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12 良人くん、あなたの部屋に入ってもいいかしら?

「ね、良人くん。今日はあなたの部屋に入ってもいいかしら?」


 わるこさんと正式に彼氏彼女の関係になってからしばらくして、彼女は僕に訊ねた。

 そういえば今まで、わるこさんが僕の部屋に入ってくることはなかった。分かりにくいけれど、そこで何か一定の線引きをしていたようだ。


「僕の部屋なんて特に何もないよ? 机とベッドと、最低限の僕の私物だけで」

「良人くんは気付いていないかも知れないけれど、小さい頃から私。あなたの部屋に入ったことはないのよ。それこそ遊ぶときはいつもリビングだったじゃない」

「あー……確かに」

「それに、いつもお休みなさいと言ってからそれぞれの部屋に入っていくのが……なんと言うか」


 と、言うことで。僕は伏し目がちな彼女を部屋に招き入れる。


「どうぞ、ここが僕の部屋だよ。誰かが入ることなんて想定していなかったから椅子は一つしかないし……まあベッドでもどこでも適当に座りなよ」

「…………良人くん」

「どうしたの? とにかく入りなよ」


 彼女は部屋の扉の前から動かない。扉は開けたのだからもう入るだけなのに、彼女は部屋の中を眺めるだけだ。


「その……なんでそれがそこにあるの?」

「それ?」


 わるこさんが指差すのは部屋の壁。いくつか絵が飾ってあるだけで、何もおかしなところはない。


「私の……私の描いた絵」

「ああ、小学生の時のだよ」

「だ、大事に飾ってたの……?」

「当たり前じゃないか」


 彼女はつかつかと絵に歩み寄ると、ハサミを手に取った。意味に気付いた僕は慌てて駆け寄る。


「だ、ダメダメ。何しようとしてるのさ」

「お察しの通り……破壊よ。この絵は私が描いたもの。だから私が、これを壊す」

「最近大人しくしてると思ったらこれだよ」


 とにかく僕はハサミを取り上げる。


「返して良人くん。私は私の絵を壊さないと行けないの。そうすることで、初めてこの絵は完成する」

「ダメだってば。昔言ったけれど、僕はこの絵が好きなんだ。それに君は僕にこの絵をくれたじゃないか」


 わるこさんが壊すことが好きなように、僕は残すことが好きだと。

 だから僕は彼女からこれを貰い受けて、大事に大事に飾ってきた。


「何か大変なときや嬉しいことがあったときや、色んな時をこの絵と僕は過ごしてきたんだ。残していたからこそ価値が生まれたんだ。だから壊さないでほしい」

「……でも、恥ずかしいもの。それに悔しいわ」

「なにが?」


 わるこさんは最近よくするようになった表情を浮かべる。目を伏せて耳を赤くする、とても愛らしい表情。


「私の絵が十年近く良人くんの傍にあったなんて。自分の絵でも嫉妬してしまうわ」

「……」


 僕は思わず彼女を抱き締めた。


「わるこさんって、可愛いね」

「可愛い? 綺麗とはよく言われるわ。それに可愛いは、良人くんの為にある言葉よ」

「…………君がそれを悪意を持って言っているのなら怒るべきなのかな、僕は」

「悪意なんて無いわ。本心よ」


 彼女は僕の腕の中でクスクスと笑う。相変わらず耳が赤いので、僕は反論することはしなかった。


「ね。机に置いてある粘土の像。あれも私が作った物じゃない?」

「花をモチーフにした作品だよね。そうだよ、あれは五年生の時に僕が貰った」

「あと、壁に掛かってる絵と椅子に置いてあるマットも」

「それぞれ中学生の時に貰ったね。あのマットもずっと使ってるから、ぺちゃんこになっちゃった」

「そ。…………これが良人くんの最低限の私物なのね」


 僕の部屋を彩る絵や家具や、その他芸術品は僕がわるこさんから貰い受けたものばかりだった。

 彼女が一生懸命作って、完成させて。壊そうとしたところを僕が止めて。

 そうやって僕は彼女の作ったもので埋めつくされた。


「そうだよ。こうやって形に残しておくのも良いでしょ? 僕らはずっと一緒にいるから、その分思い出もたくさん詰まってる」

「そうね」


 例えばあの絵は何処に行って描いたか。例えばあの花を作った頃は、僕達はどんなことをしていたか。

 形があるからこそ、思い出を想い、思い出すことが出来るんだ。


「良人くんの作品は?」

「……君が逐一壊してきたじゃないか。マットはカッターで切り刻んでたし。頑張って作った本立ては焼却炉で燃やして、その灰を集めてこれ見よがしに桜の木に撒いて、その年はその桜が花を付けなかったから『花、咲かないわるこさん』なんてあだ名まで付けられてた」

「そんなこともあったかしら?」

「あったよ」


 わるこさんは基本的に自分の過去には無頓着だ。僕が思い出を話すと笑うことはあるが、自ら話をすることは少ない。


「僕はわるこさんの作品が好きだよ。だから壊さないで残して置いて欲しいんだ」

「私も良人くんの作品が好きなのよ。だから残さないで壊したくなる。決して形には残らないけれど、そこには散り行く美しさがあるのよ」

「そうなんだね」


 僕はわるこさんを再び抱き寄せる。そしてそのまま僕のベッドへ倒れ込む。


「……私が良人くんの部屋に来たがった理由。理解できてくれたのかしら?」


 彼女は真っ黒な瞳を、僕に真っ直ぐ向けて微笑む。だから僕はその。

 愛らしい耳を、頬を、唇を撫でる。


「君はいつも分かりにくいよ。僕はわるこさん程鋭くないんだから、もっと分かりやすい言葉にしてくれないと」

「そうかしら。それでも、今回の場合。女から言い出すのは、みっともないのよ?」

「そうかな? 僕は嬉しいけどね」


 そして僕は人生で何度目かわからない口付けを、彼女と交わす。


「良人くん」


 彼女を抱き寄せると、わるこさんは僕の胸の辺りから上目遣いで僕の名を呼んだ。

 その熱っぽい表情に、胸の芯が熱くなる感覚を覚えた。


「優しくしてね」

「っ!?」


 彼女らしくないセリフ……でもないか。一瞬驚いた僕の表情を見て、彼女はクスクスと笑った。

 悔しかった僕は、再び彼女に口付けをしたのだった。

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