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07_さよなら院長先生

 寝てしまった3才児トリオをさておき、何度かチーム替えして『どろけい』を遊ぶと、じきに太陽が傾き始める。するとアイラが遊び時間の終了を告げた。


「日が落ちる前にお風呂にしよう」



 3才児トリオを起こし、幼女様ご一行と竹村は一路お風呂に向かう。

 初めての事なので竹村は疑問符を飛ばしたが、みんな一様に「あとのおたのしみ」というだけで教えてくれなかった。

 孤児院から20分ほど歩き、小さな丘を越えると、前方にピンク色のふわっとした塊が見え始める。


「あ、もしかして桜か?」


 竹村は独り言を呟き、聞きつけたエリナが得意気に腕に絡みつく。


「ふふーん、きれいでしょ?」


 桜と言えば日本人の心の花だ、と断言する人もいる。それくらい日本人には馴染みがあり、愛されてきた。

 このどこにあるかもわからない異郷の地で見るとは思わなかった。竹村は嬉しい不意打ちをもらったな、と微笑んだ。


「でもサクラってなに? あれはヘントウよ」


 桜とは違う種別の木だったらしい。それにしてもよく似ている。

 近づいて見ると、その木の下に温泉が湧いていた。人の手は入れてあるようで、周囲や足元に石を敷いてあり、簡素な脱衣小屋まで整えてあった。


「いちばんはハンナ」

「ひゃー」

「にひゃー」


 小屋があるというのにその場で服を脱ぎ捨てて、一番に駈け出したのはハンナだった。マリカやユッタも奇声を上げながら後に続く。


「もう、ちゃんとしなきゃダメでしょ」


 毎度の事なのか、呆れ気味に脱ぎ散らかされた幼女服を拾い集めるアイラだったが、さらに後に続こうとする竹村を見つけ、唖然とし、そして顔を赤くして怒鳴った。


「大人なんだからちゃんとしてください」

「はい」


 竹村はしょんぼりと、脱衣小屋へと足を向けた。

 脱衣小屋と言っても、本当に簡素だ。男女別にもなってない。聞けば「風呂に入っている間、猿に服を取られないための対策」なのだそうだ。

 使うのは孤児院の住人だけなので、それで困ったこともないという。


「まー日本も江戸時代までは混浴が当たり前だったっていうしな」


 劣情をもよおす類の子供好きとは一線を画す竹村は、薄暗い小屋で徐々に衣服を無くしていく幼女の小さくぷにっとした身体にも、細くなめらかな微曲線にも、けして、なまめかしさなど感じる事はないのだ。

 ただただ、微笑ましさから来る満面の笑顔で、彼女たちの脱衣シーンを見守った。

 端から見れば、どちらも見守る点では同じ罪人なのだが。


「タケムナにも、はい」


 エリナから、美しい光景に魅入る竹村に渡されたのは石鹸だった。飾り気も香りも特にない、いかにも手作りの物のようだった。


「身体洗ってから浸かるの。知ってる?」

「ああ、もちろん」


 竹村は力強く頷き、すでにトテトテと移動しつつある幼女たちの後に続いた。



 露天の温泉、空を覆う満天のピンク色の花。これだけでもお風呂大好き日本人にとっては天国のような光景だ。そこに、お互いの身体を洗い合うアワアワの幼女たちが加わると、もはや竹村の目には潰れそうなほどにまばゆい光景だった。


