第七十六話 神の手
入り江は大きな岩に囲まれていて中々気付きにくく、ドクターを抱いたあたしは海側に回ってようやく港を見つけた。船の間を縫って、硬いコンクリートの床に着地すると同時に小型化魔法を解いた。
「……ビックリした。今のが魔法? 変な感じね」
ドクターは胸を抑えて深呼吸した。
「そうでもないさ。あたしは下手だから」
浮遊魔法も一人乗りの箒にしか使えず、小型化魔法も不完全で、人は何故かぬいぐるみになってしまう。あたしの嘲笑にドクターは興味無さそうに、そっ、と返した。
「ベラー! ベラどこー! いたら返事してー!」
ドクターの声が薄暗い港に響く。豪華客船まで停まっている割には人気がなくて静かすぎる。あたしは箒に乗って、上から辺りを見回した。大型の船の陰にあたし達の船を見つける。
「ドクター! あたし達の船だ!」
あたしが船に飛び降りると、ドクターもコツコツと靴音を響かせながら駆け寄ってくる。船の上には誰もいなかった。操舵室にもベラの姿はない。気休め程度に額に乗せていたタオルが転がっているだけだ。もし二人に何かあったらと思うとゾッとする。
「……ベラ!!」
ドクターの叫び声にあたしは肩を震わせた。響く足音の先に目を凝らすと、港の隅に四肢を投げ出して倒れている人影がある。あたしは箒に飛び乗って駆け寄った。
「ベラ! おい、しっかりしろ! ドクター!! ドクター、早くベラを!」
ただでさえ白いベラの肌はさらに青白くて血の気がなく、とても気分が悪そうなんてレベルには見えなかった。微かに上下する胸が辛うじてまだ生きていることを証明する。しかしそれも時間の問題に思えた。あたしは切羽詰まって喚く。
ベラを失いたくないのに、自分は何一つできない……
「どいて!」
ドクターがあたしを押し退けてベラの上半身を抱えた。そのまま子供をあやす様に優しく頭を撫でる。もう大丈夫……という言葉を添えて。
「ドクター!? そんな事してる場合じゃ……!」
早く打診を! と叫ぼうとした声は飲み込んだ。苦しそうに歪められたベラの表情が段々と安らかになっていく。血色も次第に戻ってき、ほんの二、三分ですっかり元通りになった。ドクターの腕の中で、ベラはまるで母親に抱かれている赤ん坊のようにスヤスヤと眠っている。
「ド、ドクター? 一体何を……?」
目の前で起こったことが理解出来ず上擦った声が出た。だって本当に、ドクターはただベラを抱いていただけなのだから……
「何って、これが私の診療」
ドクターはさも当たり前のように言った。あたしがまだ目を丸くしていると、ドクターはクスクスと笑う。
「知らなかった? 私はDr.ディアン。触れるだけでどんな病も治す、神の使徒が一人、"神の手"のディアンよ」
ただの人間じゃなくてがっかりした? とからかう様に得意気に笑った。