母のこと
停留所で時刻表を確認すると、次のバスが来るまで三十分近くも時間があった。私の住んでいる市は、近隣の市町村からは都会だ都会だと言われるけれど、少し繁華街を外れてしまえばこの有り様だ。やり切れない。
歩道の向こう側に目を向けると、近隣の御老人が趣味の範囲でやっていそうな小さな小さな畑があった。
「ねえ、いったい何を見ているの?」
私は彼女の問いかけには答えず、ちょうど歩道と畑を隔てるように植えてあった立派な向日葵の花に近付いていった。全部で十本くらいあるだろうか。どれも皆見上げるくらい大きくて、まるで誇らしげに太陽を背負っていた。
向日葵といえば、私はお母さんのことを思い浮かべる。思い浮かべるといっても、私が知っているのは写真の中のお母さんだけだ。ちょうどこれと同じくらいの高さの向日葵畑を背に、その大輪の花に負けず劣らずの笑顔で微笑むお母さん――私の一番好きなお母さんの写真だった。
お母さん、と小さく呟く。すると、彼女が息を呑むような短い悲鳴を上げた。
私は苦笑して彼女に説明をする。大丈夫、私のお母さんは別に死んだわけじゃないから、きっといつか何処かで会えるよ、と。
実際に、それは昔から父が私に言って聞かせる台詞だった。酒に酔った父が、毎夜のように語る昔話。父が旧家の生まれの母と駆け落ちをした話。そして私が生まれた話。ここまでは自慢話。その後、母が実家に連れ戻され、父との新たな籍をつくっていなかったために、元々許婚だった男性の元へと嫁がされたという話。愚痴話。
不意に生温い風が肌にまとわりついてきた。それは何処からか巨大な雲を運んできて、向日葵たちの背面に立つ彼らの母の姿を覆い隠してしまった。
すると、どうだ。向日葵たちは、急に自らが目指すべき方向を見失ってしまったかのように、ゆらゆらとその巨大な身体を揺すり始めたではないか。
その様子を見ているうちに、私は何だかこの先ずっと一人ぼっちで生きていくんじゃないかという不吉な予感を抱かずにはいられなくなっていた。さっきまで喧しく騒いでいた蝉たちはいったい何処へ行ったのか。風は生温いのに、こんなにも肌があわ立つのはなぜだ。もしかしたら、私はすでに一人ぼっちなのではないだろうか。
「バスが来たよ」
しかし、そんな私のちっぽけな感傷は、彼女の美しくもお気楽な声によって、見事に邪魔をされてしまった。
私はもう三十分も経ったのかと驚きながら、バスが私たちを無視して行ってしまわないように、停留所へと駆けた。
彼女が側にいる限り、私は決して一人じゃない。彼女が側にいてくれれば、他には何もいらないとさえ思う。