第二十七話 陰る砂漠
私は今、カイロ郊外の有名な観光スポット、ギザのピラミッドへ来ている。
本来ならば観光客で賑わっているはずの、このピラミッド前に人の姿は見えない。
いえ、人の姿というよりも、ピラミッドも見えない。
砂が舞い上がり、空を覆い尽くし、視界をも遮っている。
カイロに到着する前からその影響は出始めていたが、ここまで来ると視界なんてゼロに等しくなっていた。
私と一緒に行動している木崎さん(眼鏡の似合うクールビューティーで、正に秘書と言った雰囲気の人だ)によると、他では戦闘が始まっているらしい。蒼也の方は、今は現地に向かって移動中との事だった。
私の方はどうなるだろうか。
視界の無いこの場所は、不意に世界に一人取り残されたような気分にもなる。
昔の事を思い出す。嫌な記憶だ。だけど忘れるわけにはいかない。
ただそこでじっと立って、一人の世界に沈みこもうとしていた私に声がかけられる。
「ひかりさん、ここは砂がひどいですので、一度街の方へ戻りませんか?」
声をかけてきた木崎さんは、そう言いながらもこの有り様の中、なんでもありませんというように全く動じてはいない。
しかし私はそうでもない。平然としているように装ってはいるが、流石に顔を砂が叩き、服の中までジャリジャリとした状態にいい加減限界だった。
「そうですね。一度戻って情報を整理しましょう。」
私たちはピラミッドに背を向け、街へ歩き出した。
その時、後ろから子供の声で呼び掛けられた気がして、後ろを振り返った。
だけどそこには視界を一面に遮る砂が舞っているだけで、人の気配は無かっ
た。
私はさっき振り払われた過去の記憶が再び引き起こされ、思い足取りで街へ向かった。
カイロにある小さなホテルの一室。
本来怪獣が近くに出現し、この辺りもひどい影響が出ている。当然住民たちは避難をしている為、ホテルなんか営業などしている筈もないのだが、木崎さんがこのホテルを使えるように手を回したらしい。見た目通り有能な人なんだろう。
そのホテルの部屋で私たちは向かい合って座っている。
「怪獣は最初に確認された後、その影響を残したままその後は姿を消しています。現地の視界はゼロ。護封機の手がかりを捜そうにも難しいと言うのが現状です。また、神田や笹本にも連絡を取りましたが、向こうもかなりの激戦になっているようで、システム達の助言を得ることは出来ませんでした。」
状況は悪い。護封機をどうやって探すのかわからない。システムたちに聞いておけばよかったと思ったが、もう後の祭だ。蒼也の方はどうしているんだろうか。
「楠木にも連絡は取りましたが、彼方は立て込んでいるようで、詳しい状況は分かりませんでした。が、どうやら怪獣は現地で視認したとのことでした。」
現在、怪獣が姿を消している分、此方の方が時間的には猶予があるのだろうか。
暫く話し合っていたが糸口は見えず、早めの就寝とすることにした。
その頃になると他の状況も入り出した。
蒼也は無事護封機を手に入れたらしい。他の三人も、苦戦しながらも怪獣を撃破。どうやら護封機はおろか、怪獣さえ確認できていないのは私だけみたいだ。此方が逼迫した状況に無いことから、他のメンバーは戦闘の疲労から休息を取り、翌日にはこっちへ向かうようだ。特にヒロとクーゴは連戦だった。
私は少しの焦りを感じながらベッドへ入る。
(お姉ちゃん)
まただ。
私がベッドへ入ると、何処からか私を呼ぶ声が聞こえる。
今度はハッキリと聞こえた。お姉ちゃんと。
私はベッドから起き上がると、窓から外を見る。そこは夜の闇に舞う砂のせいで月の光さえ届かず、ただ真っ暗な闇が広がるだけだった。
気になる気持ちを抑え、再びベッドに入ると私は目を閉じた。
・・・・・・・
「お姉ちゃん。」
そう声をかけてくる子供がいた。
「お姉ちゃん今日は何をして遊ぶ?」
私に笑顔を向けてくる子供の名前は勇輝、私の弟だった。
私が小学校1年生の時に生まれた勇輝を、私はお姉ちゃんとして可愛がっていた。
小学校の友達と遊ばなくは無いが、家で勇輝と遊ぶことの方が多かった。
勇輝も私と遊ぶのが好きみたいで、いつも私にくっついていた。
「そうね、じゃあ今日は勇輝の好きなアニメを一緒に観ましょうか。」
