梅雨と共にゾンビの襲撃編
窓のガラス越しに降りしきる雨を眺めていたガオ・レオンハートが視線を上へと向ければ、空を覆うのは黒く厚い雲であれば、まだ当分は止む事はないだろうと素人でも分かった。
「五月も半ばを過ぎれば梅雨の時期で、当たり前ではあるんだけど……」
エアコンの聞いたガオの部屋は湿気によるジメジメ感とは無縁であるが、数日も大雨が続けば気分的に多少は憂鬱にもなる。
「……ファンタジー世界に梅雨がってエアコンもある、しっちゃかめっちゃかですわね……」
洗濯物を部屋干しエルフのメイドであるアストレアの呟きに、「何か言いました?」と首をかしげたのは、同じメイドである猫耳獣人少女のゼフィランサスである……って言うか、毎回ゼフィランサスと言うのもいい加減に面倒になったのでこの先は基本的に愛称のゼフィと呼称していく。
「やれやれ……」
アストレアが溜息を吐いたのがこの堪らない雨音と湿気によるものと思ったゼフィは、「確かにいい加減にうんざりですよねぇ……」と相槌を打った。
固く閉ざされた勇者城の門の前に一人の少女が立っている、激しく降りしきる雨の中で傘も指していなければレイン・コートも着ていないのに彼女の衣服には水滴による染みすらもない。
何故なら、空から落下してくる水滴が彼女に当たる前に不自然に弾けるその様子は、さながらĪフィールド・バリアでメガ粒子ビームが拡散しているかのようだ。
「……どういう例え……まあ、実際その通りなんだけどさ」
少女……エルメスは苦笑しつつ、「……に、しても……」と門を見上げた。
「……本当に門番の一人もいない、どういう不用心さなんだろうねぇ……」
好都合ではあっても、これはこれで興が削げるというものである。 しかし、だからといってこのまま何もせずに帰るという事もしない。
ポシェットから呪符の束を取り出すと、それを雨の中へ無造作に放り投げれば、当然のように雨水を吸いながら地面に落ちる。 直後に、呪符が光り放ちながら形と大きさをヒトのものへと変えていく。
ボロボロの服を不気味な纏い土気色の肌をした彼らは、人間のものとは思えない不気味な唸り声を上げたのは、雨の降りしきる中という光景もあり実際ホラー映画のワンシーンであった。
「生ける屍ゾンビ……死者の眠りすら妨げる悪しき行為。 でも、あたしは魔族だからこういう事も平気でするんだよ?」
ファンタジー・ゲームなどでお約束のように登場し無造作に倒される存在である彼らだが、もとは決してモンスターなのではなく普通に笑ったり泣いたりしていた人間だったと、果たしてどれだけの者が意識しているのであろうか。
「さて、君はこいつらをどう思うのかな……勇者王君?」
蛍光灯の明かりがあっても薄暗い廊下は不気味な雰囲気がある。
「……レアさん? ゼフィ?……ってっ!!?」
背後からの足音に振り返ったガオは、しかしそこにいたのが二人とは似ても似つかない不気味な化け物だったのに驚きながらも聖剣を出現させた。
「これってゾンビだっけ……三体いる……?」
唸り声を上げ遅いかかろうとしたゾンビ達が動きを止めたのは、こちらが武器を構えたからだとは思えた。
「ゾンビって動く死体っていうけど……こっちの行動を見てきっちり考えて動ける……?」
その思考は、ゾンビにもまだ人間としての意思が残っているのではないかという想像に至れば、ゾッとするものを感じた。 しかし、覚悟を決めたかのようにゾンビ達が襲い掛かって来たなら、ガオもそんな事を言ってる場合ではないのは本能的には理解できた。
一体が殴り掛かって来たのを回避し聖剣を振ろうとしたが、そこへ別の一体に腹を殴られ吹っ飛ばされた。 その人間とは思えない威力に驚きながらも、更に残ったゾンビが襲ってくるのに対し蹴りで反撃し転倒させた。
「いい気分じゃないけど、やるしかないならっ!」
「ふぅ~……」
小さく息を吐きながら、アストレアは〈精霊の双刃〉を消した、その眼前では文字通りの細切れにされたゾンビの肉片が散らばっている。
「…………十二体のゾンビを三分足らずで……」
アストレアの後ろに隠れていたゼフィの顔が青ざめているのは、休憩中にいきなりゾンビ達が襲ってきたためか、あるいは目の前のえぐい光景のためか……。
「……さて、ゼフィさんはどう思います?」
「どう……とは?」
「この大雨の中、通りすがりのゾンビさんが雨宿りに来たという事もありえないでしょう?」
いくらファンタジーでも流石にそんな事はありえないとはゼフィも思う、そうなると原因として思いつくのは……。
「魔王のガーベラさん……?」
「ですね。 つまりはあのテトラさんという魔族がどこかにいるという事でしょう」
ゾンビが他に何体いるのかは不明だが、彼女を倒しさえすれば解決するだろう。 そこだけを考えればこの後はテトラの捜索に動くべきであるのだが。
「ですけど、ガオ様は大丈夫でしょうか?」
