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もしかして創世記 〜宿命のアレクシア  作者: iliilii
§ 世界の真ん中に街をつくる
1/163

001 可愛い名前がいいなぁ

 唸り声をあげた、吸い込まれそうなほど真っ暗で大きな闇の塊が、一気に目の前に迫ってきた。


──もうダメだ……。


 全てを諦めたその瞬間──。




「よっ! っと」

 軽く、本当に軽く、その呟きと同時に魔物の首がはね飛ばされた。


 吹き上がる魔物のどす黒い体液が目の前に迫るも、手前で透明な膜のようなものにぶつかり、弾けたかのように飛び散った。

 どろりと粘りながらその透明な何かを伝い落ちていくのは、吸い込まれてしまいそうなほどのどす黒い闇……。


「あっ、う、ぁ……」

 うわごとのように繰り返される声が遠くに聞こえ、そこでふつりと記憶が途絶えた。




 親はいない。

 兄弟姉妹もいない。

 気が付けば一人、ゴミ溜めのような裏路地で、いつもお腹を空かせていた。

 周りは同じような人ばかり。大人も子供も、誰も彼もが飢えていた。顔見知りはいても仲間はいない。


 王都は「美の都」と呼ばれている。

 煌びやかな場所は金持ちの場所。たくさんの食べものも金持ちのもの。綺麗なものはみんな金持ちのもの。きらきら光る綺麗な石も、色とりどりの綺麗な服も、透明で澄んだ綺麗な水も、掃き清められた綺麗な道も、綺麗な物はその全てが金持ちのものだった。


 雨水をすすり、草を食べ、その根も食べる。ゴミを漁ることができるのは力ある大人だけ。力なき者は簡単に排除され、ゴミにすらありつけない。


 それでもなんとか生きてきた。

 偶然王都の側の森の中で、根元に大きなうろをもつ、大きな大きな木を見つけた。

 それまで強い獣が棲んでいたらしく、うろの中にはその毛がまるで敷物のように溜まっていた。その匂いのおかげか、他の獣が近寄ってくるこはもない。この辺りには魔物もいない。

 そこで一人、木の実や草を食べ、朝露をかき集め、その命を繋いできた。


 そして、ギルドに登録できる十二歳まで、なんとか生き延びた。


 ギルドでは依頼を受け、それを達成することで報酬がもらえる。

 薬草の採取、獣狩り、魔物狩り、商人や貴族の護衛、平民から貴族の雑用まで、ありとあらゆる依頼がある。

 依頼内容によって報酬が変わり、依頼の達成具合によって星がもらえ、その星の大きさ、数によって報酬や受けられる依頼内容が変わってくる。報酬のいい貴族の雑用などは星の数が多くないと受けられない。


 おそらく十二歳になっただろうと思われる年に、待ちに待ったギルドに登録に行った。ギルドには、年齢や性別などを確認できる、丸く平たい透明な石がある。

 その石に手を乗せると、まだ十一歳と半分しか生きてないことがわかった。愕然とした。登録できるまで、まだ一年の半分を生き抜かなければならない。絶望した。もうあの木のうろに体が入らなくなっていた。


「この薬草知ってる?」

 ギルドの受付の綺麗なお姉さんに話しかけられ、絶望からゆっくり目をそらし、差し出された草を見る。うろの近くに生えている草だ。いつもその根まで食べている。

 頷くと、お姉さんも頷く。


「いい? このくらいの大きさのこれを、根を傷つけないように丁寧に引き抜いて、十個ひと組にして持っておいで。私が買い取ってあげるから」


──いいの?

