森村秋葉
「あの、夜分遅くに失礼します。私は、その、森村と申します。森村秋葉です。そちらは、花崎さん。花崎夏実さんでよろしいですか?」
「確かにそうですけど――」
相手が彼女と同じ声で喋るものだから、私はつい簡単に返事をしてしまったが、この違和感は何だろう。相手は森村秋葉と名乗ったが、私の知り合いに、そんな名前の人物はいない。それなのに、秋葉の方は私の名前を知っている。しかも、そのくせ「はじめまして」とはどういうことだ。
秋葉は「彼女」ではないのだろうか。
だが、その声を聞けば、決して無関係ではないと分かる。それに、森村という姓にはどこか聞き覚えがあった。もう昔から、ずっと誰かが私にその姓を呪文のように語りかけていた。酒に酔った父の姿が目に浮かぶ。
「あっ、まさか森村って」
「そうです。私のお母さんの名前は、春枝。そして、あなたのお母さんでもあります」
そうだ。森村とは、一度は父と駆け落ちをした母が、実家に連れ戻された後で嫁がされたという家の名だ。
だが、私はそのことで父と一緒に森村を貶す気にはなれなかった。私にとっては、母が連れ去られたときに何も出来なかった父も、森村と同罪だ。
私は森村の家が何処にあるのか知らなかった。だから、今までいくら母に会いたいと願っても、また母を取り戻そうと思っても、それは叶わぬことだった。
その森村が、向こうから連絡を寄越してくるなんて、いったいどういうわけだろうか。しかも、その相手がまだ年端もいっていないだろう森村秋葉だというのも気になるところだ。
とにかく母のことも「彼女」のことも、秋葉が鍵を握っているような気がしてならない。私はこの機会を逃すことのないよう慎重に言葉を選びながら秋葉に話し掛けた。
「つまり、あなたは私の種違いの妹ってことになるの?」
「ええ、まあ、そういうことになります」
改めてその話し方を聞くと、やはりどこかあどけなさを感じる。まだ中学生くらいだろうか。彼女と同じ声をしているものだから、つい調子が狂ってしまいそうになる。
「それじゃあ、あなたがここに電話してきたことを、家の人は知っているの?」
「いいえ、父はもちろん、誰にも秘密でお電話いたしました。これは、私個人の意志によるものです」
秋葉はそれまでとは打って変わって、凛とした声でそう答えた。その声が、また秋葉と彼女との繋がりを一層強く感じさせた。
「誰にもということは、その、お母さんにも秘密なの?」
その質問に、秋葉は答えなかった。ただ、「私が夏実さんにお願いしたいことがあって連絡したのです」と話を具体的な方向へと導こうとした。おそらく秋葉は、私なんかよりもずっと賢い子なのだろうと思った。
「いきなり頼みと言われても、あなたと私の間で話すことがあるとすれば、それは間違いなくお母さんに関係することじゃないの?」
いくら秋葉が賢くても、私だって負けてはいられない。お母さんと「彼女」の手掛かりを簡単に失うわけにはいかないからだ。「そう、ですね」とどこか歯切れの悪い秋葉に対し、私は押しの一手を試みる。
「大丈夫、ウチのお父さんもまだ仕事から帰っていないから、これは私と秋葉ちゃん二人だけの秘密だよ」
すると、堰を切ったように秋葉の口調は一変した。感情を露わにし、年相応の不安定さをみせた秋葉の口から語られた内容は、私にとっても衝撃的なものだった。だが、そのことが逆に「彼女」のことで塞ぎ込んでいた私を立ち直らせた。
秋葉の「頼み」を引き受けると快諾した私は早速準備に取り掛かる。
机の中から、お母さんの写真を引っ張り出す。たくさんの向日葵を背に満面の笑顔を浮かべる私の一番好きなお母さんの写真だ。
そういえば、「彼女」と一緒に向日葵を見たこともあった。その繋がりを、私は強く意識した。