◇2 - 変人たちの地下教会
女は確かに、俺を見ていた。
前髪で目は隠れているが、視線を感じる。この女は【隠密】の壁を突破して、俺の存在を認知していた。
「どうして、俺が見えるんだ?」
見られてしまった以上は逃げるべきなのだろうが、相手が手負いという事もあって、俺は近づいて訊ねた。
暗くて分からなかったが、相手は女というよりも少女と呼んだ方が正確な年齢であった。もしかしたら、俺より年下かもしれない。
珍しい黒い修道服に身を包んだ、竜人の少女だ。
顔を見られたくないのか、薄灰色の髪を目元まで下ろして顔を隠している。
それだけで、この少女の内気な性格が窺い知れる。
現に、俺が近づいた途端、怯えたように少女は体を震わせた。
頭部の左右に生えた厳つい竜角に似合わず、随分と臆病らしい。
「……わっ、私の【鑑定】スキルが、貴方のより高いのかも」
少女は、小さな声でそう答えた。
スキルにもレベルがあり、それによっては効果が覆されるという事もある。
俺の【隠密】がレベル1なのに対して、少女の【鑑定眼】スキルがレベル2以上だった場合、【隠密】が見破られてしまうと言う訳だ。
【鑑定眼】なんてレアスキルを持っている聖職者は珍しいので、そこまで気が回らなかった。
「そうか。―――なあ、一つ頼みがある。俺をここで見た事は、内緒にしてくれないか?」
助けられた義理もあるだろう。そう言いかけたところで、少女がうつ伏せに倒れた。
「あっ、おいっ、お前!」
急いで駆け寄り、その身を抱えて仰向けにする。
見ると、腹部に骨が刺さっていた。スライムを殴っているときに、破片でも喰らったのだろうか。
「お前、回復魔法は?」
少女は、頼りなく首を振る。
「なら、ポーションは?」
少女は「無い」と、か細く答えた。
「ならこれを飲め」
アイシャから貰ったポーションの栓を抜き、少女に飲ませる。
運命というのはあるものだ。今日に限って、こんなものを持ち歩いていたなんて。
瓶の中身全てを少女に飲ませ終わると、床に寝かせて骨を抜く。
「いくぞ」
少女に一声かけ、頷いたのを確かめて骨を引き抜いた。少女の絶叫が、通路に響き渡る。
引き抜いた骨は予想以上に大きかった。とても人間の物とは思えない形と長さである。
人しか襲わないスライムの身体に、こんなものが埋まっているはずもない。
いったいこの女の子は、何処でこの傷を負ったのか。もし負傷した状態で戦っていたのだとすれば、さっきの有様も頷ける。
ポーションのおかげで傷が塞がったのか、少女の状態は良くなった様だった。
薬草と回復魔法の混合物であるポーションは、見た目以上に強い効果を発揮する。
その分、とても高価な代物なのだ。アイシャには感謝しなければ。
―――いや、感謝するのはこの女か。
「もう大丈夫だろう。俺は行くが、一人で出口まで行けるな?」
むしろ、人目を避けるためにも送っていくわけにはいかないので、動けるようになってくれないと困る。
「あっ……あのっ、待って―――」
歯切れ悪く、少女は俺を呼び止める。
これ以上、何の用があるというのか。ケガ人を強く突き放すわけにもいかず困っていると、不意に視界が揺らいだ。
全身の力が抜けて、受け身も取れずに地面に叩きつけられた。
……痛い。あれっ? おかしいな。意識が、はっきりとしない。
なんだか、急に冷えてきたようで、体も震えだす。
瞼が重くて、目を開けて居られない。
朦朧とする意識の中で最後に見たのは、不安そうな顔で必死に俺を揺する少女の姿だった。
目覚めると、目の前には覚えのない天井があった。灯りの点った部屋なんて、どのくらいぶりだろうか。
誰かに、頭を撫でられている感覚がある。優しい手つきでとても落ち着いたが、一体誰がこんな事をするのか。
顔を向けると、先ほどの目隠れの少女がベッド脇に座っていた。
目が合った瞬間、少女は硬直した。俺の髪を撫でていた手も止まる。
「……うにゃあっ!」
妙な奇声を発して、少女は部屋の隅まで吹っ飛んだ。角で丸くなりながら、警戒した猫の様に俺を凝視する。
なんだかこっちが悪い事をした気分だが、俺は何もしていないよな?
