覆面の怪傑
「それくらいにしておけ、子爵殿。」
突然響く少年の声に、少女とゲオルギウスは耳を疑う。
ドアが開け放たれる音と同時に声が響き、黒ずくめの人物が乱入していった。
声は男のようだったが、改めて目を向けると正確にはわからない。
丈の長いクロークは鼻から足首まで覆い、ギリギリ目を出す程度に深く被ったスカルキャップ(バンダナを三角巾のように結ったもの)。
ゆったりとしたその服装からは性別はわからない。
凛としたハスキーな声が少年を連想させたに過ぎなかった。
中年の子爵も、少女ですらも身をすくめた。突然のことに理解が追いつかない。
そんな二人に、黒ずくめの人物は話しかける。
「やり過ぎだと言ったんだ。貴様の行いは目に余る。」
そう言うと、黒ずくめの人物は扇を広げて二人に向かって軽く払う。
ロウソクの淡い光が何か光るものを捕らえた、そう認識した瞬間にまずは少女が膝を折り崩れ落ちた。
何か攻撃され、先に少女の意識が奪われた。
そこまでされてやっとゲオルギウスは反応する。
「下郎が何をしにきた!出て行け!…いや、捕まえて磔にしてくれる!」
今まさに悪事を働いていたとはいえ、流石は子爵を与えられただけはある。
ゲオルギウスは怒りあらわにそう叫んだ。
それでも黒ずくめの人物は動じない。
「ああ、守衛連中が今まさに磔にされているから、夜が明けたら助けてやるといい。貴様にこそ教えてやる。ここには誰も助けには来ないぞ。」
そこまで言われてゲオルギウスはやっと恐怖した。
黒ずくめの人物は正面から部屋に入ってきた。
そしてこの屋敷は広さこそあるが、造りは単純である。
守衛の居る門を抜けなければ入り口などほとんど無い。
玄関から応接間、リビング、寝室までは直線に並び、誰の目にも止まらずに奥へ進むことなどできない。
つまり、この黒ずくめの人物は守衛も、執事も、隣の部屋に控える護衛すらも破って正面突破してきたのだ。
それも騒ぎにすらならず、今までゲオルギウスが気付かないほど静かに。争いがあったことなど露ほども感じさせずに。
その事実に恐怖した。
ゲオルギウスは無能ではない。だからこそ、この数十秒のやり取りで全て理解した。
怒りの赤から恐怖の青へ、顔色を一変させる子爵に黒ずくめの人物は語りかける。
「信賞必罰という言葉がある。」
一歩ずつ、ゲオルギウスへ近付いていく。
「貴様の行いはこの街の法には触れない。だが、そこの娘を襲ったことは誰も許さないだろう。」
また一歩。対してゲオルギウスの背後は大きなベッドがあり、これ以上は下がれない。
「その一方で貴様の功績は大きい。陸路の敷設に騎士隊の呼び込みは特に喜ばれた。」
また一歩。言葉こそ褒めてはいるが、責めたてる口調は変わらない。
「殺しはしない。だが娘を襲った罰は受けてもらう。」
黒ずくめの人物は歩みを止め、おもむろにポケットへ手を伸ばした。
ゲオルギウスはタバコでも吸うのかと思った。
黒ずくめの人物が取り出したのは実際に巻きタバコ程度の大きさをした棒状のもの。
それを口元へ運ぶ様子は、タバコを吸う素振りに確かに似ていた。
瞬間、フシュ、と風を切る音がした。
ゲオルギウスは身構えることすらできずに首元に針を受けた。
直後、じんわりと痺れが伝わり、身体を支えていられなくなった。
ドサリ、上等な絨毯の上にゲオルギウスは倒れこむ。
意識はあるが、口を動かすこともできなかった。
そして意識がある分だけ先ほど以上に恐怖が膨れ上がる。
背筋が凍る。
冷や汗が全身を伝う。
いっそ意識を手放してしまいたい。
そう思わせるほどにゲオルギウスは追い込まれていた。
「それじゃあ、お仕置きの時間だ。」
中年の子爵に届いたその声は、死神のそれにしか聞こえなかった。