母と子
気が付くと、私は白いベッドの上にいた。左腕に違和感を覚えて見てみると、点滴の針が刺さっていた。外の景色は依然として明るく、私が倒れてからそんなに時間が経っていないように思われた。
ところが、ナースコールで駆けつけてきた看護師の話によると、私は丸一日間、意識を失っていたということだ。そのおかげなのか、体調はすこぶる良い。
お医者さんも一通りの診察を終えると満足そうに「明日の朝には退院できます」と太鼓判を押してくれた。それから部屋を出ていくときに「あなた一人の体ではないのだから、あまり無理してはいけませんよ」と付け加えた。
そういえば、いつかの白い日傘のおばさんも、そんなことを言っていた。私はその言葉の真意を汲みかねて、「はあ」と気の抜けた返事をするだけだった。
すると、今度はお医者さんと入れ替わりに、秋葉が病室へと駆けこんできた。秋葉は、有無を言わさずに私の体に抱きつくと、病院の中であるにもかかわらず、大声を上げて泣き喚いた。
「ごめんなさい、夏実さん。本当にごめんなさい」
「ちょっと秋葉ちゃん、落ち着いて。私をここまで運んできてくれたのは、秋葉ちゃんなんでしょう。だったら、私からまず御礼を言わせてよ。本当にありがとう。それに、秋葉ちゃんが謝る必要もないじゃない。私が倒れたのは、何度も秋葉ちゃんの忠告を無視して無理をした私のせいなんだから」
「いいえ、私が悪いんです。私がもっと夏実さんの体に気を配るべきだったんです。お医者様にも言われました。それに、私、あんなひどいことまで言って。夏実さん、男の人と別れたって言うし、まさかこんなことになっているとは思いもしなかったから。でも、私信じます。夏実さんの言ってくれたこと、全部信じます。だから、夏実さんも頑張って元気な赤ちゃんを産んでくださいね。私、応援していますから」
「あ、秋葉ちゃん、今なんて?」
私は、これまでの人生で一度も言われたことのないことを言われ、聞き間違いではないかと疑った。だが、秋葉はとても興奮した様子で、とびきりの笑顔を見せながらこう言ったのだ。
「何って、赤ちゃんですよ、赤ちゃん。私、夏実さんが男の人と別れたって言うから、まさか妊娠しているなんて思っていなくて。でも、だからこそ、今は夏実さんがお母さんのお墓の前で私に言ってくれたことも信じられるんです。私は、望まれない子なんかじゃないって。それにしても夏実さん、シングルマザーってやつですか。やっぱり格好良いなあ」
秋葉は、年相応のあどけなさで、そんなことを平然と言ってのける。
私は何かを言おうにも、ただ口をパクパクとさせるだけで、言葉が全く出てこない。すると、秋葉は何を勘違いしたのか血相を変え、「すみません、私ったら気が効かなくて。何か飲み物を買ってきます」と言って駆けだして行った。病院の廊下を走ってはダメだと注意する気も起きなかった。
「え? 妊娠? 赤ちゃん? この私が?」
そんなの聞いていないぞと、私は頭を抱えた。相手は、やっぱりあの男なんだろうな。でも、今さらよりを戻すなんてあり得ない。学校はどうしよう。堕胎するわけにはいかないものね。秋葉ちゃんなんて、すっかり私のことを信用しているみたいだし。この年齢でシングルマザーか。お父さんは何て言うかなあ。
いろいろなことを考えているうちに、頭がどんどん重くなり、私は、ついに前を向くことができなくなってしまった。
「こんなとき、お母さんだったら何て言うのかな」
何気なく呟いた瞬間、誰かが私のお腹をつんつんと突いてきた。「あっ」と私は驚きの声を上げた。赤ちゃんがお腹を突くには、まだ早い。でも、それは確かに私の内側から突いてきた。懐かしい、この感じ。ほら、やっぱりね。
お母さんはここにいる。「彼女」は確かにここにいるよ。
そのとき、目の前で白いレースのカーテンが舞い上がった。私は窓の外の景色に目を向ける。そこには、太陽に向かって真っ直ぐに顔を向ける大輪の向日葵が、何本も何本も咲き誇っていた――。
とりあえず、投稿作品としては2作目完結です。
スピードを重視すると、どうしても雑になってしまうところは、今後少しずつでもなくしていきたいです。
それでは、最後までお付き合い頂きありがとうございました。