 思わず首をかしげると、お姉さんは「そのくらいはね」と言いながら、優しい笑顔をくれた。

 人に親切にしてもらったのも、笑いかけられたのも、それが初めてだった。


 毎日薬草を摘んでギルドに持って行くと、代わりに黒パンがふたつ買えるほどの小銭が渡される。

 時々受付のお姉さんが飴をくれることもあった。初めて食べた飴の甘さに、びっくりして吐き出してしまい、拾って食べようとしたら、お姉さんが笑いながらもうひとつくれた。

 落とした飴はこっそり拾って、付いてしまったゴミをツバと一緒に吐き出しながら後で食べた。それは体に染み渡るような甘美だった。


 うろに体が入らなくなったところで、他に行くあてなどなく、結局はうろの前で夜を過ごす。

 大きな木の根元は雨をしのげる。嵐の夜は悲惨だけれど、それもあと半年の辛抱だと思えば耐えられた。


 そうして半年が過ぎ、ようやくギルドに登録できる年になった。

 驚いたことにそれまで摘んでいた薬草の依頼料は、お姉さんがくれた小銭そのままの額だった。その全てが渡されていたと知り、初めて本当の意味で人に感謝した。


「いいのよ。私だけがやってることじゃないわ。あなたも大人になったら、生きようとしている子を助けてあげて」

 そのときのお姉さんの笑顔が、頭に焼き付いている。


 ギルドに登録して三年。

 結局うろのそばを離れることなく、その周りに簡単な柵や屋根をつくって住処としてきた。

 それまで摘んでいた薬草以外にも、小さな獣を狩ったり、見つけるのが難しい薬草を探したりするうちに、なんとかギルドの大部屋に泊まれるだけの稼ぎになった。


 ギルドには大部屋が男女別に安価で解放され、そこで寝袋などを使って宿泊することができる。

 寝袋は持ってない。床の上にそのまま寝転がる。そこは雨風を凌げるというだけでとても贅沢な場所だった。虫に悩まされることもない。

 初めて屋根の付いた建物で眠ることができた。しかも安い宿泊代を払うと水や湯を無料で使える。初めて綺麗な水を飲め、綺麗な湯を使うことができた。


 翌朝、温かい湯で体を拭いたとき、擦った肌からぼろぼろと何かが剥がれて落ちた。

 驚いて、受付のお姉さんに泣きそうになりながらそれを見せたら、笑いながら彼女の家の風呂に誘ってくれ、丸洗いされた。

 初めて石鹸といういい匂いの泡で体を擦られ、何度も湯を掛けながら擦られていくうちに、肌が白くなっていくことに驚いた。ごわごわだった髪がさらさらになり、初めて髪が薄い土の色だったことがわかった。


「綺麗な髪の色ね。もう少し薄ければお貴族様のようよ。もしかして、あなたにはお貴族様の血が入っているのかしら?」


 初めて触れる柔らかい布で、お姉さんが丁寧に髪を乾かしてくれ、寝間着まで貸してくれた。こんなに着心地のいい服は初めてで、手のひらに感じる気持ちいい感触を、何度も袖を撫でながら確かめていたら、お姉さんに笑われた。


 その日はお姉さんが家に泊めてくれた。初めて寝台というもので寝た。そこはあまりに柔らかで、興奮しすぎてなかなか寝つけなかったはずなのに、翌朝お姉さんに笑いながら起こされた。

 初めて一度も目が覚めずに朝まで眠ることができた。


「うちの寝台なんてお貴族様のベッドに比べたら岩のように硬いけど、よく眠れたようでよかったわ」

 お姉さんはそう言って笑うけれど、岩や大地はもっとずっと硬くてごつごつしていて痛い。

 

