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08_幼女と新しい生活

 院長先生の葬儀も終わり、それから3ヶ月が経過した。

 季節は夏。孤児院の幼女たちは、以前の活気を取り戻しつつあった。

 結局、竹村が孤児院の運営を引き継ぐことになり、必然と元院長先生の執務室にいる時間も増える。

 初めは運営仕事にも慣れず、幼女たちと遊ぶ時間が極端に減ったものだが、3ヶ月もすればリズムもつかめる。

 最近では昼食を食べた後の、幼女たちの昼寝の時間に合わせて事務仕事を片付けることにしていた。


「お休みしませんか?」


 事務仕事を開始して30分も過ぎた頃、黒髪のお姉さん幼女アイラがお茶を持ってやってきた。お茶は井戸水でよく冷やしたアイスティーだ。


「ありがとう、アイラ」


 木で出来たコップを受け取り、ニッコリと微笑むと、アイラは頬を赤くして横を向いてしまう。これはもう、いつもの事なので、竹村は気にせずコップに口をつけた。

 美味い。日本の夏ほど湿度は高くないが、それでも暑さでじっとしていても汗をかく。そんな時は冷たいお茶がいい。幼女が自分の事を思って、手間ひまかけてくれたと思うと高級な宇治茶などにも引けをとらない美味さだ。


「寝室もこっちに移したらどうですか?」


 そっぽを向いたアイラの視線が、元院長先生のベッドを捉える。

 シーツを取り替えられ、綺麗に整えられている。このベッドは、院長先生がここを去ったあの日から、誰も迎え入れていない。


「断固拒否する」


 竹村の寝室は未だにアイラや3才児トリオと同室だった。


「ただでさえ幼女とのふれあいタイムが数時間単位で減ったのだ。これ以上減らしたら禁断症状で死んでしまうじゃないか」


 真面目な顔で論ずる竹村だが、アイラには彼の言っている事がたまに判らない。そういう時は「たぶん文化の違いのせい」とスルーすることにしている。


「で、でも、着替えの時とか、恥ずかしいんですけど」


 消え入るような声でアイラが主張する。

 今は早朝の畑仕事も竹村が引き継いでいるので、アイラと竹村は、毎朝、だいたい同じ時間に目を覚ます。

 すると、決まってアイラの着替えをぼんやりと眺めてから、ベッドから這い出すのが、竹村の習慣になっていた。これは「幼女の成長を一瞬でも見逃したくない」と言う竹村の親心からくる行動だ。けして劣情をもよおしている訳ではない。

