彼らの悪事と彼女の覚悟
今ならまだ引き返せる。そう考えたのは何度目だろうか。
刻一刻と悪化していく状況にビューネは焦るばかりだった。
「この辺りの店なら警備も緩い。構えからしても2、3件襲えば十分だろう。」
男の言葉を聞いても現実味など少しも感じなかった。
…上手くいくわけもない。
いくら治安が悪いとはいえ、貴族の護衛すら満足にこなせなかった彼らに成し得る計画とは思えなかった。
「収獲があり次第、山分けして退散だ。この街には居られない。」
中心に立っているゲンツという男やビューネは数日前に傭兵として雇われた面々だった。
本来であれば失敗など考えられない小銭稼ぎ。
街に住む貴族の一時的な護衛などという依頼を、彼らと彼女は失敗した。
夜のうちに何者かが貴族の屋敷を襲撃、相手もわからないうちに全員が意識を断たれ拘束された。
略奪があったわけではないようだったが、結果として成功報酬は支払われず、依頼期間を待たずに全員が解雇となった。
全員が元々街の外からやってきた傭兵くずれや冒険者が5人。
そもそも路銀も尽きてギルドや酒場を介さない仕事に食いついた身、更にはその依頼も失敗したとあっては次はない。
その後の無さが悪い方へ転がっていた。
「…今からでも商会ギルドか冒険者ギルドに援助を請うという手もあると思いますが。」
ついぼやいてから、しまったと思う。
荒事慣れした4人の男の目が一斉にビューネへ向く。
「開拓が本業のお嬢ちゃんなら確かに食いっぱくれないだろうがな、俺たちは違う。付き合え。」
別に仲間意識があるわけではない。反抗するなら始末する、暗にそう告げるようだった。
確かにビューネは冒険者ではあるが、その本分は開拓地域の探索や旅商の新規ルートの確保だ。
戦闘そのものは苦手ではないが、読み書きに加えて測量のできる彼女は本来商人から仕事を受ける冒険者だった。
…最近、ここぞという時に限って失敗する。ビューネは自身の運の無さを嘆いた。
恐らくは周りの4人を相手にしては逃げることも難しい。
ここでも彼女は諦めることとなった。
「冒険者二人は見張りと退路の確保だ。店は俺ら三人で襲う。行くぞ。」
もうじき日が沈む。
後戻りできないところまで、来てしまった。
大通りを外れてしまえばその多くは住宅や小規模な店が立ち並ぶ。
裏通りまで来ると日が沈むと同時に静かになる。
活気のある港町とはいえ、街全体が一日中明るいわけではない。
むしろ治安の落ち着かない地域では早めに戸締りをすることが慣例となっていた。
戸が閉まり、明かりも無い路地は当然静まり返る。
ならず者が闊歩する空間がそこにあった。
「お前は大通りの方を見ておけ。嬢ちゃんは裏門へのルートだ。仕事が済み次第まっすぐそっちへ逃げる。」
打ち合わせの通り、ゲンツが指示を出して確認する。
標的は雑貨を扱う小規模店舗を二件。
隣の街まで活動するにしても5人で分けるなら十分だろう、傭兵崩れの荒くれはそんなことを言っていた。
月明かりの下、それぞれが自身の得物を確認すると、
「行くぞ。」
ゲンツの声で5人は動き出す。
それぞれが背を向けて数秒、
大通り側の見張りへ向かうはずの冒険者が、ドサリ、と音を立てて倒れた。
ビューネはもう一人の見張り役へウォーピックを振り下ろした。
意識を刈り取るように、延髄へ石突で一閃。
相手の男は一撃で倒れ伏した。
残る3人の意識が自分へ向いたが、これでいい、そう思った。
臆病な連中のことだ、警戒もなしに商家を襲うことはしないだろう。
…連中は自分を逃がさないかもしれないが。
3人が自分へ向かってくる。
逃げられる距離ではない。
わざわざこの時間、この場所を選んだのだから、多少の騒ぎでは街の警備はここまで手が回らないだろう。
殺されるかもしれない。
嬲られるかもしれない。
どちらにせよ、尋常な未来は望めそうも無い。
それでもビューネの心は義侠心が勝った。
早々に逃げてしまえばよかった、とも思う。
表立って犯罪に手を染めなければ自分は生きていけただろう。
しかしそうしなかった。
目の前で凶行が成される直前、最後の一線で踏みとどまった。
日々を精一杯に生きる無辜の人間に手を掛けることなどできなかった。
ならば、覚悟を決めよう。
ビューネは戦闘用に加工されたピッケルをもう一度構える。
あれだけ軽々しく奪うことを決めた連中のこと、野放しにするべきではないのだろう。
だからこそ、せめて一矢報いる。
手元のポーチには補助道具はない。
あるのは左手首に括りつけた小盾と右手に握るウォーピックのみ。
それでも、せめてゲンツの腕だけでも潰す。
これだけ絶望的な状況であっても目標が定まればこんなに落ち着くのだろうか。
幸い、向かってくる3人は統制が取れているわけではないようだ。
一直線にゲンツに向かって一撃を当てよう。
そうして彼女は一歩踏み込んだ。
この時まで彼らと彼女は自分達を今に追い込んだ元凶を忘れていた。
警備の目を避けているのだから、と介入されるなど夢にも思わなかった。
そこへ一陣の風が吹く。
「そこまでだ。」と。
街での暴虐は許さないと言うかのように。
悪夢が再び訪れる。