 お姉さんは「少し大きいだろうけど」と、着なくなった洋服や靴までくれた。今まで着ていた服を洗おうとしたら、破けてぼろぼろになってしまったのだと謝られた。

 もらった服の方がずっと綺麗で、しかも上等で、破けてくれてよかったと思っていると、どうやら考えを読まれたようで、また笑われた。


 お姉さんの旦那さんと一緒に朝食までご馳走になり、お姉さんと一緒にギルドに向かい、その日の依頼に出掛け──魔物に襲われた。


 時々街が魔物に襲われることもある。ギルドには魔物を狩る人もいる。

 けれど、今まで一度も魔物に襲われたことはない。遠目にしか見たことはない。

 それがいかに幸運なことだったか、襲われて初めてわかった。


 いつもより少しだけ森の奥に入ったら、見たこともないほど大きな魔物に遭遇した。

 一目散に逃げたものの、あっという間に追いつかれ、何かに躓いて転んだところで慌てて振り返ると、今にも飛びかかろうとしている魔物が、ほんの数歩先にいた。


 昨日はいいことがあくさんあった。

 生まれて初めてのいいことがたくさんあった。

 いいことがあれば悪いことがある。そう誰かが言ってた。

 お姉さんにありがとうが言えなかった。




──眩しい。


「目が覚めた?」

 間近で聞こえた知らない声。


 驚いて声が聞こえた方を向けば、すぐそこに若い男の人がいた。

 その人は、見たこともないほど綺麗な格好をしている。目に眩しいほどの真っ白な服。お貴族様だろうか。

 慌てて体を起こそうとするも、体に何かが纏わりついてうまくいかない。焦れば焦るほど、よけいに抜け出せなくなっていく。


「大丈夫。何もしない。怪しい者でもない。昨日助けたの、憶えてる?」

 その穏やかな声によく見れば、確かに昨日魔物から助けてくれた人だった。


「君、丸一日寝てたんだよ。あまりにも起きないからどうしようかと思ってたんだけど、うん、起きてよかった」

 うーん、と伸びをしながらそう言われ、丸一日も寝ていたのかと驚いた。


 落ちついてよく見れば、寝袋のようなものに寝かされている。

 見たこともない上等な寝袋は、昨日のお姉さんの家の寝台よりもずっと柔らかでふわふわしている。お姉さんが言っていたお貴族様のベッドとやらは、これのことかもしれない。


 もぞもぞと寝袋から這い出ると、あれだけ森の中を走り回ったはずなのに、どういうわけか服も腕も足も綺麗だった。まるでお姉さんの家で風呂に入った後のように。あったはずの擦り傷までなくなっている。

 脇に揃えて置かれていたお姉さんからもらったばかりの靴は、確かもっとくたびれていたはずだ。首をかしげながらも足を入れる。


「俺の名前はランドルフ。君は?」


──五文字!


 五文字の名前は貴族。しかも確か上流貴族か王族の名前だ。どうしようすればいいのかがわからず口ごもる。素早くはっきり答えなければ。彼らの機嫌を損ねただけで殺されると聞いている。


「ぁ、あの、ぁ……、名前、ない、です」

「は? 名前がないの?」

 その人は、驚いたようにも、呆れたようにも見えた。怒っているわけではなさそうだ。


「ここでは名前がないのが普通なの?」

 おかしなことを聞く。名前がないのは平民の中でも貧しい者や、裏路地で生きるようなうらぶれた者だけ。

 もしかして、お貴族様ではないのだろうか。こんな風に平民に話しかけるお貴族様なんて聞いたことがない。

 首を横に振れば、その人は「なるほど」と小さく呟いた。


「名前、なくてもいいの?」

 名前がなくてもいいなどと思っている人はいないだろう。誰だって名前は欲しい。

 再び首を横に振ると、「そうだよな」とまた小さく呟かれた。


「俺が付けてもいい?」

 思わず目を瞠る。


──名前を付けてもらえる? 名前がもらえる?

