承前 ある冒険者ギルドマスターの憂鬱
初投稿です。はたして続くかどうか…
承前
--- ある冒険者ギルドマスターの憂鬱 ---
「で、今度の奴はなんだって?」
…二日酔いで頭の芯がズキズキと痛い。痛いが仕事は山積みだ。
ギシギシ軋む椅子のひじ掛けを両手でつかみ直し、座り直すと、俺は傷だらけの
仕事机と向かい合った。最近だいぶ腹が突き出て机の天板につっかえそうなのが
気になるのだが…
仕事机に乱雑に広げられた十枚ほどの羊皮紙から、目指す一枚を摘まみ上げる。
新人関係を意味する片手棍の焼き印が上端に押されている書類で、何名かの名前と
簡単な特徴が書き込まれている。
「リストの三番目の野郎なんですがね。」
俺よりたっぷり頭二つ長身で痩せぎすな中年男が、仕事机の向かい側から指摘
してみせる。どうやら名簿のリストは暗記している様子だ。
「…自称『疾風のドゥトーレ』・ヒト族・男・十五歳・剣士希望…なんだぁ、この
『自称』って…今日冒険者登録に来たばかりで、勝手に二つ名なんぞ名乗って
やがるのか?」
「いえ、それが…コイツ、実は『いつもの奴』でして…えぇ、前世とか転生とかいう
『勇者』様だそうです…」
「頭がいてぇ…」
俺は羊皮紙を机の上に放り出すと、両手の親指で左右のこめかみをマッサージする。
(うん、この痛みは二日酔いだけじゃねぇな…)
王都のギルド本部からこの田舎町の冒険者ギルドにマスターとして派遣されて三年。
これで何人目だよ…自称『勇者』様とやらは…
「それでですね、オズワルドさん…っつーか、マスター。お察しの通りでして」
俺は放り出した新人登録リストを拾い直すと、机を挟んでだらしなく突っ立って
いるサブマスターのレオニードをひと睨みした。ついでに右手で頭を掻きむしる。
最近ちょっと頭頂部の寂しさが増した気がしてならないが…気のせいだな、うん。
「その『勇者』様が、『世界を救うから、相応しい仕事をくれ』とおっしゃっている、
というわけか?…この『適正ランク値オールFの勇者様』が?」
「まぁ、そうなりますね。昨日は朝一番から昼間で、受付でずっとゴネてたんで
すよ…」
レオニードは上着の内ポケットからパイプを取り出して軽く一振りする。彼の
右耳の後ろに浮いている火の精がスッと近寄って小さな火花を飛ばす。
サブマスターは右手でパイプを燻らせながら、左手でギルドマスターから書類を
受け取ってヒラヒラと振って見せると、机上にそっと戻した。
冒険者ギルドでは新人を登録するにあたって、最低限度の能力や適正値を測定する。
ファイター、レンジャー、ソーサラー、ヒーラーといった職種別適性を、AからF
までのランクで表し、新人の進むべき道を示す。そうすることが新人の死亡率を下げ、
冒険者人口の底支えに繋がるからだ。
しかし、この『自称勇者・疾風のドゥトーレ』なる新人は、チェックリストによれば
全ての分野で適正Fランクだという。
筋力も持久力も反射神経も知力も魔力もFランク…まるで良いところが無い。
これは…
俺は目を閉じると、椅子の背もたれに体を預けた。椅子がギシリと軋む。
「頭の中がお花畑な坊ちゃん、というわけじゃないんだよな?」
「えぇ…生憎と、教会の司祭直筆の証明書を持参してやがりました。それで、適正値の
検査にはいつもの倍の時間をかけましたよ」
つまり教会の秘術で本人の魂を覗き込んだ結果、【前世の記憶を持った転生者である
可能性が高い】と認めた存在だ、ということだ。…もっともそれが【すなわち勇者で
ある】というお墨付きにはならないのだが。
「おまけに『俺様は前世の記憶がある!世界最強の勇者として魔王を倒し世界を救った
英雄だ!』と大見えを切ってましたけどね…」
「ん?『けどね』とはどういう…」
俺がわざとらしく片眉をひそめてみせると、レオニードはお手上げですとばかりに、
両手を広げてみせた。
「いえね、ギルドの受付カウンターの前で、椅子に片足ついてそっくり返って偉そうに
見えを切ったところを…」
「周りのテーブルの連中から、飲みかけのエールやら、食いかけのトカゲの足やら
投げつけられて、そのままひっくり返ってたか…?」
「ま、まあ、そうっすね…まるで見てたみたいっすね、オズワルドさん」
「何しろ、全適正がFランクだからなぁ…万が一に勇者だとしても…いやまあ、『元勇者』
だったんだろうが…こりゃあポンコツ決定だろ?」
幼少時から体を鍛え、知識を蓄え、目標を高く掲げて努力してきたのであれば、
