現在
私は大学の春休みに、久しぶりにこの町に帰ってきていた。太鼓の音が響き渡る、澄んだ快晴。近代化が進む中、ここは何も変わっていないのだと少し安堵した。
毎年のように開かれるこの春祭りには、不思議な噂がある。大人はただの迷信だと云い笑うが、子供たちの周りでは有名な話題の種だった。
私が幼い頃には気にも留めていなかったことだが、この公園最大の桜の周りは注連縄でぐるりと囲われ、立ち入れないようになっている。
先程、縄をくぐり抜けようとした子供は、仰々しい着物を着た老人に怒られて泣いていた。
あの桜の木の下には人の骨が埋まっているのだという。人生を苦にした女性が木で首を括り、遺族がそれを嘆きその場に骨を蒔いた。
そんなことを、友人は林檎飴を舐めながら云っていた。
私は、その話は半信半疑だった。町にとってそんな後ろめたい事実があるのなら、祭りを敢えてこの場ですることなど赦されないのではないか、と。
それに、これは春の訪れを喜ぶ祭りでもあり、恋人との再会、縁結びの行事でもある。
私が小学生の頃には地域の祭りとして栄えていたが、今や全国各地から若いカップルが押し寄せてくるような、そんな大きな規模のものになっていた。女性一人だけで来る場合も珍しくない。
御神籤を買い、それをあの桜の注連縄に結んで帰ってゆく。
彼らは口々に云う。
「別れた彼とまた会えるように、御神籤を買いに来たの」
「彼とは卒業と同時に離れ離れになったのに、私がここで再会を願ったていたら後ろから肩を叩かれたの。振り向くと彼がいて、驚いたわ」
そのどれもが希望に溢れ、過去の惨劇とは程遠いものだった。
そして、再会話をしてくれたカップルから最後に聞いた話に、私は息を飲んだ。
あの桜で首を吊った女は、死後もその場に残った。彼女を繋ぎ止めていたのは、例の注連縄と、想い人への恋心だった。
そして偶然にも、彼とあの桜の下で再会することができた。だが彼はいきなり消息を断ち、彼女は絶望した。
彼に自分が死者だと気付かれてしまい、恐れられてしまったのではないか、と。
しかし最終的に、二人は本当の再会を果たした。彼女の死を知り、彼女を想っていた男もその場で首を吊って死んだからだ。
土の下に眠る骸も、今もきっと並び合っていることだろう。
それからこの祭りの趣旨は、長い年月を経て変わっていったのだという。
私は、桜の下で死んだ二人のその後は知らない。だが、この樹がここにある限り、二人は寄り添いながら満開の桜を見ているのだろう。