第六十五話 Dr.ピンク
部屋の大きな窓から雲一つない晴天の空を見上げながら、私は静かに息を吐いた。タバコの煙はユラユラと揺れながら重力に逆らって上り、空に溶けていく。それを目で追いながら小さくため息をついた。
「先生、次の患者です。もう! タバコやめてくださいよ」
部屋に入ってきた看護師の言葉に聞こえないよう舌打ちをする。窓を閉めて灰皿にタバコを押し付けたら仕事モードだ。緩慢な動きで椅子に座った私の前には、泣きじゃくる子供が立っていた。まずはその子を落ち着かせようと頭を撫でた。
「よしよし、いい子ねお嬢ちゃん。どこが痛いの?」
「あ、足が痛いよ!」
子供は泣きじゃくりながら、左足のすねを指さした。しかしそこに怪我などは見当たらない。触ってみたけれど、骨が折れたりしているわけでもない。
「ふむ……痛いのはここなのね?」
すねをグッと押しながら訊くと、子供はただ頷いた。かなり強い力で押しているのだけれど、まるで気付いていない。
「なるほど、悪いのは神経ね。もう大丈夫よ」
私は子供をそっと抱きしめて頭を撫でてあげた。すると子供は急に泣き止んで、きょとんとした顔で痛くない……と呟いた。
「痛いのなくなったよ! お姉ちゃんありがとう!」
「どういたしまして」
子供は元気よく手を振って帰って行った。子供の姿が見えなくなると、看護師が小さな拍手をする。
「流石ですねDr.ピンク」
「全然……私はただ、撫でただけよ」
ゆっくりとした動きでタバコをくわえライターを探すが、看護師にその手を止められた。ムスッとした顔で看護師を見たが、彼女はただニコニコと笑いながら私の口からタバコを抜き取った。
「まだまだ患者は沢山待っていますので、タバコはダメですよ」
すぐ呼んできます、と看護師は出て行った。
いい加減患者を捌くだけの毎日には飽き飽きする。神の手だのなんだのと勝手に周りが囃し立ててるだけだ。私は特別な力を持っていたとしても、心はただの人と何ら変わりがない。私の力で患者が救われるのはいい事だし、私も嬉しいから医者になった。けれど、何かが違う。きっと平凡な日々が嫌なんだ。だから刺激を求める。
閉じた窓の向こうの空は、曇ガラスのせいで曇天に見える。そんな空が私を一層憂鬱にさせる。また島を出て冒険したい。でも、私は有名になりすぎた。私の治療を求めて患者が後を絶たない。この患者たちを見捨てることなんかできないから、まるで蟻地獄だ。私は永遠に逃れられない。
「……また、ベラに会いたいなぁ」
風になびく赤い髪が脳裏に浮かぶ。高熱に魘される姿はとても色っぽく、子供のような見た目とは裏腹に案外しっかりとした筋肉にはそそられた。やっぱり診るなら男に限る。ベラはその中でもナンバーワンだ。
「先生、次の患者です」
看護師の言葉に現実に引き戻され、私は患者に聞こえないようため息をついた。