ゼフィのその言葉も正しく、更に可能性で言えばこのゾンビが自分達を足止めするためのもので、すでにそのテトラがガオを襲撃している事もありえるのである。
「ガオ君も簡単に負ける事もないでしょうけど……まあ、あの子の安全が最優先ですね?」
ゼフィが頷いた直後に、ゾンビの肉片がまばゆい光を放ち、それが消失すると肉片も消え去っていた。 代わりに十一枚のお札のような紙が床に散らばっていたのに、「……これは……?」と眉を顰めるアストレア。
「アストレアさん……?」
「これは呪符魔法ですか……テトラさんが使えるならとっくの昔に使ってるはずですよね」
もちろん、単にこれまでは切り札として温存していただけという事もありえなくもないのだが、あまり意味のある行為ではない。 つまり……。
「テトラさん以外にも魔王に部下はいた……まあ、当然と言えば当然ですが、そういう事ですか……」
アストレア達とガオが廊下で合流したのは十分後の事だった、顔面に殴られた跡や腕に爪か何かでひっかかれた傷はあるものの、ほとんど無傷と言っていいだろう。
「やっぱりレアさん達もゾンビに襲われてたの?」
どうにかゾンビ三体を倒したガオはすぐにアストレアとゼフィが心配になり探していたのだ、自分がアストレアがよりずっと弱いという自覚は頭では分かっていても、それは助けに行かない理由にならない。
「ええ、それでガオ君が倒したゾンビは?」
「うん……なんか変な紙になっちゃったんだけど……?」
アストレアが「それですが……」と言いかけた時に、不意に稲妻が轟いた、続いて「うふふふふ……」という不気味な女の笑いが廊下に響く。 その声はテトラのものではないと三人には分かった。
「それはあたしの符術魔法、そうこの魔族エルメスのね?」
いつの間にかガオの前方数メートル先に藍色の髪の女の子が立っていた、どこか楽しそうな表情は、ヒトの遺体を弄ぶという悪行をするような子には見えない。
「君が……?」
「そうよ、あたしが別のファンタジー世界から召喚したゾンビ達。 言っとくけどさ、あれ創ったの多分人間だからね?」
あれとは間違いなくゾンビの事だろう。
「ええ、戦闘の兵士としてか文句も言わず働く都合の良い労働力としてか……いずれにしても外道の極みですわ」
明らかに嫌悪感を抱いていると分かる声で言った後に、ガオの顔を見下ろして「それが出来る醜悪な一面があるのも人間なのです、残念ですが……」とアストレアは諭すように言う。
「……でも、だからってそれで僕達を襲って良い事にはならないよっ!!」
「あたしは魔族だよ? 魔族ってのはそういう事を平気でする邪悪な種族なのさ?」
それが”向こうの人間達”が創り出した魔族という存在、だからガーベラもエルメスも悪い事を悪い事と認識しつつも躊躇いなく実行するのだ。
「まあいいさ、今日はちょっと挨拶に来ただけだしさ?」
言いながらガオの茶色の瞳を見据える、真っすぐで力強そうな瞳だ。
「ガオだっけ、ゾンビの三体に手こずっているようじゃベラちゃんはもちろん、あたしやテトラにも勝てないよ。 筋は悪くないけど経験不足だね」
「それは……」
思わず口ごもるガオの前に進み出たのは、ゼフィだ。
「ガオ様一人で勝てないならボクだって戦います!」
自分なんてゾンビ一体相手にも何もできないと分かっていても、思わずそんな事を言っていた。 一応は主従の関係ではあっても、それが困っている友達の力になりたいと思う時の感情だとゼフィは感じていた。
「そういう事です、勇者であってもガオ君が一人で何もかもする事はないのですよ。 私が出来る事なら私が、ゼフィさんに出来る事はゼフィさんだってします」
ゼフィが力強く頷くのに、「ま、正しい言い方だ」とエルメス。
ガオは二人にそう言ってもらえてうれしいと思いつつも、やはりそれが自分の情けなさからきているものだと思え、複雑な心境だった。
「ガオ、勇者っていうのは強大な力を頼みに魔王を倒す者ではない。 そんなのは勇者もどきだ」
ポシェットから呪符を取り出しながら言う。
「勇者って言葉の本当に意味すること考る事だよ」
「勇者という言葉の意味……?」
ガオにとって勇者とはただ魔王を倒す者という意味ではなかったが、強い力でみんなを助け守るかっこいい英雄というものだったが、それはある意味ではエルメスのいうところの勇者もどきなのだろうかと思う。
「……魔族が勇者に言う事ですかねぇ……」
アストレアが苦笑するのに、「まったくだね?」と肩を竦めた後に呪符を放り投げれば、実際閃光弾めいた目もくらむ閃光がガオ達の視界を奪い、そして閃光が収まった後にエルメスの姿はなかった。
「逃げた……じゃなくて用が済んだから帰ったという事でしょうか?」
まだ不安そうなゼフィに「ええ、そういう事ですね」とアストレアにガオはホッとしながらも、この先も彼女ら魔族の襲撃があるかと思うと不安は消えない。
それでも、勇者の子孫として生まれた以上は泣き言は言っていられないと、ゼフィの顔を見ながら子供ながらに腹をくくるガオであった。




