11 良人くん、子供が出来たわ
「子供が出来たわ」
「…………え?」
「子供が出来たわ」
「だ、誰の?」
彼女と暮らし始めて半年程。わるこさんはある日僕にそう言った。
「勿論、良人くんのよ」
「…………………………」
正直意味がわからなかった。懸命に理解しようと思考を巡らせてみたけれど、いくら考えても答えはでない。
「彼氏にこう言えば慌てふためくって、会社で聞いたものだから試してみたのだけれど」
「あ、そうなんだ。……彼氏?」
「あっ」
わるこさんは慌てて顔を背けた。いや、待ってほしい。
大前提として、僕は彼女とルームシェアしているだけの。友人と言えば遠い気がするけれど、言うなればそう……幼馴染なのではないか。
「か、彼氏って?」
「……言いたくないわ」
「え、どう言うことなの?」
僕は困惑する。彼女が、からかってこないからだ。
例えば今みたいに僕が慌てて、困惑していたら彼女はすぐに悪戯な笑みを浮かべるだろう。そして「彼氏なんて言わないわ。良人くんは仲良しなただの友達だもの」とか言うはずだ。
それが――ない。
「あ、あれ。わるこさん? なんで僕の方を見てくれないの……?」
「言いたくないものは言いたくないわ」
「子供みたいなこと言わないでよ。僕らもう大人だって」
彼女は依然顔を背けている。断片的な情報を伝えるとするのなら、拳を握り。肩を震わせ、唇を噛み締めている。
耳は真っ赤になっていて、僕は困ってしまう。
なので僕は彼女を助けることにした
「あ、はは……わ、わかったぞー。君は僕をからかっているんだー」
「!」
ピクリと彼女が反応する。そうだ、それに乗ればいい。
そうすれば君はいつも通り僕をからかうだけで……済むんだから。
「ま、参ったなーてっきり僕は……えーと、えーと」
ここで考えるために止まる。どんな風に話を持っていけば彼女が乗りやすいだろうか、と。
出来るだけ間抜けな感じに。彼女では有り得ないような方向に……。
「えと…………そうだ! てっきり会社では僕のことを彼氏だって言っていてー、それが今たまたま流れで出てきてしまったのか……と…………」
「……っ…………」
僕は気付く。彼女の肩の震えが、拳や唇にまで広がっていることに。
え、嘘……この反応は、まさか。
「図星!?」
「~~~~ッ!!」
彼女は耳だけじゃなく、顔まで真っ赤にして僕を睨んだ。潤んだ瞳がいつもの覇気を打ち消している。
「も~~~~!!! 良人くんのバカバカバカっ!! なんで全部言い当てるの! いつも私があなたをからかっているのに! こういう時に、たまに鋭いことを言うのは本当に変わらないわね! ええそうよ、その通りよ! 私はあなたの事をそうやって言っていたわよ! なによ! 悪いかしら!」
「ま、待って待って待って! そんなわるこさん見たこと無いよ! 落ち着いて!」
彼女は爆発したように、若しくは洪水のように僕へ言葉を流し込む。よっぽど恥ずかしかったのか、彼女は本当に愛らしい表情を一片も隠せずにいた。
そして慌てる僕は心の裏側で、互いの感情が人並み程に育っていることに喜びを覚えていた。
「だって仕方ないじゃない! 小さい頃からずっと一緒だもの! もう良人くん以外と一緒に居たくないの! 最近昔以上に男が寄ってきて、私だって嫌悪感を覚えるようになって! 試しに良人くんを彼氏だって言ってみたら効果があって、私自身案外腑に落ちたと言うかなんと言うか。実際そうだったら良いなとか思っちゃって、会社の人達にノロケもするようになってしまって!」
「お、落ち着いてってばぁ!」
僕の体をぽかぽかと叩くわるこさん。威力は物を壊すときなんかよりよっぽど優しくて、痛くもなんともないけれど。
けれど真っ赤になりながら、目すら回して錯乱する彼女に僕も戸惑いを覚える。
「もう……落ち着け!」
「ひぅっ!」
耐えきれなくなった僕は、彼女のその。思いの外小さな体を抱き締める。
いつかに手を握った時には冷たかった彼女ではあったが、今は興奮状態にある為か存外暖かい。その温もりを僕は目一杯抱き締めながら、出来る限り優しく呟く。
「落ち着いて、わるこさん。君は冷静な人だ。大丈夫、ゆっくり深呼吸しよう」
「……良人くん」
「大丈夫。大丈夫だよ、わるこさん」
ついでにそのサラサラの黒髪も撫でる。すると少しずつ彼女の呼吸が落ち着き、やがてゆっくりと僕の背中に彼女の手が回った。
「……落ち着いたね、わるこさん」
「…………ええ、少し錯乱していたわ」
「錯乱って……そんな言い方しなくても」
彼女はクスリと微笑んだ。
「あのね、良人くん」
「うん」
「昔から私、良人くんの事が好きよ。友達として、気の許せる怒られ仲間として。そして――んんっ」
「ん……その先は僕が言っても良いかい?」
わるこさんの言葉を、強く抱き締めることで遮る。その先の言葉は僕が言わなくちゃならないと思った。
言わなくちゃならないと思ったし、僕が言いたいと思った。
「僕もわるこさんが好きだ。友達として、気の許せる怒られ仲間として。そして……大事な女の子として」
「……うん」
彼女の腕が少し強く抱き締めてくる。
「僕は所謂天使だった。人々を見守る天使だった。神が人々を愛するように、僕も人類全てを愛している。勿論君のことも愛している」
「……そうね」
「でも――」
彼女は少し不満そうに返した。だから僕は続けて告げる。
「僕が『恋』したのは君だけだ」
……。
「君以外に恋をしたことはないし、これからする気もない。僕はずっと君に恋をしていて、これからもずっと君に恋をしている」
「……けど」
「君が僕を彼氏だって言っていたのは、嬉しいよ。ほら、僕達の間柄って何だか不思議な距離感だったじゃないか。それを君自らが踏み越えてきてくれたようでさ。とても嬉しい」
僕達は互いに距離が近すぎた。今更そんな風に言えるような雰囲気はなかったんだ。故に踏み込みきることができずにいた。
だから彼女のその秘密は素直に嬉しかった。
僕は少し彼女の体を離して、正面から瞳を合わせた。そして告白。
「わるこさん。君が良ければ、僕と結婚してくれないだろうか」
「…………」
この後の彼女の反応の前に言っておきたいことがある。
僕は至って真面目に告白したつもりだし、わるこさんだけを好きでいるつもりなのだ。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………プフッ」
「!?」
彼女は吹き出した。
「フフ……フフフ! 良人くんってば、彼氏飛ばして旦那さんになっちゃうじゃないの」
「!?」
「もう……バカね。しかも人類の方が先に愛してるだなんて浮気宣言までするし」
「え、いやそれは浮気とかじゃなくて」
「ふふ……ばか」
「だ、だから――んっ」
それが僕と彼女の初めての口付けだった。
「私も良人くんにずっと『恋』していたわ。そしてこれからもずっと恋してる。それに私は良人くんと違って、良人くんだけを『愛しているわ』」
「!!」
そこで僕は気付いた。
「愛しているって言われるのって……すごく嬉しいね」
「そうよ。私は全人類の内の一人らしいけど?」
「ご、ごめんよ! 僕も君を愛してるよ!」
なんてことがあって。
僕達は出会って二十年以上経って、やっと正式に付き合い始めた。