 まるで思ったことが伝わったかのように頷かれた。


「君さ、女の子だよね」

 驚いた。どうしてわかったのだろう。


 同じ女のギルドのお姉さんですら、あの丸い石に示された「女」という表示に心底驚いていた。

 それを知ったからこそ、色々手を貸してくれ、今まで通り女だと気付かれないようにと、きつく言われていた。

 それが身を守ることになるということは、裏路地で十分すぎるほどにわかっていた。


「うーん、可愛い名前がいいなぁ。そうだなぁ……。アレクシアはどう?」


──この人は何を言っているのだろう。どこからどう見てもただの平民に五文字の名前なんて。


「あれ? 気に入らない?」

 思わず顔をしかめてしまったのを見られた。


「ぅ、ぁの、平民、だから……」

「ん? 平民だと何?」

「ぇと、ぅ、平民の名前は、二文字、だから……」

「んー…アレクシアは気に入らない?」

 大急ぎで首を横に振る。


「じゃ、アレクシアで。みんなの前ではシアってことにすればいいよ」


──いいのかな。

 アレクシア、それはすごく綺麗な名前。なんだかすっかりアレクシアになったかのように思える。

 黙っていれば、この人がいいって言うなら、シアってことにしておけば……。


 そっと目の前の人を見れば、柔らかく笑っていた。こんなに柔らかに笑う人を初めて見た。そんなに柔らかな笑顔を向けられたのは初めてだった。

 どうしてか、心がふわっとした。


 そして、それまで何者でもなかった者が、アレクシアという者になった。それを心の奥でいつの間にかわかっている。そんな、よくわからない感じがした。

 何かが確実に変わったのに、何も変わっていない、すごく奇妙な感じがした。


「よし。ひとまず移動しよっか。あっ、その前にメシか」


 ランドルフという五文字の名前を持つ人が、ごそごそと鞄を漁ると、中から色とりどりの具が挟まった白パンが出てきた。それを「はい」と無造作に渡される。


──白パン! 初めて触った。これが白パン。すごくいい匂い。


「遠慮なくどうぞ。はい、飲み物はこれね。おかわりもあるからたくさん食べて飲んで」


 恐る恐る口に入れると、今までに食べたことのない、たくさんの味がした。

 一気に口の中にツバが溢れる。


「おいしい?」

 何度も頷けば、その人は満足そうに笑う。


 あっという間にぺろりと平らげると、もうひとつ渡された。それも夢中になってぺろりと平らげると、さらにもうひとつ渡される。


「そんなに急いで食べなくてもいいから。喉に詰まらせないように、はい、これも飲んで」

 言われるがまま手渡されたものにそっと口を付けると、甘酸っぱい匂いとともに、今まで飲んだこともない味が口の中に広がる。

 それは、えもいわれぬ天上の味。

 思わず夢中になってごくごくと喉を鳴らして飲み干せば、「もう一杯飲む?」と、答えも聞かずに透明な器におかわりを注がれた。今度は味わうようにこくりこくりとゆっくり飲む。

 まるで体中に染み渡るようだった。


「どうした? なんか変な味だった? おいしくなかった?」

 言われた意味がわからなかった。こんなにおいしいもの、初めて食べた。


 それなのにその人は眉を寄せ、ゆっくりと手を伸ばしてきたと思ったら、その指先に目元をそっと拭われた。


 天上の飲み物を持つ手に雫が落ち、ようやく泣いていることに気付いた。

 いつの間にか泣いていた。


「大丈夫?」

 とても心配そうな顔。そんな顔、初めてされた。


「おいしくて……」

「感動して泣いちゃった?」

 きっとそうなのだろう。頷けば、その人は安心したように声を上げて笑った。


 天上の飲み物はオレンジジュースだと教えられる。オレンジという果実を搾ったもの。白パンに具が挟まったものはサンドイッチ。ただしくはパニーノだと言われたけれど、その違いはわからない。


「よし。じゃあ、シアの家まで送るよ」

 寝袋を丸めて鞄に入れながら、当たり前のように言われた。


 どう考えても寝袋が入るような大きさの鞄じゃないのに、するっと寝袋が鞄に入っていく。それに目が釘付けになり、言われたことへの反応が遅れた。


──シアの家?

 家とは、あの木のうろのことだろうか。


「ここは昨日魔物? がいた場所よりも少し南に移動してるんだけど、帰る方向わかる?」

 首を横に振る。あの魔物と遭遇した後、どの方向に逃げたのかもわからない。


「じゃあ、空から行くか」

 その人の言葉が終わらないうちに、いきなり目の前に魔物が現れた。


「ひっ」

「あ、大丈夫。翼は魔物じゃない」

「あんな低俗な奴らと一緒にしないでよ」


──魔物が喋った!


「魔物じゃないからね、シア。大丈夫だから。落ち着いて」

 肩を掴まれ、横を向かされると、目の前に男の人の顔。びっくりして思わず仰け反る。


「あぁ、ごめん、顔近かった? そこまで仰け反られるとちょっと凹むんだけど……」

 見上げたその人の目は、その後ろに広がるよく晴れた空と同じ色だった。


 なんだかよくわからないうちに、魔物じゃない魔物みたいなものの背中に乗せられ、すぐ後ろに五文字の名を持つ人も跨がる。その近さに戸惑っているうちに、その魔物みたいなものがいきなり飛び立った。


「ふぎゃ──────っ!」

「あはははははは……」


 喉の奥からほとばしる叫び声と、その後ろから聞こえる笑い声が、静かな森に響き渡っていった。






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