10 わるこさん、多分その涙は
いつもからかわれた僕の、情けない話ばかりでは悔しいので。たまにはわるこさんの可愛らしかった話をしたい。
「ねえ、良人くん」
「どうしたの?」
「人間はどうして泣くと思う?」
それは中学生の時。ある日の授業で彼女が僕に訊ねてきた。
「また難しい事を聞くね。僕はそんなに泣いたことがないからなぁ」
「……ふふ、私もよ」
僕は感情が薄い。それは魂が根っからの人間ではなく、天使の生まれ変わりであるからだろう。
天使の時に泣いたり笑ったりしたことがないから、人間としての僕もあまり泣いたり笑ったりができない。
そう言う意味ではわるこさんも同じなのだろうか。
「泣いたことがないとは言うけれど。生まれたときには泣いて生まれるし、赤ん坊の頃はそれこそよく泣いたんじゃないかしら?」
「そうだねぇ……人は皆この世に生まれて来たときに泣く。それはこの世界には幸福があって、その喜びで歓びの涙を流す…………」
僕はそう思う。天使として彼ら人類を見守っていると、いつもそう感じていた。
泣いてはいるけれど、とても嬉しそうに見えていた。
「良人くんはそう思うのね。私は逆ね」
「逆?」
「生まれて来たときに泣く。この世界は苦しくて、痛くて、重くて。本当は魂のまま神の元に居たかったのに、順番でまた人間界に降ろされる」
「…………」
そんなことは、無いはずだ。あくまで『はず』だ。
天使としての僕は人間の感情が理解できなかった。当時の僕には魂は生まれ変わることに喜びを感じていると思っていたし、僕自身もとても羨ましく思っていた。
だから、そんなはずはないんだ。
「嫌だ。生まれたくない。こんな世界に居たくない。…………私にはどうもそう言う風にしか見えなくて」
わるこさんは目を伏せて呟いた。無機質な目には光が無く、代わりに雫を溜めていた。手元を見つめ、視線を動かす気配はない。
一見すれば落ち込んでいるようにも見える彼女が、僕は心配になってくる。
「わるこさんは」
「……?」
「わるこさんは、生まれたくなかった? 魂が天界からこの世界にやってきて。赤ん坊から育って、幼稚園児になって、小学生を越えて。そして今中学生になった君は、今ここに居たくない?」
「それは…………」
…………。
「私は、今はとても楽しいわ。物を壊して、形を奪って、自分の好きなことを好きなようにして」
「…………」
それには少し、頷きかねるけれど……。
「なにより良人くんと一緒に居るのが、楽しいわ」
「な、何を言ってるのさ」
わるこさんはニコリと微笑んだ。中学生の良人としては少し照れくさかったので、慌てて話を戻した。
「人はたくさん泣く。痛かったり、悲しかったり、寂しかったり。でも何よりも嬉しいときに泣くと思うんだ。君が今ここに居ることが楽しくて、嬉しくて。喜びに満ちているのなら、きっと君はその涙を流せると思う」
「そう、ね」
彼女は少し赤くした目を僕に向けた。溜まった雫はそろそろ限界なようで、もう少しで流れ落ちてしまうかもしれない。
「それなら、私は今。この世界にいる喜びで泣いているのね」
そして決壊。
彼女の頬に一筋の線が流れる。
「私は涙を流せるのね。ここに私がいて、良人くんがいて。その幸せを噛み締めて私は泣いているのね」
「……」
そして続いて反対の目からも雫が零れる。わるこさんの瞳からは涙が止まらなくなった。
止まらなくなったのだけれど……。
「けど、わるこさん」
「なぁに? 良人くん」
「……」
ギロリ、と彼女が僕を睨む。
だけど僕は気にせずに告げる。
「今わるこさんがそこまで泣くのは、多分その玉葱のせいじゃないのかな」
「……玉葱がなんなの」
今は調理実習の最中。カレーを作るために彼女には玉葱をいくつも切ってもらっていた。
「玉葱で涙が出てるんだよね? ……それにしても他の人より出過ぎだけど」
「いいえ違うわ。私はこの世界の喜びで」
「言い訳が壮大過ぎるよ。僕ビックリしちゃった」
以降もポロポロと涙を流しながら玉葱を切る彼女は、頬を膨らませて僕を睨み付けていた。
「意外だな。わるこさんのそんな姿」
「…………良人くん、あなたの分だけ玉葱は無しにするわよ」
「それは困る」
あれ以上からかうと後が怖いので、僕は直ぐ様身を翻した。
だけど玉葱で涙を流す彼女は。
とても可愛らしかった。