王女様達のお茶会
本編完結後のお姫様達のお茶会です。
焦がれるほどの美しさを持つその人を初めて見た時の衝撃は、今も忘れられない。
輝く太陽のような金の髪、白磁のような白い肌。頬には仄かに薔薇色の紅が差して…長い睫に覆われた深く碧い瞳は、見る者の心を射抜かずにはいられない。
一目でエルマ様の虜となってしまったわたくしは、お兄様とエルマ様の結婚を熱望した。
リブシャ王国は誰の目から見ても明らかな大国だけれど、だからと言って己の富を独占するような狭量なところはなく、むしろ弱き者達に目を向け手を差し伸べる懐の深さを持っていた。
嘗て我が国が彼の国に対し暴挙に出た時も、リブシャ国王は我が国の惨状を慮ってほぼ不問に付して下さっている。
その恩を忘れるわけにはいかない。
わたくしたちに出来ることは限られているけれども…幸いにして、それが何かは自明であり、我が国にとってそう難しいことではなかった。
武力を他国に頼っているのがあの国の最大の弱点だと、お兄様はいつも仰っていた。
穏やかな気性の国民を護ることは並大抵の努力では追い付かない。
ならば、あの国が何かの危機に陥るようなことがあれば、真っ先に我が国が駆けつけよう。
わたくしたち…ハーヴィス王家の者達はそう心に誓った。
だからこそ、わたくしの望みはお兄様にやんわりと拒絶された。
「アリシア。私はエルマ王女と結婚することは無い。あの方と対等な立場になることなど、有り得ない」
「ですが、お兄様。ワイルダー公国のクレイ皇子は別の女性と先日、正式に婚約なさいました。エルマ様のお相手に相応しい王子は、お兄様以外見つかりませんわ。それに、あの婚約式ではエルマ様もお兄様も、とても仲睦まじくお話をされていたではありませんか」
「あれは政治の話だ。お前が期待しているような内容ではない」
「ですが、エルマ様に近付こうとする殿方を寄せ付けないようになさって…」
美姫として名高いエルマ様は大変な人気だ。その姿を少しでも近くから見ようとする者達が押し掛けてくる。もちろん貴族達もその例外ではない。
そんな人達からお兄様がさりげなくエルマ様を庇っていらっしゃったことを思い出してそう指摘すると、お兄様の顳顬がぴくりと動く。
「あれは…。せめて、あの方の盾になれればと思ってしたことだ。エルマ王女はサラ殿の姿を追うことに夢中で、自らの身を守ることに無頓着なようだったからな」
「盾?」
その言葉を耳にした時、もしかしたら、とわたくしの期待は急速に膨れ上がった。
守りたい、という感情が殿方達にとってどのような意味を持つのかは、休憩中の侍女達のお喋りを時折耳にするから知っている。
お兄様には女性に対して氷のように冷たいという評判が常に付き纏っているけれど、事実は違う。
わたくしやお母様に対してだけでなく、女性に対してお兄様は本当に優しい。
あの噂は、お姉様達が意図的に流した酷い噂だ。
わたくしを虐めるお姉様達を、その様子を見かねたお兄様が諌めたことを逆恨みして、あんな酷い噂を流すなんて。
お姉様達を叱ったのも、お姉様達を思ってのこと。愛情から来るものだったのに。
あの出来事以来、お兄様は女性に対して距離を置くようになってしまった。きっと、心ない噂を流されたことに、とても傷付かれてしまったのだ。
だから、お兄様の妃となる女性は心優しい女性であって欲しい。
神々から祝福された美しさを持つエルマ様。
心優しいエルマ様以外に、お兄様に相応しい女性はいない。
「随分お元気になられましたね。アリシア王女」
エルマ王女お手製の木苺のパイをお茶請けに、お茶の香りを楽しんでいたアリシア王女は、はっとしてエルマ王女を見た。
ここはリブシャ王城の庭の中にある東屋。
秋の花に囲まれた気持ちの良い景色の中で、二人きりのお茶会の最中だった。
晴れ渡った秋の青空より美しい碧い瞳が自分をじっと見つめていたことに気付いて、顔が熱くなる。
ついぼんやりと考え事をしてしまったことを恥じたのと同時に、憧れの女性に見つめられていたという事実にすっかり舞い上がって、アリシア王女はいつになく大きな声を出した。
「はっ…はい。なんだかとても調子が良くて、こうして遠出も出来るようになりました」
「ステファン王子から、冬の間はこちらで静養されることになったと聞きました。お国の冬は、とても厳しいのでしょう? リブシャ王国にも冬は訪れますが、ハーヴィス王国ほど寒さが厳しくありません。王都では雪すら積もらないと聞きます。…でも、冬の間だけとは言わず、春が過ぎてもしばらく滞在されたら如何ですか?」
