09_こんにちは領主様
夜。年少組が寝静まった頃、竹村と3人の幼女は食堂に集合した。
小さな菜種油の明かりに照らされて、厳かな宗教儀式でもするかのような雰囲気だ。
「領主様のお手紙ってなんだったの?」
雰囲気にも気負わず、まず口を開いたのはエルフ耳のエリナだ。竹村は特に勿体振るつもりもないので、素直に頷いて領主からの手紙をテーブルに広げる。
「読めない」
かぶり付くように明かりをかざして覗きこむエリナだが、残念ながら彼女は文字の勉強をしていないようだった。
「私が読もうか?」
「カトリも読める」
黒髪のアイラが気を使うように言うが、すかさず、竹村の脚付近にピトっとくっついた狐耳のカトリがエリナに向かって得意気に鼻を鳴らす。カトリの方が年少だが、勉強熱心なのは彼女の方だ。
「あ、いやいい。俺が簡単に説明しよう」
一触即発の空気を読み、竹村は2人の間に入る。
エリナとカトリ、2人は別に仲が悪いわけではない。ただ大人ぶりたいエリナにとっては、幼女の中では博識な部類であるカトリが鼻につく時があるらしい。カトリもそれを知っていて、たまに挑発するのだ。
ちなみに話そうと思ったのはアイラとエリナだけで、カトリは空気を読んで勝手に起き出してきだだけだ。
ところで手紙の文字は日本語だった。本当にここは外国なのか、と、竹村は一瞬考えたが、幼女の暮らしが第一なので割りとどうでも良かった。
「つまりだね。この孤児院を明け渡せってことらしい」
「出て行け、ってことですか?」
竹村の言葉にアイラが目を見開いて食って掛かる。俺のせいじゃないのに、と竹村は眉根を寄せて目をつぶった。
「えー、じゃあどこに住んだらいいのよ」
「どうして、理由は?」
エリナもカトリも不満げだ。家から追い出されそうなのだから当然の反応だ。
「理由までは書いてないなぁ」
「ね、どうするのタケムナ。明日から野宿?」
「いやそこまで急でもないよ。猶予は1ヶ月あるみたいだ」
「だからって私達、他に行くところなんて」
一同、額を突き合わせて唸る。
1ヶ月あろうが、孤児院の幼女たちに行く場所なんかあるわけがない。ないからこそ孤児なのだ。
「よし、明日にでも領主ってヤツに会ってくる」
とにかく情報がないことには交渉だって出来ない。まず大事なのは相手を知ることだ。竹村はそう思い、決断する。はたして文化の違う国のお偉方に、竹村の話が通じるのか、そこが彼の不安ではあったのだが。
「じゃ、そういうことで解散」
だからと言って竹村がいつまでも不安がっていては、幼女たちも落ち着かない。竹村は努めて明るい声を出し、幼女会議終了を告げた。
「あ、あのタケムラさん。私も一緒に行きます」
アイラはそう言うと、彼女には珍しく、竹村の裾をギュッと握った。
「領主様には会ったことありますから。院長先生の友達なんです」
領主の屋敷があるのは、孤児院から歩いて1時間ほどの村だ。
翌日は午前の畑仕事などをカトリたちに任せ、竹村とアイラは朝食後すぐに、村へと向けて出発した。
「徒歩1時間は大変だ。おんぶしようか?」
「やめてください。子供じゃありません」
しばらくすると歩き疲れた様子を見せるアイラだが、何度竹村が言っても同じ回答しか言わない。竹村は仕方なく、アイラの手を引きながら、白詰草の小道ををゆっくりと進んだ。
領主の住む村に到着したのは2時間後だった。
農作業中の村人に尋ね、村の外れにある孤児院と、さほど変わらない大きさの屋敷が領主様の住まいだとわかった。
早速訪問し、年老いた使用人に取り次いでもらう。
もう少し厳重な警備や立派な城を想像していた竹村にとっては拍子抜けだった。なにせ特に取り調べもなく、応接間へと案内されてしまったのだ。
「立派な部屋ですね」
アイラは落ち着かない様子でキョロキョロし、いつもの大人ぶった雰囲気はどこかに行ってしまったようだ。妹達がいない分、子供に戻れるのかもしれない。
そんなことを思いながら竹村も部屋を見回す。
「立派、かなぁ?」
確かに孤児院の設備よりは新しいが、ボロさで言えばさほど変わらない気がする。そういえばこの国は内乱中だというし、ここも相当な田舎だ。いくら貴族でも今はあまり裕福でいられないのかもしれない。
しばらくして、年老いた使用人に連れられた、大層ふくよかな中年がやって来た。有り体に言えばデブだ。
