闇の大魔王の死
闇の大魔王の死
漆黒のマントを翻し、黒の魔王は闇の大魔王の宮殿を駆け抜けていく。
「俺としたことが、なんという失態!賢者如きのつまらぬ策に足をすくわれるとは…」
すでに宮殿は半壊し、通廊の飾り屋根はほぼ吹き飛び、豪奢を極めた大広間の床は
砕け散ったシャンデリアの輝く破片、半分燃え落ちた肖像画の焦げた額縁などが散乱し、
今も天井まで伸びていた太い柱が何本もひび割れ砕け、崩れ、倒れ掛かってきている。
そうした瓦礫に埋もれているのは…黒い血と土埃にまみれた数知れぬ死体、また死体。
つい先日まで世界最強を誇り、下賤なヒトどもを剣の一振り、魔法のひと撃ちで薙ぎ払い、
いいように蹂躙してきた、魔王軍の精鋭たちである。それが今は物言わぬ無残な骸と化して
しまっている。
(俺が奴らの大ぼらに騙されて、独りだけ世界の反対側まで引っ張り回されている隙に、
このざまは何だ…)
燃えて焦げ果てた骸の中にはまだ完全に炭化し切っていないものもあり、そこからは
ブスブスと焦げ臭い煙も立ち上っている。大広間を覆う、まるで目で見える気がするほどの
死臭と混じり合って、呼吸もままならないほどだ。
黒の魔王はしかし、そうしたいっさいに注意を払うことなく、ただひたすら真っすぐに
大広間を突っ切っていく。彼が目指しているのは、大広間の突き当りに半円形に設けられた
十段ほどの飾り階段。階段を登り切れば輝くばかりの玉座が鎮座しているのだが、しかし
今はその玉座は真っ二つに両断され、黒焦げの断面を晒して左右にひっくり返っていた。
その奥には重厚な両開きの扉があるが、常ならば閉ざされている扉は、今は片方の戸は
蝶番が壊れて斜めに傾いでおり、もう片方は中ほどから大きくひび割れて今にも外れ落ち
そうな様子だった。
飾り階段を一足飛びで駆け上がる。扉の先は狭い通廊になっていた。その通廊も魔王軍の
兵士たちの死体が累々と転がっていた。彼らは全て魔王軍の親衛隊員たちだった。
通廊の先には螺旋階段があり、はるか上へと続いている。黒の魔王は、その基部に深紅の塊を
認め、足を止めた。その塊は、全身を深紅のローブで覆うようにしてうつ伏せに倒れ込んで
いるのは、旧知の魔導士、いや、赤の魔王だった。すでに手遅れなのははっきりしている。
黒の魔王は手を伸ばしかけたが、直ぐにその手を戻し、螺旋階段を駆け上がり始めた。
階段の途中にも、親衛隊の屍が何体も、ある者は仰向けに、別の者は俯せに…
全ての感情をどこかに置き忘れたかのように、黒の魔王はただ螺旋階段を登る。彼の口から
ぼそっと呟きがこぼれた。
「紺碧も白炎も散り、紅蓮も斃れたか…『六大魔王』などと嘯いていた日々が幻のようだな」
螺旋階段を登り切った先には、開け放たれた扉から屋上庭園が垣間見える。雷鳴が轟き、
稲妻の閃光が空を引き裂く空が、扉越しに小さく切り取られて目に入ってくる。
戸口に片手をかけ、黒の魔王はゆっくりと半身を屋上庭園に晒した。
そこには、八名の勇者どもがこちらに背中を向けて立ち、その肩越しに闇の大魔王が、
漆黒の宝玉をあしらった王笏を右手に構え、仁王立ちしている姿が垣間見えた。
「猊下!」
「…間に合うたか、黒の魔王よ。ふふ、ヒト風情がと思うておったが、何のことはない、とんだ
無様を晒したものよのぉ」
勇者たちの数名が振り返り、黒の魔王の姿を認めると、一人が手にした呪術の杖を掲げる。
次の瞬間、眩しい閃光が走り、彼の全身は白く輝く光のロープによってがんじがらめに拘束
されていた。
「黒の魔王、我々の策にまんまと乗っていただいてありがとう」
「これも、あなたが魔王軍の主力部隊を率いて、私たちの罠に飛び込んでくれたおかげですね」
「今少し、そこで大人しくしていろ。どっちみち次はお前の番だ」
黒の魔王は声も出せず、ただ歯ぎしりするが、拘束はびくともしない。
「勇者たちよ、そなた達も幾たびの転生を繰り返し、何度もこの場にまで到達したのであろ?」
思いがけない闇の大魔王の言葉に、勇者たちは首をかしげる。
もちろん、この世界に転生というものがあるという事は広く知られているし、勇者たちの
中にも転生の記憶を持つ者もいる。
「このワシもまあ、転生を続けておってのぉ」
「それがどうしたというのだ、大魔王!ここでお前を倒せば、それで世界は光で満ちるんだ!」
一拍の間をおいて、勇者が叫ぶ。
「そうさのぉ、じゃがな、これまでワシもお前らも転生して蘇ってきたのじゃよ、何度もな…
どこの誰がそんな理を司っておるのかは、ワシも知らん。知らんが、何事にも限度と言う
ものはある。石板にチョークで書いては消し書いては消す…どんなに丈夫な石板も、最後は
すり減り、ひび割れるものじゃ。ワシらの転生も、似たようなものと知るが良い」
勇者たちの中から声が上がる。
「訳の分からないたわごとだ。ここまで追い込んだんだ、早くトドメを!」
「よし、みんなありったけの魔力とスキルを叩き込むぞ!」
身動きできない黒の魔王がカっと目を見開くその前で、眩い閃光が闇の大魔王の全身を
捕らえる。
「さらばじゃ、黒の魔王よ。ワシの転生は、これで…」