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01_ここは天国か

 脳内をめぐるグルグルとした暗黒が、竹村千種(たけむらちぐさ)を支配した。

 なんだこれは、と考えてみるが、いまいち意識がハッキリしない。

 仕方なくなぜか動かない身体の色々な場所に意識を集中してみる。

 まずは背中。どうやら竹村はどこかに横たわっているようだ。

 ゴツゴツしているが、独特の温かみを感じる。アスファルトやコンクリートではない。土の上だろうか。

 次は手足。痺れた感じがして、イマイチ動きそうな気がしないので、これは後回しにしよう。

 では顔はどうだろう。どうやらここは屋外のようで、僅かな風と、草の匂いが鼻をくすぐった。

 そして何かが頬にペタリとついた。わずかにシットリとした、それでいて生暖かい小さな何かだ。

 竹村は薄っすらと目を開けてみる。空の青と共に、目にも鮮やかな緑色が飛び込んでくる。


「なんだ、カエルか」


 ハッキリとしない頭で竹村はそう呟き、そして急速に覚醒した。

 カエルだと? そんな人間の子供ほどの大きな蛙がどこにいる。

 慌てて半身を起こし周囲を見渡す。そこは草と土が入り混じった平原で、遠くに海も見えた。

 そして傍らにて彼の頬をペタペタと触っていたのは、緑色のパーカーを着込んだ、小さな小さな女の子だった。竹村の幼女センサーが正確ならば、おそらく3歳だ。


「おにたん、だあぇ?」

「なんだ、カエルじゃなかった。いや当たり前か」


 ホッとしたのも束の間、途端に目を輝かせた幼女が竹村にのしかかる。


「かえるたん! かえるにーたん!」

「げこぉっ」


 油断していたため、つい胃の中身をぶち撒けそうになる。しかし腹にかかる幼女の重みは中々に心地良いものだ、などとすぐに頬が緩んだ。

 しかししまった。誰か、と尋ねられた後に独り言をつぶやいたせいで、竹村がカエルであると判断されてしまったようだ。

 だが竹村は、すぐさま「まぁそれで幼女が笑うならいいか」と思い直した。


 そんなことより、まずここは何処か、だ。

 竹村は状況を理解しようと、身体の状態を確かめながらゆっくり立ち上がる。カエルパーカーの幼女がコロコロと笑いながらしがみついてくるので、抱き上げながら、という形になった。

 しかしこうして抱き上げて初めて知ったが、幼女と言うのは何やら暖かくて、ミルクの匂いと、少しだけオシッコの匂いがするものなんだ。竹村はふと鼻息が荒くなるのを感じ、慌てて深呼吸する。

 いやマズイマズイ。ロリコンに厳しい今の世の中だ。たったコレだけでも不自然な振る舞いをしたら通報事案だ。

 さて、幼女を抱き上げたまま、安物の背広から埃を払い、竹村はもう一度ゆっくり周囲を見渡す。

 背の低いススキのような草と白詰草で覆われた草原。そこに土肌が露出した一本の筋が向こうからずっと伸びていた。たぶん道だろう。竹村が寝ていたのも、その土の道だ。


「いや、なるほど。さっぱりわからん」

「わかわん」


 何が面白いのか、カエルパーカーの幼女が竹村の口真似をする。だが舌が回らず、ちゃんと発音できていない。かわいい。

 さて、竹村はさすがに困った。

 幼女は可愛いし、はからずもこうしてスキンシップを取るという幸運に恵まれたのはいいが、ここが何処で、自分が何故こんな未開くさい場所に寝ていたのかが、さっぱりわからないのだ。