「あのっ、ここは?」
上体を起こして、少女に訊ねた。倒れた記憶はある。この少女が助けてくれたのだろう。
「わっ、私の教会です」
やはり教会か。予想はついていたが、不味い事になった。この子が他人に俺の事を話してなければ良いのだが。
……いや、それ以前に教会の中では、他の聖職者に見られた可能性もある。言い逃れは難しいか。
「だっ、大丈夫です。……ここは普通の教会じゃないから」
不安が顔に出ていたのか、少女は急いた口調でそう言った。
「普通の教会じゃない?」
なんだそれは。普通じゃないとはどういう事か。
少女はこくこくと頷いて、それから説明してくれた。
「こ、ここは地下教会だから」
「地下教会? より分からなくなった」
「ごっ、ごめんね……ごめんなさい」
少女は怯えたように体を震わせて、急に謝ってきた。
妙に怯えられている様だ。俺ってそんなに怖いのか?
「いや、怒っている訳じゃない。俺はただ、状況が知りたいだけなんだ」
なだめる様に、できるだけ優しい口調を心がけて少女に言葉をかける。
「こっ、ここは教会だけど、正規の教会じゃないです。だから、貴方を背教者として捕まえたりしません。それどころか、貴方は命の恩人だから……」
正規の教会じゃない。地下教会とはそういう意味か。
エセナ教以外の宗派というものは確かに聞いた事が無いが、それが本当に皆無かというと疑わしい。
ここはそう言った、世間では認められない秘密教団の拠点なのだろう。
「なら、ひとまずは安心か。―――しかし、俺はどうして倒れたんだ?」
「わっ、私に刺さっていた棘を抜いたでしょう? あれには、毒があったんです」
「それを俺が素手で触って、倒れたと……よく君は無事だったな」
素手で触っただけで意識を失うほどの毒性なら、体に刺さっていた彼女はもっと危なかっただろうに。
「わ、私は、解毒薬を持っていましたから。無かったのは、ポーションだけで……」
「なるほど。それで俺の毒も治療してくれたのか。ありがとう」
少女はかぶりを振る。
「お礼を言うのは、私の方です。さっきは本当に危なかったから。貴方は命の恩人だから、このくらいじゃ足りません。何でも言ってください。私にできる事なら、何でもしますから!」
まくしたてる様に少女は言った。不器用な彼女なりに、必死で感謝を伝えようとしてくれているのだろう。
「ありがとう。その気持ちだけで十分だ。お互い助けられたし、それでお相子という事にしよう」
そう言うと、少女が微笑んだような気がした。少しは警戒を解いてもらえたのだろうか。
「俺はギルディッドという。ギルと呼んでくれ」
俺は少女に名乗った。どんな人間関係も、まずは名前からだろう。
「わっ、私はミラです」
ミラと名乗った少女は、立ち上がると俺の方に来て手を差し出した。握手という事らしい。
手を握り返すと、ミラは嬉しそうにはにかんだ。
「そ、そうだ。温かい物でも入れてきます。ゆっくりしていってください」
少女はそう言い残して、走って部屋を出て行った。なんだか忙しい子である。
落ち着いたところで、今一度部屋を見渡す。
俺が居るのは簡素な個室だった。ベッドとテーブルが一つに、椅子が二つあるだけ。それで部屋の面積のほとんどが埋まっている。
それでも広く感じてしまうのは、テントでの暮らしが長いからか。
「せっかくだから、他も見てみるか」
密教の教会などそう見れるものでは無い。好奇心に突き動かされて、ベッドを降りた。
幸いにも毒の効果は完全に切れていて、運動に支障はない様だ。
部屋を出ると、こじんまりとした聖堂に出た。一見すると、何処にでもある普通の教会の様に見える。
ただ、祭壇には偶像やシンボルは設置されておらず、信仰対象の良く分からない教会だった。
「おやおや、目が覚めたのかい少年」
唐突に声をかけられたので向くと、そこには痴女が居た。
