究極魔法と最終奥義の封印
究極魔法と最終奥義の封印
「むむむ…『爆炎、劫火万象滅却』!『爆炎、劫火万象滅却』!『爆炎、劫火万象滅却』!」
『来たりし者の神殿』の奥深く、何重にも張り巡らされた魔力結界の中で、少年の叫び
声だけが繰り返される。
日の出前から始めて、今は真昼もとうに過ぎている頃合いで、少年の上げる声もかなり
カスレ気味なのだが…。
結界の外では数名の神官たちが、ある者は革表紙の分厚い古書の頁を手繰り、ある者は
束ねた羊皮紙にぎっしりと書き込まれた神聖文字の行間に、しきりに注釈を書き加えて
いる。どの神官も少年の詠唱に真剣に付き合っている様子はなかった。
両腕を真っすぐ前に突き出し、左右の手のひらを合わせたり、裏返したり、十本の指を
複雑に絡み合わせたりしながら詠唱らしいことを繰り返すが、それに応じて何か効果が
発生する様子は皆無である。それでも少年は懲りもせず、謎の掛け声を上げ続けていた。
「それならっ…『剛腕、破鋼断罪刃』!『剛腕、破鋼断罪刃』!…『剛腕、破鋼断罪刃』!
はぁはぁはぁ…『剛腕、破鋼断罪刃』!」
な、ならば!『神魔双滅、雷光剣』!…ぜぇぜぇ…『神魔双滅、雷光剣』!…クッ……
何時からか、少年は腰に差していた剣を抜き、上段に、正眼に、あるいは下段に構え、
裂帛の…らしい気合いとともに刃を振り下ろし、切り払い、突き上げるといった動作を
延々と繰り返した。
日が西に傾き、夕暮れを告げる神殿の晩鐘の音が遠く聞こえるころ、息も絶え絶えに
なった少年は、ようやく足元に敷き詰められた複雑な意匠のタイル張りの床にへたり込んだ。
少年は床に突き立てた剣の柄を左手で握って上体を支え、右手の拳で力なく床を何度か
殴りつける。やがて床のタイルには、少年の顎を伝って滴り落ちた汗と涙が、小さな模様を
作っていった。
「気が済みましたかな、勇者殿?」
白い顎髭を胸の中ほどまで垂らした、いかにもという格好の年老いた神官が少年に声を
かけた。複雑な魔法術式が金糸銀糸で刺繍された紫のローブに身を包み、左手に霊銀の
錫杖を掲げた、彼こそがこの『来たりし者の神殿』の神官長であった。
「何故だっ、何故、秘術も秘剣も発動しないっっ?!お、俺は…『勇者』なんだぞっ!」
結界が解除されたことを確認し、神官長はおもむろに少年『勇者』の元に歩み寄る。
剣に身を預け、未だ息を切らしながら、少年は神官長を見上げる。
「はい、貴方が転生した『勇者』であったことは証明されておりますとも」
「魔力量や身体能力について、その潜在値も含めて、貴方はこの世界においても『勇者』で
間違いございません」
神官長に続けて、後ろに控える若手の神官が、束ねた羊皮紙の書き付けを何枚もめくり、
しきりに頷いて見せた。
「ならばっ!」
神官長は豪華な宝石で飾られた僧帽の短いツバの奥に右手を伸ばし、黄金のモノクルの
位置を直す。そして優しささえも感じられる声音で少年に語り掛けた。
「真に残念な事なのです。前世の貴方、といっても随分と時代を遡らねばならぬのですが、
貴方が『勇者』として存分に力を奮われていた、その時代の秘技である『秘術』も『秘剣』も、
今ではその大半が失われてしまっておるのです」
「失われてなどいるものか!俺は前世ではいくらでも…」
「我が神殿では転移者・転生者に関しての、千年を優に超える記録を有しております」
神官長は少年『勇者』に優しく、噛んで含めるように言葉を続けた。
遥かな昔から続く魔王とヒトとの闘いの中で、世界は何度も滅びと再生を繰り返して
きたこと、その中で魔王の側でもヒトの側でも多くの天才や強者が秘術・秘剣の限りを
尽くしてきたこと、しかし無限にも思える時の流れの中で、少しずつそれらは失われ、
今ではその大半が再現不可能になっていること…
「かつて自在に秘術・秘剣を操ってきた『勇者』であっても、次に転生した時には、かつて使い
こなしてきたはずの術や剣技であっても、『あれが、これが使えぬ!』と言う事になって
おるのです…信じたくはないでしょうが、どんなに得心できずとも、それが事実なのです」
この転生において少年『勇者』が使える秘術・秘剣はおそらくそれぞれ一つか二つずつ。
それもすでに伝説と化した『究極魔法』や『最終奥義』に類するものは全て使えないだろう…
分厚い古書の頁をいちいち繰って、中年の神官が補足したが、それが少年には何の慰めにも
ならないことははっきりしていた。
「何故なんだ…?」
「神ならぬ人の身にはわかりかねます。ですが、これはヒトにも魔にも等しく起きている事。
あるいは偉大なる六大龍のどなたかであれば、御存じかも知れませんが…」
「ん?…『至聖なる龍』ではないのか?あやつならば…」
「これはまた異なことを…『至聖なる龍』とは確か…龍族の神話に語られる存在。いわば
架空の絶対神ですぞ?」
神官長の言葉に、少年『勇者』は凍り付いたように体をこわばらせた。
「俺は…俺は…『究極魔法』も『最終奥義』も、『至聖なる龍』から直伝されたんだぞ…」