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ボンクラ店主の表家業

穏やかな朝だった。

昨夜、貴族の邸宅で騒動があったことなど全く感じさせない、そよそよと緩やかに風が吹く朝。

商店主クリストファーはその日も惰眠を貪っていた。


(そろそろ起きないと…ああ、でもこのまどろんでる感じ…最高…)


部屋に日が射し込み、起床の時間となっても部屋の主は出ることができなかった。

無理もない。

クリストファーは弱冠22歳にして店を継いだ。

決して無能ではない彼だが、昨日は日付が変わっても仕事が終わらなかった。

夜が明けた程度の時間では、目こそ覚めるが眠いことに変わりはなかった。

大した時間は眠れていない。

本当ならこのまま眠っていたいところだったが…


「若旦那、そろそろ起きてください。」


ノックと共に低めの男性の声が届いた。


「んあー…マシューさんですか…?」


身内にしか聞かせられない、なるべくなら身内にも聞かせられないだらしない声でクリストファーは応えた。


「お疲れなのは承知ですが、そろそろ食堂で若旦那の罵倒祭りが起きそうなので、お急ぎください。」


そう言ってマシューと呼ばれた男性は部屋から離れていった。

彼はクリストファーの先代の頃から番頭を勤めていた。

歳の離れた兄か、頼りになる伯父。人間的にも仕事的にも、クリストファーは彼をそう評していた。

そしてマシューは周囲からも信頼されている。

…あるいは、現商店主であるクリストファー以上に。


(で、マシューさんが声を掛けに来た、ってことはもう皆さん集まっているんですよね…)