「おお、妖精郷(アヴァロン)はこんなところにあったのか」


 そこからしばらくの記憶が、竹村にはない。おそらく幸せすぎて脳がショートしたのだろう。



 そのような、竹村にとって幸福の日々がしばらく続いた。

 しばらく続いて、ある日、院長先生が病に倒れた。

 春も半ば、ヘントウの花もすっかり散った頃の事だった。




 孤児院の1階にある食堂兼居間となっている大部屋に、竹村と幼女たち、そしてたまにやってくる行商人の男が集っていた。

 誰もが無言で、特に年齢が高い者ほど、悲痛な表情でうなだれている。

 この孤児院を長いこと運営し、切り盛りしてきた院長先生が病に倒れたのだ。


「ねえアイラ、院長先生は大丈夫だよね?」


 沈黙に耐えかねた金髪のエルフ耳幼女エリナが、隣に座る黒髪幼女アイラに問う。だがそれは誰も答えることの出来ない問いだ。

 時と共に沈黙は重さを増し、やがて誰かが階段を下る足音が聞こえてくる。回診に来てくれた、初老のお医者様だった。行商人が馬車で連れてきてくれたのだ。


「院長先生はどうですか?」


 誰もが深刻な事態を恐れ躊躇する中、竹村は代表するように医者に駆け寄った。


「あなたがタケムナさんですね」

「竹村です」


 医者は幼女たちを見回し、もう一度竹村の目をじっと見る。そして静かに頷いた。


「院長先生があなたをお呼びです。話があるそうです」


 竹村は訝しむ表情で首を傾げるが、医者の言葉に従い、入れ替わるように2階へ向かった。2階の一番奥が院長先生の執務室兼寝室となっている。


「おお、タケムナさん、こちらへ」


 部屋に入るなり、病で一層弱々しくなった老人がベッドから手招きをする。顔色は土気色で、手も震えている。素人目からも容態は良くない。


「話がある、と聞きました」


 竹村はベッドの傍らにある簡素な丸椅子に腰を下ろし、院長先生の、骨と皮だけの手を握り、静かにおろす。


「タケムナさん、見ての通り、私はもう長くない」


 老人はいつもそんなことを言う。若者はそんな言葉にどう返事をしたらいいのか、いつも迷ってしまうのだ。


「いえ、そんなことは…」


 結局、竹村はお決まりの返事をするしかない。


「それはいいのです。私はもう長く生きた。それはしかたがないのです」


 諭すように穏やかな声が竹村の耳に届く。竹村は黙って老人の言葉の続きを待つ。


「気がかりなのは、残していくあの子達です」


 それはそうだろう。彼がどういう経緯でこの孤児院を運営してきたのかは知らない。それでもしばらく一緒に暮らした竹村は、両者の絆が深いことを知っている。

 院長先生が幼女たちを本当の娘や孫のように可愛がり、幼女たちも肉親のようにこの老人を慕っている。心配しない訳がないのだ。

 彼がいなくなったら、この孤児院はどうなってしまうのか。この幼女たちの楽園は、果たして無事に存続していけるのだろうか。竹村は不安に押しつぶされそうになる。

 だが、老人の話は続く。


「なので、あなたにお願いしたいのです」

「は?」


 一瞬、何を言われたかわからなかった。老人はその意を汲み、もう一度丁寧に言葉を紡いだ。


「あなたに、この孤児院の行く末を託したいのです。あの子たちを、お願いします」


 竹村は唖然とした。

 すでに社会人歴が10年になる竹村だが、会社では未だ役職なしの平社員だ。学生時代でさえ、サークルにしても学級にしても、集団をまとめたり、運営に関わったことなどない。