 どうしたものか。

 とりあえず竹村は、思い出せるだけ近隣の記憶を呼び覚ますことにした。




 竹村千種はロリコンではない。いつも周囲に対し、そう主張している。

 もう年齢も30歳を過ぎたというのに独身で、それどころか彼女いない歴が年齢とかぶる。

 趣味は漫画にアニメにライトノベル、あとゲーム。数年前にPVC系のフィギュアを買ったら、いつの間にやら部屋はアニメ顔の人形だらけになった。


 そしてここからが重要なのだが、常々「子供は可愛いな」と思っている。女の子ならなおさらだ。


 それを憚らずに主張するから、周囲の人からロリコン呼ばわりされる。

 竹村にしてみれば非常に心外だった。

 彼の主張はこうだ。


「ロリコンとは、性的な興奮を少女に求める者のことだ。俺は、違う」


 通勤途中に見かける、青や紺の制服に身を包んだ就学前の、いわゆる幼女を見かけるとつい頬が緩む。

 だがそれまでだ。

 例えば犬好きが子犬を見かけた時、撫でたり構いたくなるし、その時はとても幸福な気持ちになる。

 彼の幼女に対する想いとは、そういうものなのだそうだ。

 ちなみに、幼女レベルの年齢層に性的興奮を覚える者は、ロリコンではなくペドフィリアと呼ぶべきだ。

 世間ではこの区別なく、未成年に劣情をもよおすとすぐロリコンと言われるのだが、この辺りも竹村は納得いかない様子だった。


 さて、そんな竹村は社会人である。

 勤務地が家から5キロ程なので自転車通勤だ。

 初めは学生時代から愛用しているママチャリに乗っていたが、今は、ある年のボーナスで奮発して買ったロードバイクに乗っている。

 当然、あのピッチリとしたサイクルジャージを着て、ガチでやるつもりなんかないが、それでもママチャリに比べれば走行性能が段違い。

 つまり軽いし早い。

 その朝もロードバイクで颯爽と通勤だ。

 アパート近くの小さな道から大通りに出て、そしてまた小道に入る。すると竹村の前にはパステルカラーで彩られたマイクロバスが停車中だった。

 幼稚園の送迎バスだ。

 停車中のバスに、揃いの紺の制服に身を包んだ幼女たちが次々乗車していく。これから幼稚園に向かうのだろう。かわいい。いや男児もいるが、不思議と視界に入らない。

 竹村がバスや電車を使わず自転車通勤にこだわる理由はこれだ。

 緩む頬をキリリと引き締め、「気をつけてるんですよ」と言う振りで速度を落とす。落としながら、停車中のバスを追い抜き、ちょろちょろと乗車していく幼女を眺める。これが日課だった。

