑うなよ。楽しくもないのに、笑うな。そんな事しなくたって、俺はアンタを見捨てたりしないし、ここから離れて行ったりもしないさ。忘れたか? 俺はアンタと同じなんだ。俺には、ここしか居場所は無いんだ」
身勝手な怒りだと分かっているが、そんな態度を俺にだけは向けてほしくない。
俺たちはこの世で唯一、同じ痛みを知る仲間のはずだろう。
「……無理だよ。私には、こんな生き方しかできないよ」
ミラは嘆く様に言う。
「どうしてそこまで、他人が怖い?」
「それを貴方が聞くの? 人の怖さも、身勝手さも、汚さも、私達は分かっているはずですよ」
ミラはわずかに怒りを込めて、言い返してきた。
石を投げてくる人間は怖いか?
罵倒を浴びせてくる人間は怖いか?
俺たちを人ではなく、ムシケラの様に扱う人間は怖いか?
ああ、怖いだろう。
俺はとっくに忘れてしまった感覚だ。相手にしなければ、無いものと同じ。
だが、そんな達観した考え方を、こんな小さな女の子に抱けというのも、それは酷な話だろう。
「……そうだな。俺が悪かった」
こちらが謝罪すると、ミラは静かな調子で提案を示した。
「……ねえ、ギル。お互いに、話をしませんか? ここに来るまでに在った事を。もちろん、不幸自慢をしようというのではありません。その方が、相手の事を知れると思うんです」
それは提案のようでいて、挑発の様でもあった。
まるで、お前に私の事など分かる訳が無いだろうと、そんな風に言いたげだった。
先に牙をむいたのは俺の方なのだ。
彼女のそんなささやかな反攻を、跳ね除けるのはやはりズルいだろう。
「分かった。話そう」
素直に応じた。
なんて事は無い、卑屈で平凡な暮らし。
反抗心を抱く事も疲れて、怒る事にも興味を無くした、そんな八年間。
希望も無いのに、生きる為に地下迷宮で日銭を稼いだ、そんなつまらない話だ。
俺の話を聞き終えて、ミラはこんな感想を口にした。
「ギルは、強いですね。私はそんなに、達観できません」
「達観じゃないさ。あきらめて、何の努力もしなかっただけだ。ミラみたいにギルドを作って、自分の価値を示そうなんて、そんな前向きにもなれなかったんだ」
「私もそんな、高尚なものでは無いんですよ」
ミラは困った風に笑う。
「なら聞かせてくれ。ミラはどうして、『闇教会』を創ったんだ?」
俺の問いに、ミラは息を呑む。
それは彼女にとって、言い辛い事なのだろう。
俺が気軽にこぼした愚痴混じりの昔話とは、重みの違うそんな話を、彼女はしようとしている。
だから彼女が口を開くまで、俺は黙って待ち続けた。
言い辛いなら言わなくても良いなんてお為ごかしは、言えなかった。
これを話すと言ったのは彼女で、聞くと言ったのは俺なのだから。
「……教会に、復讐するためです」
ミラはそう切り出して、自分の過去を話し始めた。