第二十八話 勇輝
私は服が濡れるのも構わず、病院へ走った。
家には私の自転車もあった。タクシーに乗るお金くらい持っていた。
だけどそんなものは全て忘れてしまうくらい、私の心の中はざわついていた。
ずぶ濡れで息を切らして病院に辿り着いた。
当然、こんな時間に病院は開いていない。
私は夜間の受付で弟の名前を告げ、中へ通された。
教えられた病室に行くと、母がいた。憔悴した表情だった。
ベッドに目をやる。
そこには全身に包帯を巻かれ、身体中に何かわからないようなチューブを幾つも繋がれた勇輝がいた。
「お母さん。」
母は病室のドアが空いたことにも気付いていなかったようだ。私が声をかけるとゆっくりとこっちを見た。
「ひかり・・・勇輝が・・・。」
母のその顔を見て最悪の事態を考えた。
しかしもう一度勇輝を見ると、勇輝から繋がったコードの先のモニターが、勇輝は生きていることを教えてくれる。
「お母さん、勇輝はどうなったの?」
暫く俯いていたが、やがて母が勇輝の事故の事を教えてくれた。
今日、勇輝はいつもの通り公園で一人で遊んでいたらしい。
大好きなアニメが始まる時間が近づき、公園を出ようとしたところで学校帰りの私を見つけたようだ。
公園で遊んでいた他の子供の親から聞いた話では、勇輝はお姉ちゃんと声をあげて公園から飛び出したそうだ。そこに車が。
・・・。
私は黙って聞いていた。
あの時か。
あの時の交通事故が勇輝だった。
確かにあの時、「お姉ちゃん」と聞こえた気がした。
私は何故気になっていたのに、嫌な感じがしたのに、あの時戻らずに友達を優先したのだろう。
私は何故何度もかかってきていた母からの電話を、無視し続けたのだろう。
私は自分の体が冷たくなっていくような気がした。
雨に打たれてずぶ濡れだからだろうか。それだけじゃ無かったと思う。
その後、私は看護師さんが持ってきてくれたタオルで濡れた髪を拭き、母の隣に座る。
そこで二人、一言も話さずに朝まで勇輝を見つめていた。
翌日、着替えなどを取りに戻る母と一緒に家に帰った。
学校を休んで勇輝と一緒にいるという私の言葉は、母には認めてもらえなかった。私が悪い子だったからだろうか。私のせいで勇輝がああなったからだろうか。
学校へ行っても授業なんて一つも頭に入ってこなかった。
顔色を心配した先生に、保健室まで連れていかれたくらいだ。
学校が終わるとすぐに病院へ向かった。
病室に入ると母が医師と何か話していたようだった。
話は終わっていたようで、私とすれ違いに医師が病室を出る。
「お母さん、何を話していたの?」
聞くのが怖い。だけど聞かないわけにはいかない。
「勇輝は・・・。」
母から話された内容に、私は再び深い喪失感を抱いた。
体の方は一命を取り止めたらしい。それはよかった。だけど。
勇輝は頭に強い衝撃を受けたらしい。このまま数日目を覚まさなかったら、再び目を覚ますことはほとんど絶望的という話だった。
私はちらりと勇輝の顔を見、そしてそのまま病室を出た。
病院を出、重い足取りで歩いて家へ帰った。
自室へ入り、勇輝の好きなアニメのDVDをTVに流しながら机に向かう。
そして今日学校で出された宿題を始めた。
宿題を真面目にやるなんてどれくらいぶりだろう。最近はみんなで見せ合ったり、やっていかないことも多かったな。
そんなことを思いながら、正義のロボットと悪の怪獣が戦う音をBGMに、私は黙々と問題を解き続けた。
私がもっと勇輝と一緒にいられたら。あの時、勇輝の声に気付けたら。母からの電話にちゃんと出ていたら。
・・・真面目になろう。あの友達とは縁を切ろう。
勇輝が元気になったらまた一緒に遊ぼう。それまで私は昔の勇輝にとっていいお姉ちゃんでいよう。私は真面目で良い子でいなければならない。勇輝のためにも。
そう自分に言い聞かせて、黙々と机に向かい続けた。
それから私は、友達達の誘いを少しずつ断り、遊びに出歩くことも少なくなり、学校で少しずつ孤立していった。
いいんだ。友達がいなくなっても。勇輝が元気になったら一緒に遊ぶのだから。
