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22 僕は悪魔の、君に恋した天使

 年間事故死亡者数、と言うのをご存知だろうか。年によってそれはかなり変わって来るけれど、しかし不思議なことに千人単位で増減することはまず、ない。

 ある年は三千九百。ある年は三千八百。そんな風に、意外なことに。四捨五入という暴力的な数字の操作をしてしまえば、凡そ四千から変わることはない。

 そして更にバスでの数値はほぼ毎年、全体の内一割程度を占めるそうだ。


 毎年同じだけの人が亡くなっている。決まって、同じ数だけ命が失われている。

 それは一億数千万と言う大きな分母の中では、極々少数ではあるのだろうけれど。しかしその一つ一つに人生があり、決して小さな物であるとは言えない。

 そう考えると気が狂いそうになる。今はまだ春だけれど、残り三分の二。決まって亡くなる命はあり、つまりこれから確実に亡くなっていく人が、今生きている。

 その人達は何をしているのだろうか。この一年で命が結ばれてしまうと知りながら、彼らは何をしているのだろうか。

 きっと自分には関係ないことだと思いながら、事実は事実として確実にそこにあると言うのに。どこか他人事で。



 そして僕もそう言う人間だった。






「! わるこさんッ!!!」


 それは突然起きた。まだ午前にも関わらず、僕の視界は暗転する。

 激しい衝撃と轟音。天地がわからなくなり、僕の体に走る厳しい痛み。背中に何か刺さったか、足が何かに押し潰されたか。僕の腕の中には、今何があるのだろうか。


「な、なにが起き……ぐッ!?」


 鈍痛。

 僕が最後に見た景色は、大型トラックがバスの横っ腹を思い切り抉りにかかる光景。

 身体が反射的に動いた気がした。だけれど、次の瞬間には五感全てが失われていた。


「あ……ッ……がァ……!」


 全身が焼けるように痛い。だけれど四肢の感覚がない。痛みはあるのに、痛覚は機能しているのに、触覚が機能していない。

 いや、僕のことは良い。何が起きたか理解するよりも、痛みに声を上げるよりも、何よりも先に彼女を。彼女の安否を。


「わ、るこさん……! わるこ、さん……ッ!」

「良人……くん」


 僕は必死に叫んだ。だけれど実際は、絞るように苦しそうに彼女の名を溢すことしか出来なかった。

 そして意外なことに、返答はすぐに聞こえた。だけれど遠い。彼女は何処にいるんだ。


「ハァ、ハァ……! わるこ……さん……ッ。君は、無事かい……!」

「……ええ、大丈夫。大丈夫、よ……っ」


 僕は一先ず安心する。遠くで小さく聞こえる彼女の声は、案外僕なんかより元気そうだった。声は震えていて、きっと恐怖で泣き出しそうなのだろう。

 早く見つけて抱き締めてあげたいけれど、彼女は一体どこにいるのか。


「わるこさん、君は、どこ……」

「私は、私はここよ、良人くん。今……い、いまっ! 貴方の腕の中にいるの! 良人くんッ!」

「…………え?」


 彼女の声は完全に泣いてしまっていた。しゃくりを上げて、苦しそうに。だけれど必死に叫んでいた。

 そしてその彼女は何と言っていたか。…………僕の腕?