クリストファーの店に限った話ではないが、商人の朝は早い。

特に、彼の店は街の中堅規模の商会として維持され、小さいながら貿易船を持っている。

加えて賄いを出し、一般にも開いている食堂を備えているものだから、彼の自宅兼商店は早朝から人で賑わうのだった。


「若旦那のことですから、うん、発注ミスの対応してた、に鶏肉一切れ。」

「あのボンクラだろぉ?帳簿整理が終わらなかった、にトースト一枚。」

「ボンクラですからね。うーん、スケジュールがいっぱいいっぱいになってその調整してた、にグラッセの小鉢ひとつ。」

「「ズルいだろその賭け?!」」


「…おはようございます、皆さん…」


起き抜けにそんなやり取りを目の当たりにして、当の若旦那はさっそくぐったりした。

ちなみにそのやり取りをしていたのは船乗りと近所の店主たちである。

フレンドリーとか、アットホームとか、そういうのですらないよなあ、あんまりだよなあ、クリストファーはしみじみと思った。

癒しが欲しい。切実に。


「おはようございます若旦那。朝ごはん置いておきますから、早めに召し上がってくださいね。」


癒しがやってきた。

耳に優しい妙齢の女性の声だった。


「おはようございますエレインさん。寮の皆さんはもう動き始めてますか?」

「ええ、今朝方、予定通りに船が出ましたから。夜中のうちには貿易班は出払っています。」


声も容姿も、その性格もふんわりとした女性。

エレインという女性に対して、クリストファーはそういう印象を持っている。

彼女はクリストファーの商会に属する丁稚や船乗りが暮らす寮の寮母を務めていた。


「それと、あまり夜更かしは感心しませんよ若旦那。」


めっ、てされた。

もしかしたら、ときめく場面だったのかもしれない。

…エレインの目が、身の危険を感じるほどに怒っていると気付かなければ。


「…肝に銘じておきます、エレインさん。」


素直に謝ると、やはりふわっとした笑顔を浮かべてエレインは下げ膳へと向かっていった。

立場、弱いなあ。

恐らくは毎日なのであろうが、今日もクリストファーはそんな感想を抱いた。




昼になると仕事がひと段落する。

事務仕事を主とするクリストファーは、本来夜まで仕事を伸ばすことはしない。

その上、直接指示が不要であれば番頭のマシューが片付けてしまうため、他の商会に比べればずっと仕事は少なかった。

今日は商談も無い。ゆっくりと午後を過ごせそうだった。

となると、やりたいことも、やるべきこともたくさんある。

まずは外着へ着替え、マシューへと声を掛ける。


「マシューさん、出かけてきます。教会と、あとは商店街をぶらぶら。何かあったら連絡ください。」


書類から顔を上げると、マシューは特に何を思うでもなく応える。

急ぎ仕事が無ければ大抵はいつもの風景だった。




散歩と、買い物と、ちょっとした情報収集。

日が傾き始めた頃に一通りを終え、クリストファーは帰ってきた。

食堂はいつも通りの賑わいで、事務所も落ち着いた雰囲気だった。

マシューと話をしていた近所の商店主がクリストファーに気付き、声をかける。


「おかえり若旦那。」

「ただいま帰りました。ライザックさんに言われると、ちょっと変な感じですね。」


相手は雑貨を扱う小さな商店だが、クリストファーに気後れもしない。


「また教会に届け物だってなあ。今時、シティウォード商会くらいだよ。個人名義で教会を援助するなんてさ。」


シティウォード商会、それがクリストファーの両親が興した商店の名前だった。

そして、街でも中核を担う規模でありながら酔狂で通っている。

そこそこ稼いでいるのに、欲が薄い。儲けた分をばら撒いてしまう。

教会への支援に限らず、事ある毎に散財してしまう。

クリストファーが『ボンクラ』と呼ばれる所以だった。


「この街も人が増えて、保育所も大変ですから、少しでも応援したいじゃないですか。」


クリストファーは相好崩して嬉しそうに応える。

相手に貶されているわけではない。

呆れられてこそいるが、本当に応援したいと思っていることが伝わっているからこそ、クリストファーは笑顔だった。

店主もわかってはいるものの、こればかりは苦笑するしかないといった風で。


「ほどほどにな。まったく、どうして商売敵の心配をしなきゃならないんだ。」


そう言って、帰っていった。

店主が帰っていったのを見計らって、マシューがクリストファーへ声を掛けた。


「若旦那。」

「…はい。」

「エレインから報告が上がっています。首領の出番だそうで。」

「…わかりました。ありがとうございます。」


一気に空気が張り詰めた。

マシューも平素冷静ではあるが、クリストファーから笑顔が消えたことが大きい。

深呼吸をひとつすると、クリストファーは応接間へと向かった。




「報告、昨夜襲撃した子爵邸の件です。」

「…聞こう。」


応接間のドアを閉めた直後、居心地の悪い空気に包まれた。

声の主は、エレインだった。


「邸宅に詰めていた用心棒が数名、行方を眩ませていました。恐らくは、資金を調達してから街を出るのでしょう。」


最悪だ。

クリストファーは思わず顔をしかめた。

真っ当な稼ぎ方をする相手ならば、きっとエレインは自分を呼びつけなかっただろう。

事は急を要する。クリストファーの思考は段々と冷えていった。


「この付近の商店の下調べをしているところを見つけています。」

「強盗の恐れあり、ということか。」

「この街に根を張る素振りはありません。可能性は大きいと思います。」


エレインは淡々と報告していった。

そこには朝の、この女性本来の優しさは一切感じられない。

その一方で、クリストファーはやっと思考に区切りをつけた。

やることは決まっている。


「エレインがそうしている以上、万全だな?」

「はい。ギルド傘下10名が監視体制についています。」


お互いに続く言葉はすでに分かっているようだった。


「我が盗賊ギルド傘下90名全員に指示を飛ばせ。名簿にあった用心棒は5名。港、表門と裏門、水路にも監視を出せ。」

「はい。」


部屋の隅に控えていた男が外へ出る。

彼が指示を伝えに行くのだろう。

そしてクリストファーは衣装ケースの戸を開ける。

黒いスカルキャップと同じく黒の丈の長いクロークを取り出した。



「行くぞ。二度とこの街に近付く気が起きないよう、徹底的に躾けてやる。」



クリストファーが纏うのは、深く被ったスカルキャップに鼻から足首まで覆う丈の長いクロークの黒ずくめ衣装。

辺境子爵ゲオルギウスを襲った暴君が、そこに居た。

彼は彼の敵と認めた相手を逃さない。

絶対に。

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