04_幼女に殺される
孤児院の朝は比較的早い。
比較的、と言うのは竹村のこれまでの日常と比べて、と言う話だ。
もっとも孤児院に時計がないので正確な時間は定かではない。目覚めたときの感じで、「あ、ちょっとまだ早いな」と感じたまでの事だ。
とにかく、まず最初に起き出して動き出すのが、院長先生と黒髪幼女アイラだ。
竹村が与えられたベッドは2階にある、3つの寝室のうちの一つで、お姉さん幼女のアイラと、ウサ耳リンネ、カエルパーカーのマリカ、そして猫耳ミルカと同室になる。
与えられた、と言っても、その部屋では大小のベッドが一つずつあり、小さい方にアイラが一人で寝て、大きい方を3歳児トリオが共有と言う按配だったので、竹村は3歳児たちに混ぜてもらい同衾と言う状態だ。
大人の竹村でもはみ出ずに寝られる大きさの簡素なベッドに大の字に寝そべり、彼の左腕を押し潰すようにマリカが横で大の字になる。
ミルカは竹村のお腹を枕に丸くなり、リンネは足元あたりで、遠慮がちにスネを枕にしている。
スネは硬いだろ、と何度か言ってみたが、リンネは「ここがいいの」と首を振った。どうもそこが落ち着くらしい。
そんな具合に3歳児たちの香りと体温とぷに肌に包まれながら、早朝の幸せなまどろみを過ごしていると、近くで人の気配がする。
それほど神経質ではない竹村は、そのまままどろみに身を委ねていたが、その気配は何度か彼の頬をつついて遠ざかった。
不思議に思った竹村はゆっくりと目を開けて気配を探す。そこにいたのは、パジャマから質素なワンピースに着替えている途中のアイラだった。
カーテンから漏れる朝日の中で、幼児期から脱する寸前のほっそりとしたアイラの素肌がキラキラと美しかった。
「お、起きてたんですか」
半身起こした竹村に気付き、アイラは急いで素肌を隠す。
「まら、おねむの」
ついでに左腕の上で寝ていたマリカも不満げに半身起こす。こっちはまだ寝ぼけたままのようだ。
竹村は幼女に欲情を覚えるタイプの子供好きではないので、ツルぺたした体型にも、イカ腹も『かわいい』以上の感情を覚えない。ただかわいい、という感情がレベル知らずで困るのだが。
なので竹村は正直な感想を口にしてみた。
「朝から美しい光景をご馳走様です」
結果、真っ赤になったアイラから枕を投げられた。
アイラが着替えている間は寝室から追い出されたが、その後は「もっと寝ててもいいです」と言い置かれた。
アイラはそのまま階下へ進む。どうやら朝食の準備のようだ。
竹村は寝室にもどり、さっきまで寝ていたベッドをのぞき見る。
誰かの体温を求めて転がりまわった結果か、3歳児たちはそれぞれがそれぞれを枕にするように、一塊になってまどろんでいた。
部屋の空気がパステルカラーに変わった気がした。何この萌えウロボロス。
今更このかわいい空間に混ざる事もできず、竹村はアイラを追って階下へ行ってみる。予想通り食堂の奥にある台所に、アイラとエルフ耳のエリナがいた。
「おはよ、タケムナ」
竹村の姿を見つけたエリナが元気よく手を挙げる。やっぱり竹村という名前は、発音しにくいらしい。
その手には、今しがた野菜の皮むきに使っていた小さなナイフが握られている。図らずも竹村にナイフで襲い掛かるような絵になった。
「あ、あぶないよエリナ。…その、お、おはようございます」
そういえばアイラとは朝のごたごたで挨拶をし損ねたと思い、竹村は2人に向けて笑顔を向ける。
「おはよう。ちゃんと挨拶できてえらいね」
「まーね!」
「子供扱いしないでください」
エリナはツインテールをぴょこんと揺らしながら、得意げに応え、アイラはやっぱりそっぽを向いてしまった。
「おやタケムナさん、お早いですな」
エリナと手を振り合っていると、続いて院長先生がやってきた。この幼女たちの保護者に、竹村は姿勢を正して頭を下げる。
「おはようございます」