 なのでやはり竹村は強い調子で断りの声を上げるのだった。


「断固拒否する」


 やっぱりこの異邦人とは文化が違いすぎるんじゃないだろうか。アイラは深くため息を付くのだった。


「おにたん、おきゃくさまでつ」


 暑いので半開きにしたドアから、眼鏡幼女イリスがおずおずと控えめに顔を出す。相変わらず、舌の回りが拙くてかわいい。


「ああ、ありがとう。すぐ行くよ」


 竹村は手にしていたコップのお茶をぐいっと空け、書類を軽く整えてからすぐに階下へ向かう。

 途中、ドアをくぐる前にイリスを抱き上げ、頬ずりする。事務仕事ですっかり欠乏気味になった幼女分を補給するためだ。こういう行為はアイラにするとひどく怒られる。


「おにたん、ひげがちくちくしまつ」

「おっと、すまんすまん」


 文句を言いつつも満更ではなさそうに笑っているので、竹村はサービスとばかりに、イリスを横抱きにして2階の短い廊下を走り回った。

 イリスも大喜びでキャッキャと笑うのだった。


「タケムナー、商人さん待ってるよー」


 はしゃぐ声が聞こえたのか、階下から「急げ」と催促の声が飛ぶ。あれはエルフ耳のエリナの声。アイラの次にお姉さんぶっている、おしゃまさんだ。


「おっと」


 竹村は苦笑いしてイリスを降ろし、頭を掻きながら改めて階下を目指した。

 残されたイリスは少し大人びた風に肩をすくめて、執務室に残っているアイラの方へと歩み寄る。


「じゃましちゃって、ごめんなさい」

「べ、別に何もしてないもの」


 アイラはまた、顔を赤くしてそっぽを向いた。



「やあ元気そうですね」


 1階の食堂広間へ行くと、待っていたのはいつもの行商人だった。

 この人の良さそうな細身の中年は、その後もいろいろ力になってくれる。聞けば、孤児院相手の商売は儲け除外でやってくれているそうだ。

 この幼女の楽園の支援者というわけだ。


「そちらも元気そうで」

「まぁ、ボチボチですね」


 行商人は肩をすくめながら答え、エリナから受け取った冷たいお茶を美味そうに飲み干した。さすがにこの暑さの中の行商は堪えるだろう。

 軽く挨拶を終え、竹村は行商人との商談を始める。商談、などと大仰に言っても、孤児院で不足した物品や食料の注文や、孤児院から出荷する少ない野菜の話だけで、ほとんどは世間話になる。


 そうしていると竹村の声に反応し、昼寝中だった幼女たちも目を覚まし始める。まず、昼寝していた絨毯の区画から、毛布を引きずり眠い目をこすりながらポテポテと歩いてくるのは犬耳を垂らしたハンナだった。

 いつもなら元気よく駆けて来るところだが、まだ眠さが勝っているようだ。


「にーちゃ…」


 ハンナは竹村の元までたどり着くと、それだけ言って膝を枕にまた眠ってしまう。竹村は椅子に座っているので、非常にバランスが悪い姿勢だ。

 しかたなく竹村は、ハンナを起こさないように優しく抱き上げた。

 ハンナはエリナと同い年なのに、比べるとずいぶん子供っぽい。いや逆なのだろう。エリナが大人ぶっているのだ。

 料理組であるアイラ、エリナ、イリスは幼女たちの中でも大人ぶっている。特にアイラは年齢相応に見えないほど大人だ。


「かわいいですね」

「ええ、全く、幼女は最高です」


 一瞬の沈黙の後、行商人はなぜか微妙な笑顔で応えるのだった。異文化同士の交流はかくも難しい。



 眠るハンナを落としたらいけないと、場所をテーブルから絨毯区画へ移すと、その甲斐もなくハンナはすっかり目覚めてしまった。おまけに狸耳ユッタ、うさ耳リンネ、カエル色パーカーのマリカまでがすっかり覚醒して竹村に群がった。


「そういえばアレ、どうしました?」


 ひとまずマリカを抱き上げて膝上に収めていると、行商人がそんなことを言い出す。アレとは、竹村が3ヶ月前にロードバイクと引き換えに注文した品々だ。院長先生の臨終には間に合わなかったが、その後に納品されている。