 それなのにここに来て9人の幼女の生命を託されようとしている。

 今まではその責任の所在は院長先生にあり、竹村は幼女たちと遊んでいればいいだけだった。だが引き受けてしまえば責任の所在は彼のものとなる。

 そんな負ったこともない重責を果たせるのだろうか。

 竹村の脳裏はそのような思考でいっぱいになった。


「急で申し訳ない。だが、あなたがここに来たのは運命だった、と私は思うのです」

「運命…」


 さらに重い言葉だ。

 だが、仮に竹村が引き受けなければ、幼女たちはどうなってしまうのか。まさしく先に考えた通り、この幼女たちの楽園が無事に存続していけるのだろうか。

 いや、率いる大人のいない幼女たちだけで、いったい何が出来るのか。何も出来はしないだろう。


「すぐに返事をしろ、とは言いません。ですが、私の命があるうちに」


 そう言いかけて院長先生が咳き込む。どうやら長く話させても体に障るようだ。竹村はそっと老人の背をなで、掛ふとんをなおす。


「考えます。考えますので、どうか院長先生はゆっくり休んでください」


 竹村がそう答えると、老人は目を閉じ静かに寝息を立て始めた。これだけでも大層な疲労だったのだろう。竹村は老人を起こさぬよう、静かに席を立った。



 廊下に出ると医者が竹村の退出を待っていた。

 まだ何か診察が残っているのかと思ったら、竹村に用事があったようだった。


「院長先生はもう長くないでしょう」


 絶句。まさかの余命宣告だ。いや、竹村にも薄々わかっていた。だが、不安を何とか忘れたかっただけだ。


「なんとかならないんですか?」


 身内が死に際し、誰もが医者に投げかけるだろう台詞。だが、決まって医者は首を横に振る。


「本人の意識も衰弱しきっています。本人の心が少しでも元気になれば、あるいは可能性はありますが、これは万に一つの話だと思ってください」


 ありえないことではない。だが期待できるほどある話ではない、ということだ。

 病は気から、と言う。だが健全な精神は健全な肉体から、とも言う。どちらも大事で、どちらかが大きくバランスを崩していれば、もう片方も健全ではいられない。


「心が元気になれば、か」


 藁にもすがる思いで、竹村はそうつぶやいた。



「え、そりゃ、手に入るでしょうけど」

「なんとか頼むよ」


 食堂へ戻った竹村は、取るもとりあえず行商人の向かいへと席を定めた。

 彼の愛する幼女たちはみな沈痛な面持ちで静かにしている。

 遠くから眺めていた時は「しょんぼりする幼女もかわいい」などと言えたが、一緒に暮らし、心が近くなった分、幼女たちの悲しみは、ダイレクトに竹村の悲しみになった。

 今は、幼女たちの笑顔を取り戻すためにも、院長先生に元気になってもらわねば。

 その方策として、竹村は彼の考えを具現化するための品々を、行商人に頼んで手に入れなくてはならない。

 彼の作戦が成功すれば、院長先生もたちまち元気になるに違いないのだ。少なくとも、自分なら棺桶からでも飛び出る自信はある。


「そりゃね、すぐ南には芸術の都ロシアードがあります。戦争中だから、そういうのは普

通より安く手に入るでしょうね。でもね、それでも高いですよ」

 金か。と竹村は考えこまざるをえない。

 竹村の所持金は、通勤の時持っていた約2万円。しかも日本円だ。この孤児院だって財政的に恵まれているわけでもない。

 金と言われれば、断念するしかない。


「いやまてよ。ちょっと来てくれ」


 その時竹村は、今まで温存していたアレのことを思い出した。



 階段脇の倉庫から、竹村はそれを取り出す。それは彼が通勤時に愛用していたロードバイクだった。

 竹村が外の小道で寝ていたあの数日後、すぐ近くに愛車を発見し、ここに仕舞っておいたのだ。


「な、なんすかこれ」


 行商人が未知の物体に目を丸くする。


「自転車、見たことないか? なら余計に高く売れるかもしれないな」


 竹村はニヤリと笑う。これでアレを手に入れる、財産的な問題はクリアできそうだ。



 商談を終え、行商人の馬車が、医者とロードバイクを積んで帰っていく。竹村と数人の幼女は玄関から見送りながら手を降った。


「いんちょせんせ、げんきになる?」


 竹村の脚に絡みついたカエルパーカーの幼女マリカが、不安そうに見上げる。竹村は笑顔と不安の入り混じった複雑な顔のまま、優しくマリカの髪をなでた。


「ああ、間に合えばきっと元気になる。マリカにも頑張ってもらうよ」



 だが、孤児院住人たちの頑張りも虚しく、数日後、院長先生はひっそりと息を引き取った。

 結局、竹村は間に合わなかったのだ。

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