「アニメ!僕ね、今やってる『ちょうまじんきサタンガーぜっと』がいちおしなんだよ!でも幼稚園のみんなに言っても話が難しくてみてないって。小学生とか中学生のお兄ちゃんが見るアニメだって言われたんだよ。」
「そう、勇輝はそんな難しいアニメを観てるの?」
「うん!だってカッコいいんだ!3体のロボットがね!ゆうじょう?の力で合体してね!」
好きなアニメを語る勇輝の目は輝いていた。
勇輝は小さな頃は病弱だった。何度も入退院を繰り返し、幼稚園に友達を作ることも難しかった。勇輝は病院のベッドでよく漫画やアニメを観ていた。歳相応なものを大体観終わると、小学生や中学生の観るようなものにも手を出した。
今は大分良くなって家で過ごすことが多い。
それでもその頃の生活は抜けず、こうして家で私と遊んでいる。
私も勇輝に付き合って、漫画やアニメにはずいぶんと詳しくなったものだ。でもそんな私を出すのも勇輝の前だけで、学校では普通の女の子をやっていた。
私が中学に上がる頃には、勇輝の体調も良くなり入院することは無くなった。
私は中学校で出来た友達と遊ぶことも増えていった。その友達は、学校では派手なグループに分類される方だった。今まで勇輝とばかり遊んでいた私は、そんな新しい世界に惹かれて段々と勇輝と距離が出来ていった。
遊びと言えば、女友達と街ではしゃぐような友達たちに、弟と遊んでいると思われたくなかったからだ。
その頃から勇輝は一人で遊ぶようになった。
体調が良くなったこともあり、最近は公園なんかにも行っているらしい。
時折遊んでとせがんでくるが、私は友達と約束があるからと断っていた。
中学三年になった頃には、遅くに家に帰るようになっていた。
不良と呼ばれる部類だったんだと思う。
ある日私は学校帰りに、友達が見つけたという新しいスイーツの店に行くことになった。
「早く行かないと学校帰りの奴らですっごい行列になるって。」
「わかってるって。」
その店にみんなで向かっている。
住宅街の中を通る、歩道も無いような普通の道。そこを連れだって歩いていた。
「それでさ、そこの・・・。」
友達が何かを言いかけたとき、私たちの後ろで大きな音がした。
私たちは驚いて振り返る。
車が電柱に突っ込んでいた。
「うわー、事故だよ事故!ちょっと見てく?」
「事故なんて見てても面白くないでしょ。それより早く行かなくていいの?」
「そうだそうだ。あー、もう大分並んでるかなぁ。」
私たちは事故から目を反らし、店に向かった。
しかし私の中で一つ気になることがあった。
車がぶつかる大きな音がする直前、「お姉ちゃん」という言葉を聞いた気がする。
私は再び足を止め、事故があった方を振り返る。
「もう、ひかり!早く早く!」
「え?ああ、うん」
しかし私は友達に手を引かれ、それ以上そこには留まらなかった。
到着したSNS映えするパフェを売り出す店の前で列に並んでいると、遠くでサイレンが鳴っているのが聞こえた。さっきの事故だろうか。
パフェを写真に納め、食べた後、私たちはカラオケに向かった。
散々遊び、午後6時を回った頃には入れる店が無くなった。それでも私たちはコンビニ等を巡り遊び歩いていた。
スマホに目をやると母親からの着信が何度も入っていた。いつものことだな、と思っているとまた鳴った。
私はそれを無視してスマホを鞄に放り入れた。
「なに?ひかり、スマホ鳴ってたけど。」
「あー、親。」
「親かー、めんどくさいねー。」
そんな会話を挟みつつ、遊び歩き、家に帰ったのは午後9時過ぎだった。
玄関のドアを開けようとすると、いつもは開いているドアに鍵がかかっている。
私は訝しがりながらも鍵を開けて中に入った。
家の中は真っ暗だった。こんな時間に誰もいないのだろうか?
私を置いて外食にでも行ったのか、と思いながら台所に入ったところで、テーブルの上に一枚の紙が置かれていることに気付いた。
冷蔵庫からお茶を取り出し、コップに注ぎながらそれを見る。
ゴトッ
床に落ちるお茶の容器の音が静かな台所に響いた。
「嘘?」
紙には震える字でこう書かれていた。
『勇輝、交通事故。○○病院』
私は慌てて鞄からスマホを取り出して、母親からの着信を見る。何度も何度も着信が入っていた。その着信の一つから母親に電話を掛けた。だめだ、繋がらない。どうやら電源が切られているようだ。
床に広がるお茶を放って、私は外に飛び出した。
いつしか空は雲が覆い、ポツポツと雨が降りだしていた。