思いがけない嬉しい提案に、アリシア王女の目が輝く。
「とても嬉しいご提案ですが、そんなに長い間お世話になると却ってご迷惑では…」
「冬から春のはじめの間までは、村に住んでいる姉妹達も雪道に阻まれて城を訪れることを控えてしまうので、私はお城で一人ぼっちなのです。ですから、その間はひとつ年上の姉に習ったお菓子をお浚いしてみようと思っているのですよ。お母様と料理長は木苺のパイの作り方を教わってすっかり満足してしまわれたので、他のお菓子作りには付き合ってもらえそうにありません。よろしければアリシア王女、お菓子作りに付き合っていただけませんか?」
「是非…是非! 喜んでお手伝い致します!」
「お手伝い、ではなく、一緒に作りましょうとお誘いしているのです。たくさん作っておけば、ステファン王子への良いお土産にもなるでしょう?」
「ああ、エルマ様! なんて…なんて、ご親切なのでしょう」
「喜んで下さって嬉しいわ。春になったら綿の花が一斉に咲き乱れる景色を、是非お見せしたいわ。リブシャ王国の春は、それはそれは美しいのです」
にっこり微笑むエルマ王女を見て、アリシア王女は胸が熱くなる。
「それに、春になったら私はサラと一緒に乗馬の練習をするのです。ステファン王子のお許しを得ることが出来たら、アリシア王女も子馬で練習なさいませんか?」
エルマ王女の腹心の友であるサラの名を聞いて嫉妬を覚えるのも束の間、自分が再び誘われていることに気が付いて、アリシア王女は目を丸くした。
「わたくしが乗馬を…?」
「ええ。ワイルダー公国の騎士団員は、教えるのがとても上手なのですよ。末の妹はすぐ子馬に乗れるようになりました。ですが、無理にとは言いません。見学されるだけでも、きっと楽しいことでしょう。騎士団長にお願いすれば、一緒に遠乗りに連れて行ってくれると思います。この国の春の空気を胸いっぱいに吸えば、お体も一層快方に向かわれますわ」
春の精のように美しい二人と一緒に乗馬を楽しむ自分の姿を想像して、アリシア王女は夢見る目つきになった。
「…こうしてはいられません」
「何がですの?」
突如すっくと立ち上がったアリシア王女に驚いたエルマ王女は、翡翠のように美しい緑の瞳を見つめる。
「わたくし、本日はお暇させていただきます。そして、国に帰ってすぐ乗馬の練習を始めます。春までにはお二人の足手纏いにならずに済むよう頑張ります。…いえ、エルマ様に教えて差し上げられるようになりますわ。ハーヴィス王国騎士団の名にかけて、わたくしを特訓するよう騎士団長に命じます」
「アリシア王女、そんなに気負われなくても…」
「同盟国とはいえ、ワイルダー公国の騎士から教わると聞けばお兄様は決して首を縦に振らないでしょう。だとしたら、わたくしが今から国で乗馬を覚えてしまうのが最良の方法なのです。失礼しますわ、エルマ様」
「アリシア王女、せめてパイを全部召し上がってから…。それに、お土産に料理長が作った木苺のジャムを用意させますわ」
「残りは馬車の中でいただきます。ジャムも侍女に持たせて下さいな。衛兵!」
馳せ参じたアリシア王女の護衛兵に、王女は命じる。
「早馬で侍従長に、アリシアが社交の為に乗馬を習うと知らせて。お兄様と騎士団長にもよ」
「御意」
すぐに出立した護衛兵の後ろ姿をぽかんと見送って、エルマ王女は再びアリシア王女を見た。
初めて会った時とは見違えるように生き生きとしている目の前の王女に、眩しさすら感じる。
ステファン王子はさぞかしお喜びだろう。
もしかしたら幼い頃のステファン王子は、このような快活な少年だったのだろうか。
ふと目の前の王女の髪の色と瞳の色にステファン王子の面影を追っている自分に気が付いて、エルマ王女はどきりとした。
なんなんだろう、この気持ちは。どうしてステファン王子の幼い頃に興味など…。
どきどきと騒ぐ心臓を心の中で宥めながら、エルマ王女は再びアリシア王女を見る。
眩しい金の髪、涼やかな緑の瞳。満面の笑顔で笑っているアリシア王女。
兄妹ならば、やはりこの笑顔と同じ笑顔を持たれているのだろうか。
軽やかに城に向かって駆けていくアリシア王女の後ろ姿を眺めながら、エルマ王女は再び想いを馳せていた。
このお茶会にサラを入れようかどうかすごく悩みましたが、サラが参加したらアリシア王女はきっと拗ねるであろう…ということで、二人きりでのお茶会になりました。
このお茶会の頃、サラはクレイの婚約者としてワイルダー公国に滞在中です。クレイの義姉達に摑まって連日お茶会に参加させられているサラを、見かねたクレイが遠乗りに連れ出す…みたいな感じの滞在でしょうか。