「…………そうか。僕は、君を守れたのか」


 そう知ってみると、腕の中には柔らかな感触があった。目を開こうとしてみたけれど、左半分が真っ暗で、辛うじて見える右半分も赤に染まっている。

 赤い視界の状況から察するに。僕達は今、ぐちゃぐちゃになったバスの中にいるらしい。光が閉じて、上手い具合に僕らの周りだけ座席や天井が降ってきていなかったのか。


「いいえ……良人くん。今、あなたの、あなたの足は……! 背中は! 顔は……っ!」

「……はは。どうなっているのか、僕にはわからないよ。教えて……くれる、かな」


 頑張って首を下げると目を真っ赤にして、折角の綺麗な顔をぐしゃぐしゃにしてしまったわるこさんが、そこに居た。


「貴方は私を庇ってくれたの! そのせいで、そのせいで足が椅子に潰されて、鉄の破片が背中に刺さってッ! 顔は、顔は左側が無くなって……ッ!!!」

「ああ、そうなんだ」


 ああ、そうなんだ。

 そうとしか言えなかった。それ以上の感想はなかった。だけれど何故か満足感と言うか、達成感があった。

 きっとそれは、ボロボロの僕に対して、彼女が存外綺麗なままだからだろう。


「はは、そっか。僕は、ここまでなんだね」

「良人くん! 良人くんッ!!」


 彼女は僕を強く抱き締める。だけど、こんなにも近くにいるのに、遠くでしか声が聞こえないんだ。

 きっと僕はここまでなんだろう。


「ごめんね、わるこさん。君を置き去りにしてしまう」

「嫌! それは、そんなのは……絶対に嫌ッ!」

「はは。わるこさんはわがままだなぁ」


 激痛の右腕を無理矢理動かして、彼女の頭を撫でる。


「僕はね、わるこさん。凄く幸せだったよ。君と出会って三十年以上。いつも君が傍に居て、僕は幸せだった」

「いや……行かないで……やめて、良人くん……」

「ごめんね。でもダメなんだ。魂が、もう帰ることを悟ってしまった。僕はもう、この世界には居られない」


 彼女は僕の腕の中で震える。僕は腕の中の彼女を一層抱き締める。

 もう痛みはなかった。ただ身体中に幸福感だけが満ちていた。


「ねぇ、わるこさん」

「……なぁに、良人くん」


 わるこさん、君はやっぱり素敵な人だよ。僕がダメだと言えば、君は僕の言葉を聞くためにわがままを我慢してくれる。

 ごめんね、本当に。


「僕は昔から、ずっと思っていたことがあるんだ」

「……うん」

「君は、『本当は人を壊したいんじゃないか』って」


 ……。


「うん」

「はは、否定しないんだね」

「事実……だもの」

「そっか」


 ……。


「最後だから教えてほしい。君は、その破壊衝動を抑えて生きてきてくれたけれど。どうしてそこまで物を壊したかったの」

「私は」


 …………。


「私は、形あるものを壊したい。それは破壊と言う単純な快感でもあるけれど。芯の部分は『あるべき姿からきちんと姿を終わらたい』と言う欲求だった」

「きちんと終わらせたい……」

「ええ」


 ……わるこさんは微笑んでいる。


「作ったから、付いたからと言ってそのままにするのが嫌。終わらせずに、捨てるだけ、残しておくのが嫌」


 その考えは僕とは逆で。作ったものを、出来ることなら永遠に残しておきたい僕とは、真逆だ。

 何故そう思うのか、何故彼女はそんな価値観を持っているのか――


「――だって私は、そうやって生まれたもの」

「……そうか。そうだったね」


 彼女は穢れだった。人の魂がこの世界で少なからず付けてくる、穢れ。僕が集めて掃除して、ゴミ箱に集めていただけの。ただ溜め込まれていた穢れ。

 彼女自身、そうやって残されて。終わらせてもらえず、永遠にも近い時間閉じ込められていたから。


「なら、君は僕を恨んでるんじゃ」

「いえ、初めはそうだったかもしれない。けれど、私は穢れとして貴方を見ていた。人間に恋い焦がれる、可愛らしい天使の貴方を」

「……」


 考えたこともなかった。穢れに穢れとしての意識があったなんて。


「そしてそんな貴方が、不注意とは言え私を解放してくれた。貴方が、私の生まれるきっかけを与えてくれたことに感謝しているの。いつも見ていたから貴方を知っていた。人間に憧れているのも知っていた。だから」

「だから?」

「だから、捕まっても良いから。共に居たかった」

「……はは、そうだったんだ」


 僕は笑う。きっと外から見れば、潰れた顔で、とても醜い笑顔なのだろうけれど。だけど、僕は心底爽やかに笑えた。

 こんなにも幸せなことがあるだろうか。愛しの人に、産まれるよりも前から愛されていただなんて。


「ねぇ、わるこさん」


 僕は呟くように呼ぶ。もう声はどれくらい出ているのか、僕自身にもわからないけれど彼女を呼ぶ。

 そして、僕の事を想い続けてくれた彼女の為に。最後に僕が出来ることをしてあげたいと思った。


「僕を壊してくれ」

「――――え?」

「君の手で僕を壊してほしい」


 僕は彼女の体を少し離すと、正面に向かい合って言った。


「君は壊したくて仕方がなかったものを、何年も我慢してくれた。それは、申し訳ないけれど。僕がいなくなったあとも我慢し続けて欲しい。だからこれが最後。僕を壊して、これ以上何かを壊すのは最後にして欲しい」

「よし、と……くん」


 力の入らない腕で再び僕は彼女を抱き寄せる。


「それに、天界に帰るのなら君の手で帰りたいって言う僕のわがままでもあるんだ。……どうかな」

「っ…………ええ、わかったわ」

「ありがとう。――ん」

「――っ」


 最後の口付けを交わす。

 僕は近くに落ちていたガラス片を拾い、彼女に握らせる。そして、最後にもう一度だけ彼女を抱き締めると。

 僕の世界は間もなく閉じる。


「愛しているわ、良人くん」

「僕もだよ。僕は、君だけを大好きで。君だけに『恋』し続けているよ。……あかりのことは、君に頼んだよ」

「任せて」


 目を閉じる。


 良人としての体を、僕は脱いだ。






 三つの誓いの内、最後の一つは叶えられなかったかな。だけれど、せめて。形として達成したことにするために。

 君の魂の穢れは、全て僕が貰い受けていくよ。

本来はここで話を終わらせるつもりでした。

完全に蛇足となってしまうエンディングが次のページです。

正直生ぬるい終わり方なので、このままここでやめて頂いても結構です。

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