たとえ基本的な能力は低くても十五歳程度になれば、どこかの分野でDランクあるいは
Cランクの適正値に達していてもおかしくないはずだ。それが、この『勇者』には一つも
いい所が無い。ということは…
「転生じゃなくて、異世界で十五歳まで成長しきった後で転移してきたわけか…
その異世界にゃあ、魔王もいなけりゃ魔法とかも無かったんだろうなぁ」
「そうなりますなぁ」
レオニードは左手の指先でドジョウ髭の先端を摘まみ、ちょっと捻って指を離す。
異世界からの転生とか転移とかは、珍しくはある。だが、「ありふれた存在ではない」
というだけ。ただそれだけだ。現にこのギルドに関しても、一階の受付カウンター前に
たむろしている二十人ほどの冒険者たちのうち、八人はそういった連中だ。中には
「転生は五回ですが、この世界に来たのは多分二回目っす」という奴もいたりする。
『転生』に関して言えば人は皆、死んだらこの世界やら異世界に転生する。その際、
記憶は真っさらな状態に上塗りされるのだが、『上塗りし損ねた奴や、上塗りが不十分で
成長の途中に以前の記憶が浮かび上がってきた奴とかが、いわゆる転生者である』と
いうことだ。
面倒なのは『転移』で、これはどんな理屈なのか、王都の賢者連中でもよく分らない
らしい。ただ、記憶と肉体を持ったまま異世界から転移してくるので、元の世界での
肉体能力だけはそのまま持ち越しとなる。強い奴は強いまま、弱い奴は弱いまま転移する
ようだ。
十五歳で転移してきたらしい『疾風のドゥトーレ』とやらは、しかし勇者の能力を
すっかり失っているらしい。これはどういう事かといえば、推測はつく。
おそらくコイツが『勇者』だったのは前世ではなく、前前世だ。そこで一度、魔法とかの
ない異世界に『転生』し、前世の記憶のないまま成長したのだろう。そして十五歳でこの
世界に『転移』した際に、その時のショックか何かで前前世の記憶が蘇ったといった
ところか。
おそらく「勇者だった」という自覚もない状態で、身体も鍛えず魔法も知らぬまま、
前世で十五歳まで凡人として成長してしまったであろう彼は、凡人としてこの世界に
転移してきた。残念なことに、蘇った『勇者』の記憶とともに…
「いるんだよなぁ…究極魔法とか必殺技とかぶっ放してた記憶だけ持ってるけど、
実際には何も出来ません、って困った『勇者』様って奴らがなぁ…それに俺たちの
この世界にゃあ、そもそもの話、『魔王』がいないんだよな。こりゃあどうしたもん
かなぁ…」
誰にともなく俺は呟いたが、事務屋の顔になったサブマスターは感情のない声で
あっさり言った。
「昨日は、『とりあえず勇者様の扱いは慎重にしたいから』と誤魔化して、お帰り
願いました。なので、今朝は出直してきているはずですよ。…仕方ないでしょう。
いつも通りということで」
右手に持ったパイプに軽く左手をかぶせる。袖口から一瞬、微風が流れ、火の
消えたパイプの清掃が完了する。
「ま、きまりだからな。『勇者』様の説得は、すまんがサブマスター殿に任せる。もし
同じ新人の中に、こいつのサポート役になれそうな奴がいたら、組ませてやってくれ」
俺は仕事机の引き出しを引っ掻き回し、初心者用訓練コースの指示書を探し当てると、
今回登録される予定の新人冒険者の名前を書き写していく。そして必要事項を書き込んで
サブマスターに渡す。
最低限の訓練と入門用クエストが幾つか。内容は座学と簡単な実習中心の三日間と、
実技訓練を兼ねた講習一日半。全て消化して計五日間の簡易育成コースであり、終了時
にはFランクのギルドメンバー証が発行される。さらに冒険者生活のスタートへの餞別
として銅貨三十枚が支給されることになっている。…特別扱いはしないし、できない。
そういうことだ。
書類を受け取ったレオニードはざっと中身を確認すると、軽く一礼して出て行った。
彼はサブマスターとして、階下で待機している新人たちに最初の指示を与えるのだ。
「運があって、生き急がなけりゃ…なんとかなる…かもな」
俺は顔も知らない『勇者』様の行く末をちょっとばかり気にかけたが、こればかりは
本人が頑張らないとどうしようもない。実力のない奴にこの世界は優しくないし、俺には
ギルドマスターとしての仕事が山積みなのだ…
二日酔いの頭を何回かブルブルッと振り、机の上に溜まった書類を一瞥した俺は、
とりあえず足元に置いてある背の高い陶器の壺に手を伸ばす。
「ま、ひと口呑んだら仕事だ…」
(憂鬱だなぁ…)