しかし、勇輝は何日経っても意識を取り戻すことは無かった。
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・
「・・・・・・・。」
私は暗闇の中うっすらと目を開けて、見慣れない天井を見つめていた。
そうだ、ここはエジプトだったな。今またあの夢を見るなんて。
私は起き上がり、ぐっしょりと汗で濡れてしまった体を拭き、もう一度ベッドへ入る。
そういえば・・・。
声が聞こえた気がした。あの時と同じように。
窓の方をじっと見る。
馬鹿馬鹿しい。勇輝は未だ病院だ。
そう考え再び目を閉じた。
翌日、私たちはカイロの街を歩いていた。
空に舞う砂は収まる様子もなく、朝だというのに辺りは薄暗い。
この砂はどうなっているのだろう。よく目を凝らして見ると、砂の粒が空中をゆっくり流れている。まるで水中にいるようだ。これも怪獣の能力か何かだろうか。
暫く街の中を歩きながら、辺りを調べて回っていたが、やはり砂があるだけで普通の街だった。
それはそうだ。こんな風に歩いているだけで護封機が見つかれば、とっくに世界中で見つけられているだろう。
しかし、今はそれくらいしか出来ることがない。
戦闘が終わったアーデたちと連絡は取れたが、ここにいればいいという事だった。どうやら護封機の方から見つけてくれるらしい。どういうことだろうか。
そんな時、急に辺りの砂が濃くなり始めた。
砂の密度はどんどん増えていき、まるで砂の中に埋められてしまったようだ。
「木崎さん!」
私は全く視界が効かなくなった中、木崎さんがいた方向へ向かって叫ぶ。
少し口を開けただけで、大量に砂が入ってきた。鼻も危ない。袖で鼻や口を覆い、辺りを見回す。が、木崎さんからの返事がない。
まずい。木崎さんを探してうろうろしてしまったせいで、方向の感覚も無くなった。どうする。どうしたらいい。
私の不安が大きくなってきたところで、不意に手首の辺りを掴まれた。
「木崎さん?」
しかし、その手は小さく、私よりも低い位置から掴まれているような感覚がある。
「誰?」
私はその手の持ち主に誰何する。するとその先から声がした。懐かしいような気がする声。暫く聞いていなかった声が。
「お姉ちゃん。」
「えっ!?」
いるわけがない。こんなところに。
「やっと僕の声が届いたね。お姉ちゃん、こっちに来て。」
私は小さな手に引かれて、砂で塗り潰された街の中を進んでいった。
砂で目も開けれず、引かれている手を頼りに進んで来たが
ふっと体の周りの不快感のようなものが無くなる。
私は恐る恐る目を開けてみた。そこには。
「もう大丈夫だよお姉ちゃん。この先に護封機があるんだ。一緒に行こうよ。」
「勇・・・輝?」
そこには勇輝にそっくりの男の子がいた。その子が私をお姉ちゃんと呼んでくる。
「勇輝?僕の名前、勇輝っていうの?」
目を輝かせて、男の子はそう聞いてくる。
そうか、これは護封機のシステムとかいうやつか。
そう思った瞬間、急に怒りが沸いてきた。
「違う!あんたは勇輝じゃない!なんで勇輝の姿で、私をお姉ちゃんなんて呼んでんのよ!なんの嫌がらせよ!」
私は感情の抑えも効かなくなって、男の子にそう捲し立てた。
「え?あ、ごめんなさい・・・。でも、やっと形になれたんだ。今から変えるとなると・・・間に合わないかもしれなくて・・・その。」
男の子は泣きそうな顔をしながら私を見上げてくる。
「なんで泣きそうな顔してるのよ!あんたただのシステムでしょう!?システムにそんな機能まで付けてるんじゃないわよ!」
勇輝の顔で泣きそうな顔を見せられただけで、更にイライラが募っていく。
「ご、ごめんなさい・・・。あ、あのとりあえず奥に護封機があるのから。」
「それってあなたと一緒に乗るってことよね?」
「え?あ、うん。そうだよ。僕が宵闇の護封機のシステムだからね。」
「なら断るわ。」
「えっ?」
「断るわ。あなたと一緒には乗れない。それは私が許さない。」
そう言うと私は勇輝の姿をしたシステムを振り返る事なく、元来たであろう方向へ歩き出した。