「タキシン王国貴族にして、極北部地方領主である」
そのデブ中年がそう名乗る。貴族らしく仕立ての良い服は着ているが、微妙に薄汚い。服が、ではなく顔や手足が、である。ちゃんと毎日風呂入ってるんだろうか。と疑わせる容姿だ。
「この人が領主か、院長の友人の?」
竹村はアイラにだけ聞こえるようにささやく。院長の友人にしては年が若い、と思ったからだ。だがアイラは小さく首を振った。
「前に孤児院に来た方とは違います」
「ふむ」
家督相続なんかで代替わりしたのだろうか。
竹村はひとまず疑問を飲み込む事にして、さっと立ち上がり、両手を身体にピッタリと添わせ、深々とお辞儀をする。アイラも慌てて竹村の真似をした。
「初めまして領主様、孤児院を引き継いだ竹村千種といいます」
「ふむ、チグサとは余り聞かぬ家名であるな。まあいい、話とは?」
薄汚いものでも見るように竹村を見て、領主は向かいのソファーにふんぞり返る。だがアイラを見る時、一瞬だけいやらしい目をしたのを竹村は見逃さなかった。
「孤児院の件です。急に立退けと言われましても、我々には行く場所がありません。どう
か再考いただけませんか」
「ならん」
即答だった。アイラの眼には、交渉の余地が無いように映った。不安そうに竹村の服の裾を握る。
竹村は安心させるように優しくアイラの頭をひと撫でした。きれいで滑らかな黒い髪は撫でる方も心地よかい。
さすがに「子供扱いしないでください」とは出てこなかった。
「せめて理由をお聞かせください」
これまで横柄で取り付く島もなかった領主だが、この言葉に少し反応した。
何か後ろめたいことでもあるかのように、しどろもどろと目を伏せる。
「いやその、王弟閣下よりの仰せでな」
王弟、と言うと内乱の片割れか。確か王子が新国王になるのを反対して挙兵した奴だ。竹村は前に聞いた国内情勢を思い出しながら、領主の話を黙って聞いた。
「し、仕方ないのだ。先代領主である我が父は、王弟閣下と共に出陣して討ち死にしてし
まったし、ここにはもう私兵もいない。逆らうことなんて出来ないのだ」
もっと深く尋ねるべきか迷っていたが、領主は勝手にベラベラ喋る。うわコイツ弱い、と竹村の印象中の領主株は一気にストップ安だ。
だが少しだけ境遇に同情しかけた。
おそらく平和時には父の庇護のもとヌクヌクと甘やかされて育ったのだろう。それが内乱の勃発で、急に厳しい立場に立たされたのだ。親の教育の悪さを含めて、領主は領主で不幸な人だといえるだろう。
だが、その時ボソリと言った領主の言葉が、竹村の同情心を吹き飛ばした。
「…よいではないか。どうせ孤児など、素性も知れぬ薄汚いゴミなのだ」
「なんだとテメー、もう一度言ってみろ!」
まるで瞬間移動したのではないか、という早さで、竹村はソファーにふんぞり返る領主の襟首を掴んだ。竹村の服を掴んでいたはずのアイラは、いきなり消えた竹村の裾に驚き硬直する。
「ひ、ひい」
領主の情けない悲鳴が上がる。その悲鳴でアイラは我に返った。
「だ、だめ、タケムラさん。それ領主様!」
封建的な縦社会において、平民は貴族に逆らえないし、孤児のような出自定かでない子供は、平民以下であった。
賢いアイラはそれを理解していたからこそ、必死に竹村を止めた。もしこれで貴族の怒りを買えば、孤児院はもう取り返しの付かないことになる、と思ったからだ。
だが四民平等当たり前の日本で育った竹村には関係なかった。
「だってアイラ、コイツうちの娘たちをゴミって言った。ゴミって言った!」
ゴミと言われて悲しくない人はいない。アイラも当然ショックだった。だが封建社会の枠組みが、怒りや悲しみよりも先に立ったからこそ、もうダメだ青ざめた。
だが竹村は違う。アイラたちの為に怒り、相手が貴族だろうと立ち向かうのだ。
その姿に、アイラは感じたことのないほど大きな衝撃と喜びを得る。だからこそ、よりいっそう力を込め縋り付いて、竹むらを止める。このままでは竹村が殺されてしまう、と思ったからだ。
「ダメ、ダメ。死んじゃう、から」
涙混じりになったアイラの声に、竹村は少しだけ冷静になる。領主は竹村に掴まれた襟首から、必死に目をそらしてブルブルと震えている。
竹村はその手を離し、哀れな領主を開放した。