 至福の瞬間が過ぎ去り、送迎バスを追い抜いた竹村は速度を上げる。

 次はこの先でバスを待っている幼女たちを眺め無くてはならないのだ。



 いくつかの停車場所を過ぎ、ご満悦の竹村は、大きな交差点で自転車を止める。赤信号だ。


 この交差点は最近『歩車分離方式』になった。

 今までの交差点は、車道と同じ進行方向の信号が青となり、その進行方向とクロスする道は全て赤になる方式だった。

 『歩車分離方式』は、まず縦横車道の信号が交互に変わり、最後に全車道信号を赤にして、横断歩道が全て青になる方式である。スクランブル交差点と同じ方式だ。

 初めは車道信号が青になるのにつられて、飛び出しそうになる歩行者がいた。ちょっと危ないなあ、と竹村も思っていた。

 ちなみに自転車は道路交通法上、車道を走る事に決められているので、当然、竹村は車道側の信号を見ている。


 その信号が青に変わった。

 竹村は軽いギアからスムーズに漕ぎだす。安物の背広が風にはためく。その彼の視界の左端に動く者が入った。それは車道信号につられて飛び出した幼女だった。


「あぶっ」


 焦って言いかけた竹村は、とっさにハンドルを切る。後続車にとっては非常に迷惑だろうが、幼女を危険から守るためなら我慢してもらおう。

 だが不幸にも竹村の後続車は、彼の急な進路変更を気にしなかった。なぜなら、左折車両だったからだ。

 竹村の目にスローモーションの映像が飛び込む。

 横断歩道に飛び出した幼女、勢いで手を離してしまった母親、そして幼女に向かって進む左折車両。


「ばかやろう。幼女は世界の宝だぞ」


 竹村は決断するより早く、ペダルを蹴った。

 ギリギリの所で竹村が幼女と自動車の間に滑りこむ。ロードバイク、さす

がのダッシュ力がモノを言った。


「痛いだろうな」


 つぶやいて竹村は目を固く閉じた。

 暗転。そこまでが思い出せる記憶だった。




「なるほど、やっぱりわからん」

「わかわん」


 露出した土の小道の上で竹村はこめかみを押さえる。抱え上げられたカエルパーカーの幼女が口真似するが、やっぱり舌が回っていない。かわいい。


「ま、いいか。とりあえず生きてるみたいだし」


 竹村は持ち前の気楽さで考えるのを放棄し、幼女を両手で持ち上げて肩車に移行する。縦抱きは腕がすごく疲れる。


「さて、お嬢ちゃん」

「あい?」

「お(うち)は何処かな」


 自分がこんな場所にいる原因なんてどうでもいいが、とりあえずは身と幼女の安全確保だ。端的に言えば、幼女の家で情報収集がしたい。そして出来れば親公認で幼女と戯れたい。いや後者は無理かもしれないが。

 そう益体もない打算する竹村に、幼女は元気よく彼の顔を叩きながら指を付き出す。


「あっち!」


 幼女の小さなぷにぷにの指の先、およそ500メートル向こうには、何やら教会にも似た、古く白い建物が草原の中、佇んでいた。



「かえるーかえるーどーしてかえるはみどりかなー」


 緑色のパーカーを着た幼女が、竹村の肩の上で楽しげに歌う。幼女を肩車したまま、その家と思われる建物に向かう道の上だ。

 道、と言ってもアスファルトでないどころか、砕石すら敷かれていない。土剥き出し、完全無欠の未舗装路と言えよう。

 普段、山歩きなども全くしない竹村にとっては、歩きにくい事この上ない。だが当然ながら全く気にならない。言うまでもないが、幼女を肩車して、共に歌い歩くのが楽しくてしょうがないからだ。

 30余年の人生中、今が2番目に幸福な時かもしれない。

 ちなみに最も幸福だったのは、自らが幼女に囲まれていた幼稚園時代である。

 さて、500メートルと言う道のりは、大人の足なら10分程度、幼女を肩車してゆっくり歩いたとしても20分とかからない。

 したがって幼女が指し示した建物は、幼女の歌が5周ほどした頃には、もはや目前に迫っていた。

 古いがなかなか立派な建物だ。2階建て6LDKと言ったところだろうか。

 先に教会のような、と例えたが、十字架のようなシンボルがあるわけでなく、壁も屋根も白一色の西洋風建築だった為の印象だ。


「はー、立派だねぇ」

「りっぱ?」


 思わず口をあけて見上げる竹村に、幼女はちょこんと小さく首をかしげる事で返事をする。肩車のため、そのかわいい仕草を拝謁できないのが残念だ。

 その時、その教会風建築物の正面扉が勢いよく開いた。


「な、なんだ?」


 間抜け面を晒す竹村の視界に飛び込んでくるのは、扉から飛び出してきた新たなる幼女だ。単数形幼女ではない。数えて8人の複数形幼女だ。

 少しお姉さんな幼女から、まだ歩く足元がおぼつかない幼女まで、すべてが竹村に向かって駆けて来る。

 いつも街で幼女を眺める竹村は、ほとんどの場合は後ろから、良くて横から、本当にたまにだけ正面から幼女を拝むことができる。

 だが、この時ばかりは8人の幼女がすべて竹村に向かってくるので、当然全員が正面向きだ。

 竹村の視界は感動のフィルターでキラキラと輝く。


「何これ、ここは天国か? 俺、やっぱ死んだの?」


 竹村は幸せのあまり思わずそうつぶやいた。

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