「おはようございます。子供たちと一緒ではよく眠れなかったのでは?」
院長先生が少々心苦しそうに訊く。孤児院はそこそこに広いが、10人が暮らすことを考えると充分とはいえない。だが、竹村は満面の笑みで首を横に振った。
「いえいえ、とてもいい夢が見られました。感謝しても足りません」
「子供、お好きなんですね」
「ええ、幼女が大好きです」
先日のやりとりをもう一度繰り返し、沈黙の後に2人は微笑みあった。
「先生、のんびりしてないで野菜採ってきてよ」
すでに眼前の野菜をこしらえ終えたエリナが、大人2人の微妙なやりとりに口を挟む。腰に手を当てて、顔だけで叱ってみせるような、そんな素振りだ。
「おお、すまんね。今行くよ」
院長先生はすぐに頭を掻きながら謝罪を述べ、台所を後にした。
竹村はそんな彼を見送り、再び料理を続ける幼女の背と小さなおしりに目を向ける。朝から締りがない表情を垂れ流し状態だ。ここは天に一番近い国に違いない。
「ほら、タケムナも!」
などと思っていたらエリナに追い出された。お姉さんぶる幼女がかわいくて、竹村は逆らう事が出来ず、しかたなく院長先生の後を追うことにした。
台所から外へ続く裏口をくぐると、少し先に畑が見えた。家庭菜園の規模を少し大きくしたくらいの野菜畑だ。
畑の横には小屋がある。道具小屋かと思ったら、大きな黒い老牛が1頭だけいる牛小屋だった。
よく晴れた気持ちのいい朝。陽気は少し肌寒いが、凍えるほどではない。どうやら日本と同じ春のようだ。
「院長先生、俺もなにか手伝います」
畑に先行する老人に駆け寄り、竹村はすぐに彼の隣に並んだ。春の陽気がよく似合う穏やかな微笑みを持つ老人だ。
「はっはっは、エリナに追い出されましたな。でもそれほど手伝っていただくことは有りませんよ」
院長先生の言葉の意味はすぐ解った。
春先のせいか、まだ畑も土肌だけの場所が散見される。華やかなのは一面きりのキャベツ畑だ。
「何個採ります?」
「1個で充分ですよ」
「なるほど」
本当に手伝うまでもなかった。これでは幼女を眺めるのを諦めて来た甲斐がない。
「そうだ、向こうを耕しましょうか」
手持ちぶたさで、冬の間休耕していたと思われる、土面が少し固そうな畑を見る。これなら少しは役に立てそうだ。家庭菜園なら子供時分に祖父の手伝いをさせられたので、少しは分かる。
「ありがたいですね。でもそっちは朝食の後にしましょう」
そりゃそうだ。腹が減っては仕事もはかどらない。竹村は自分も空腹だということを思い出し、腹に手を当てた。
さっきまでは幼女が近くにいて、幸せすぎて胸がいっぱいだったから気付かなかった。今後、ここで暮らすなら餓死しないよう気をつけよう。
キャベツ1玉に大人2人動員という、高いコストをかけてから孤児院に戻る。
台所は女の仕事場だから、という理由でやっぱり追い出された竹村と院長先生は、所在なさげに、まだ空のテーブル席についた。
竹村は特に意識せず、台所が望める席を選択する。さすがだ。
「タケムナさんの国はどんな国ですか?」
院長先生が穏やかな笑みを崩さずに世間話を投げかける。その表情には作り物という感じが全くない。
「平和な国ですよ。少子化とかで幼女が減ってきてるのが残念ではありますけど」
竹村にとっては平和より幼女だ。ただ世の中が平和でないと、幼女が安心して暮らせない。しかし平和なのに幼女が減っているという日本の現実に、竹村は自分で言って自分で落胆した。
「そうですか。どの国にも、国なりの問題があるのですなぁ」
その落胆を汲み取ったのか、院長先生は優しく相槌を打つ。これがもう少し壮年の者ならば「平和ならそれでいいではないか!」と反発するかもしれない。このあたり、欲にギラギラしている日本の老人とは違うな、と竹村は感心した。
そんな事に感心しながら、竹村は相変わらず台所の幼女2人をぼんやり眺める。