「な、なんて乱暴な。このままでは済まさ…」
「おい領主」
「はいい!」
恨み言を言いかけた領主の言葉にかぶるように竹村が声をかける。領主は完全に精神劣位に陥ったようで、頭を抱えて震えた。
「内戦に夢中な王族やら貴族の都合なんか知ったこっちゃねえ。いいか、俺は幼女の為な
らなんだってやる男だぞ」
「はいぃ、チグサ様に従いますぅ」
すっかり怯えきり、床に伏して祈りだす領主に、竹村は呆れ返って溜飲を下げた。これ以上言っても、もう耳には入ってないだろう。そう判断しため息をついた。
「アイラ、帰ろう」
「う、うん」
乱れた上着を整え、竹村は、場の雰囲気に飲まれてまだ呆然とするアイラの手を引いて屋敷を辞する。残された老使用人は主人をなだめながらつぶやくのだった。
「外見は穏やかそうなのに、恐ろしい御仁ですなぁ」
しばらく歩き、もう屋敷が見えないほどの場所まで進むと、竹村とアイラの高ぶった心臓がようやく落ち着いてきた。
「俺、ちょっとやらかしたかな」
孤児院の土地家屋のオーナーは領主だ。いわば店子が大家に喧嘩売ったのだ。
さすがに竹村も反省した。愛する幼女たちをゴミと言われたことを思い出すと、今でも瞬間的に沸騰しそうだが、それでもやり過ぎた。
「うん、ちょっと怖かったです」
竹村の背中で、服の裾を握ってついてくるアイラの言葉に、竹村はさらに自己嫌悪に陥る。幼女に怯えられてしまった。死にたい。
「でも、ちょっとカッコ良かったです」
頬を赤らめて恥ずかしそうに隠れるアイラの言葉に、竹村は生きよう、と思った。
アイラの速度に合わせてゆっくり歩いても、昼食過ぎの時間には戻ることが出来た。
出迎えてくれたのは眼鏡幼女イリスだった。
「おかえりなたい、おにたん!」
小道を駆け寄ってくるイリスの姿を見つけ、竹村は大きく手を振り、アイラは急いで竹村から離れた。顔はまだ少し赤い。
「ただいまイリス。みんなは?」
「ちっちゃいこたちはおひるね。イリスはカトリとおえかきしてた。あとエリナはおだい
どころ」
ちなみにハンナはイリスより年上だが、ここでは「ちっちゃいこ」に含まれる。
イリスに引っ張られながら食堂へ入ると、絨毯の区画で3才児トリオとユッタ、ハンナが折り重なって昼寝していた。
「あ、タケ。おかえり。エリナー、タケ帰ってきたよ」
テーブルに半分突っ伏すようにして絵を書いていたカトリが、竹むらの姿を見て狐耳をピンと立てる。
「ただいま、カトリ」
歩み寄った竹村が優しく頭を撫でると、カトリは気持ちよさそうに眼を細めた。
「で、どうだったの? やっぱり出て行くの?」
別に用意された昼食を、竹村とアイラが食べている横に座ったエリナが問う。起きていたカトリやイリスも一緒だ。
イリスはすでに話を聞いているようで、不安そうに耳を傾けいる。
竹村は何のために選抜幼女にだけ話をしたんだか、と額に手を当てた。だが仕方ない。幼女に『ないしょばなし』など、隠せるわけがないのだ。
「どうかな、何とかなりそうな気もする」
アイラは屋敷での領主の姿を思い出す。完全に竹村に屈服していたように見えた。あれなら大丈夫なんじゃないだろうか。
だが竹村は難しい顔で首を横に振った。
「いや、ああいう奴は、その場凌ぎでいくらでも頭を下げるんだ。王弟とやらが来たら、
またすぐに立場を翻す。ここは徹底的に叩かないと」
話が見えない居残り組が揃って首を傾げる。竹村は表情を崩し、不安そうな顔をする幼女たちの頭を順番に撫でた。
「ようするに、まだ戦いは始まったばかり、と言うことだ」
「戦いって、そんな私たち剣も槍も持てません」
剣と槍て、そんな時代的な。と竹村は思いながらも、優しく首を振る。
「いや、俺達には俺達の戦い方があるだろ?」
その言葉を聞いて、椅子から勢い良く立ち上がるのはエリナだ。その目は期待に輝いている。
「タケムナ! アレやるの? アレ!」
「え、でもまだ全部できてない」
エリナの期待と裏腹に、カトリが不安そうに呟く。竹村もまた頷く。
「ああ、だが今回は出力30%で行く。それで大丈夫だ」
息を呑む幼女たち。だが竹村には確かな勝算があった。
あの領主には、竹村に近い匂いを感じる。
領主の屋敷に招待状を携えた行商人がやって来たのは、それから1週間後だった。