「ああ、アレね。ちゃんと使ってますよ」


 会話を続ける大人2人をよそに、膝へ乗りそこねたハンナは、竹村の背中によじ登る。さすがに6才児は少し重いが、竹村にしてみれば望むところだ。


「そうですか、無駄にならずに良かったです」

「そのうちお見せしますよ」


 などと気に留めぬふりで会話を続けると、ハンナに続いて、ユッタとリンネまでが竹村登りを始めた。さすがに幼女3人を乗せると自然と身体が傾く。

 重いだけじゃなく、暑い。幼女は大人より体温高いのだ。

 まったく、この暑いのに何が楽しくてくっついてくるのだ、この幼女たちは。もっとやれ。竹村の表情も、見る見るうちにだらしない方向へと傾いた。


「おまえらー、好き放題やりやがって」


 こうして受動的に幼女とのふれあうのも楽しいのだが、と、いっそ竹村の欲求は高まった。

 竹村は幼女たちを振り落とさないよう、ギリギリの力で立ち上がってみせる。


「おひゃー」


 喜びの奇声をあげ、落ちないように腕に頭に腹にしがみつく幼女たち。竹村の動きが止まれば、また上を目指して登り始めるのだ。

 こうした遊びの中で竹村の身体もずいぶんと鍛えられた気がする。今や幼女が4人登っていても、踏ん張ればなんとかなる位だった。

 もっとも幼女だから耐えられることで、同じ重さの麦袋は担げなかった。


「まだやるか、そういう奴は、こうだ!」


 少し怒ったふりをしながら、竹村は頂上まで上り詰めたハンナの脇腹に手を入れて持ち上げる。そしてコショコショと指を高速で這い回した。


「うひゃひゃひゃひゃひゃ」

「うりうりうりうり」


 静かに絨毯上へおろし、ハンナの柔らかいお腹や脇を存分にくすぐる。


「や、にーちゃ、らめ、ひゃひゃひゃひゃひゃ」


 苦しそうにしながらも大喜びだ。

 そんな様子を見たマリカもハンナくすぐりの刑に参加しようと竹村の肩から降りる。竹村はそれを見逃さなかった。


「次は、お前かー」


 すかさず、くすぐり対象はマリカへと移り変わるのだった。



 くすぐり刑×4人を敢行し、しばらくしてようやく落ち着くと、すっかりにこやかになった行商人が立ち上がった。


「さ、私はそろそろ野菜を受け取って行きますかな」


 竹村は承知した、とばかりに頷いて、すっかり肩で息をしながら上気したした幼女たちを絨毯に降ろす。


「カトリ、ちょっとここを頼む」


 テーブルで新しい紙に一人お絵かきしている狐耳の幼女を呼び、竹村は靴を履いて絨毯区画を降りる。行商人に渡す野菜を採りに行かなければならない。


「うん、タケはお仕事がんばって」


 素直にお絵かき用の炭を置いたカトリは、すぐさま竹村に駆け寄り、一瞬だけ手を握って頷き、絨毯区画へ向かった。魚河岸のマグロのように横たわる幼女たちの介抱が彼女の仕事だ。


「にー、ミルカも」


 カトリと入れ替わるように絨毯区画から、降りてきたのは猫耳の幼女だった。ミルカは竹村の歩調に早足でついて来る。

 そういえば今まで触れてこなかったが、獣耳軍団の中で何故か彼女だけは尻尾がある。掴むと嫌な顔をするので、竹村はたまに掴むのだが、これも例の邪悪な錬金術士の仕事だろうか。グッジョブ。


「いや、この子『ケットシー』でしょう」


 ミルカの尻尾に向かって親指を立てる竹村が何を考えているのか察したのか、行商人がそう答えた。

 聞けば『ケットシー』と言う猫耳猫尻尾を持つ、草原の妖精族が人間社会に溶け込んで生活しているそうだ。

 なんだ、妖精さんだったのか。道理でかわいいと思った。

 竹村は納得気味に深く頷いた。



 ミルカと行商人を連れて裏の畑までやって来た竹村は、早速かごに野菜を採り始める。夏の野菜といえばトマトやきゅうりだ。どちらも枝になっているから、掘り返す必要がなくて収穫が比較的楽だ。

 調度良い実り具合を検分しつつ、傷つけないように枝からもぎ取る。すぐ食べられそうなのを渡すと、運搬中に熟れきってしまうので、まだちょっと青いのがいいだろう。


「トウモロコシも持っていくか?」

「いいね、ここのトウモロコシは甘くて評判がいいんだ」


 国が違えば作物も違うものだが、ここで育てる野菜は竹村もよく知っているものばかりだったので非常に助かる。昔、祖父の家庭菜園で手伝った経験が生きている。

 そして味はとても良いのだから驚きだ。

 この国の農業研究者は優秀だなぁ、と竹村はよく感心していた。


「ふー、こんなもんか」


 トマトをもぎ終えて額の汗を拭うと、足元でミルカが竹村の裾を引っ張った。その吸い込まれそうな瞳は無言で手の中のトマトを見ていた。


「食べるか?」

「に」


 ミルカは単音の返事を返して元気よく頷いた。



 よく熟れた方のトマトをひとつ採ってミルカに渡してやると、彼女は夢中でトマトにかぶりついた。口の周りが真っ赤だ。

 食べ終わったら拭いてやらねば。と竹村が手拭いを探していると、野菜籠を受け取った行商人は、少し真剣な顔つきに変わって、懐から何かを取り出す。


「実は、この辺りの領主から手紙を預かってきたんです」


 それは高級そうな白い紙を巻いて、蝋で封印した物だった。

 領主とは、この近隣の村々を治めるタキシン王国の貴族で、この孤児院の土地家屋のオーナーでもある。

 行商人の表情からも、手紙は良い知らせではないのだろうと予想された。

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