女は裸同然の恰好で、要所だけを隠した下着紛いの布の上に、魔法使いなんかが着るローブを纏っている。
手入れの気配が感じられない赤い髪は伸ばしっぱなしで、紫色の瞳が輝く目元には黒ぶちの眼鏡をかけていた。耳が長いところを見ると、エルフらしい。
しかしそれにしたって何だこの格好は。屋内とはいえ、目のやり場に困る。大変けしからん。
「なーに照れてんだよ、少年。お姉さんのナイスバディに見蕩れちゃったかい?」
エルフの痴女は不敵に笑って、揶揄う様にそう言った。
エルフ族だけあって美形なので、不覚にも動揺してしまう。
「……くっ、何て破壊力だ。これが世に聞く魔性の女か」
「あはは、なんだそれ」
「あっ、しまった。つい心の声が……」
「はははっ、君って変な奴だな」
いや、お前にだけは言われたくねえよ。
「あー、あの、ところで貴女は? ミラのお仲間さんですか?」
やたらとこの場に根を張っている雰囲気がするので、おそらく彼女もこの教会の人間だろう。
「人に聞く前に、まず自分から名乗れよ少年。これ、常識だゾ!」
女はビシッと人差し指を突き立てて、そう指摘した。確かにそれは正論だが、こんなふざけた女には言われたくなかった。
「そうですね。すみません。俺はギルと言います」
「うんうん。君はきちんと謝れる良い人間の様だ。――私の名はミュセルポルタ。気軽にミュセと呼んでくれたまえ。この教会の、まあ、アドバイザーと言ったところかな」
ミュセと名乗るこの痴女は、満足そうに頷いてそう言った。
「色々と疑問もあるだろうし、詳しい話をしてあげたいところだが……まずは風呂にでも入ってきたまえ。流石に匂うぞ、君」
ミュセは鼻をつまんで見せて、そんなことを言う。
確かに、ここしばらくは簡単な行水しかしていなかった。貧民窟で他人の衛生状況を気にする奴なんて、そう居ない。
ミュセは俺が出てきたのとは別の扉を指して言った。
「そこの扉を入ってまっすぐ行くと、簡単な浴室があるから使いたまえよ。ウチの可愛いミラがさっき使ったばかりだよ」
「余計な事言わんでいいです。俺に妙な性癖があるみたいじゃないですか!」
「えっ? 無いの?」
「無いわっ!」
そんなさも当たり前みたいに、人の事を"出会ったばかりの女の子が使った風呂場で妄想にふける様な変態"みたいに言うな。
「まあ、とりあえず、ありがたく使わせていただきます」
「うむ。いってらっしゃい。石鹸も遠慮せずに使いたまえ。私の自信作だ」
一応ミュセに礼は伝えて、浴室があるという方向へ移動した。
ミュセの言う通り、廊下の先に小さな浴室があった。
しかし、石鹸を使って体を洗うなんて何年ぶりの事だろうか。
貧民窟では、良くて体を拭くぐらいの事しかできなかったから、これは純粋に嬉しかった。
俺は本当に久しぶりに、まともに体を洗う事ができたのだった。
そして、久しぶりに人の優しさに触れた今日という日を振り返って、少しだけ泣いた。
◆
ミュセがギルを見送ったところで、ちょうどミラが台所から出てきた。
「あっ、起きていたんですね、ミュセ」
ミラはミュセの姿を見つけて、駆け寄る。
「ああ。君の客人が気になったものでね。なかなか愉快な男を連れて来たじゃないか」
「もう会われたのですか?」
「ああ。ちょっとだけ話もしたよ。今は風呂に入っているから、タオルと着替えを用意してあげなさい。確か男物の修道着がどこかに入っていただろう」
「はい。それならすぐに。―――それより、どう、でしたか?」
「そうだね。使い物になりそうだけど、どちらにしろ彼の意思次第だ。頑張って言葉を尽くして、仲間になってもらう事だ」
「ミュセは、手伝ってくれないの?」
不安そうな表情を浮かべるミラを、ミュセはきっぱりと突き放す。
「それは私の仕事ではないからね。ここは、君の教会だろう?」
ミュセはそう言い残すと、自分の部屋へと戻って行った。
残されたミラは何か決意を固めたように、こぶしを握った。