「あれ、そういえばイリスがいないですね」
昨晩、夕食を用意してくれたのは、今台所にいるアイラ、エリナと共に、眼鏡をかけたイリスという幼女だった。
竹村は単純に3人が食事係だと思っていたので、つい口をついた。
「ああ、朝食はだいたいあの2人です。イリスには他のお役目が」
言いかけたところで、ちょうどそのイリスが階段を降りて食堂にやってくる。彼女と犬耳幼女ハンナを先頭に、あと5人の幼女も降りてきた。すでに朝の身支度を済ませているようだ。
「お、おはようございまつ。せんせい、タケムナさん」
「イリスとハンナは、妹達を起こす係なのです」
「なるほど」
起こして、着替えさせたり身支度を手伝う係なのだろう。明日からはそっちを手伝おうか。あとしっかりしてそうで舌が回らないイリスかわいい。
「おはよー」
「おあよ、たけにー」
「はい、おはよう」
次々に挨拶を交わし終えると、続いて勃発するのは席をめぐる争いだ。
どうやら席順は決まっていないらしく、竹村という珍しい客人のせいで、彼の両隣は人気のS席状態だ。
食堂の扉をくぐった瞬間から、よーいどんで勝負が始まる。押し合いへし合い、短い距離の競争はほんの一瞬の出来事だ。
「きょうはユッタがいちばん!」
勝者は丸い狸耳がかわいいユッタだ。続いて争いに参加していたハンナとカエルパーカーのマリカが左側の席を争おうと目線を変えるが、そこはすでにクールな猫耳幼女ミルカに占領されていた。
「もう、食堂で走ったらメっ!」
「あーい」
少し怖い顔を作ったイリスが腰に手を当てて叱ってみせる。席順争奪戦の敗北者たるハンナとマリカは見る見る落胆した様子に変わり、トボトボと空いた席に座った。
「たけにー、おはよー」
竹村の右隣に座った狸耳のユッタが、改めて朝の挨拶を繰り返す。特別席に座ったというアピールだろうか。竹村はそう判断し、さっきとは違う、ユッタだけに向けた笑顔で返事を返した。
「はい、おはようユッタ」
「にへー」
ユッタのタレ気味の目が細くなり、さらにタレた。幼女の笑顔はそのかわいさを数倍にする。竹村は朝からまた心臓を射貫かれた。
すこし落ち着きを取り戻そうと左隣のミルカを見ると、彼女もまた竹村の動きに合わせてこっちを見た。図らずも見つめ合う状態だ。
しばし無言の後、ミルカは黙ったまま静かに頷いた。無口な彼女なりの挨拶だったのかもしれない。
全幼女が着席を果たすと、いよいよ朝ご飯だ。
焼いた黒パン、炒り豆、そしてキャベツの入ったスープだった。
「パンは毎日焼くの?」
「ううん、3日に一度よ。固めに焼くと日持ちするの」
何気ない質問にエリナの回答。竹村はなるほどと頷いた。
「たけにー、はい、あーんして」
エリナと会話していることに不満を持ったのか、席順争奪戦勝者ユッタが、少し頬をふくらませて自分のパンを一切れ差し出した。
竹村は自分の身に舞い降りたこの幸せなシチュエーションに、一瞬パニックに陥る。彼女いない歴が年齢とかぶる竹村にとって「あーんして」などという状況は、記憶にすら無い幼児時代まで遡る。
なんだ狸かと思ったら天使じゃないか。竹村はハッとしてグッと来て、そして満面の笑みでユッタのパンを頂いた。
ユッタは満足そうに笑って続いてあーんと口を開ける。
ぐは、この幼女、ただの天使じゃねー。父のヒエラルキー三隊に属する上位天使だ。間違いない。
竹村は死を覚悟して、自分のパンを少しだけスープに浸してから、ユッタの口元に運んだ。ユッタは満足そうに自らの頬を両手で挟む。やはり竹村は萌え死んだ。
一息つかねば残機がどれだけあっても足りない、と、竹村は反対側に座るクール幼女の方を見る。彼もまたクールダウンするつもりだった。
だがそこには無言で炒り豆を刺したフォークを突き出すミルカがいた。
アンブッシュ成功。クリティカルヒット。竹村の残機がまたひとつ減った。