クロノスと狙撃科
幸いにもというかなんというか、めまいがして倒れただけで意識はあった俺は、
ありったけの精神力を使って悲鳴を上げる体を無理やり再起させた。
「零斗、そろそろ君の適正学科が結城から言い渡されるはずだ。
もちろんそれを蹴るのは君の自由だ。だけど君に一番適性のある学科を蹴った場合、
自分に合う他の学科を探すのは酷く困難になると思うよ。
ここまでで質問はあるかな?」
と、麓路は平然とした様子で俺に囁く。全く、相変わらずの減らず口とみえる。
そこで俺は自分が思った疑問をありのまま麓路へと伝える。
「学科って何」
「……まさかお前……一般特待か!?」
麓路はいきなり自分のベッドから立ち上がり、こっちに飛び込んでくる。
しかも6mの距離を助走無しで。その勢いに見事に圧倒された俺は、
ぎこちない動きで確かに頷いて見せた。
「質問に答えてくれないか……。俺は本当に何も知らないん……」
俺のひそかな呟きはけたたましい音と共に医務室の横スライド式のドアを無理やり開けて
いきなり姿を現した結城の一言に遮られた。
「狙撃科」
たった一言。主語も述語もあったもんじゃない。唯の名詞一個の一言に見事に遮られた。
驚きに横を見ると麓路の目にはもう何も映ってはいなかった。言い換えれば灰。
何かに燃え尽きた真っ白な灰。大体の見た目はそんな感じだった。
だが俺も気になった。学科という単語。確かに結城は前にここが貴方の学校と言っていた。
「貴方の適正学科は狙撃科。残念ながら拒否権はないようね」
と、まるで当たり前のように結城が手元の異常に厚い資料に目を通しつつ呟く。
どうやら結城には俺が不思議に思っているタスクフォースの学科。
というものについて、やはり相当に知っているらしい。
俺はそんなこと知らないぞと反論するのを無言の圧力で遮られ、意気消沈する。
そのまま目で軽く合図された俺は仕方なく結城の後を追う。
そんな結城の背には、ギターケースの様な長いケースが背負われていた。
背後の麓路は……ご想像にお任せする。
結城に連れられた俺は自己紹介をさせられたあのロビーへと戻ってきた。
そんな俺のテンションの下がり具合を察知したのかどうなのかは知らないが、
ロングの髪をなびかせながら小柄なアリスが歩み寄ってきた。
「学科はどうだった?」
「狙撃科……」
そう一言呟くと、次に真剣な顔をして急に考え始めた。
アリスの相手をしている俺を知ってか知らずか結城は歩みを止めない。
仕方なく、考え込むアリスの姿を背にして結城の元へと急ぐ。
あとできちんと話聞かないと何されるかわかったもんじゃない。アリスだからかな。
ロビーについた俺はてっきりロビーから別の通路があるのかと思っていたが、
改めて見回しても通路らしき通路は先程通った医務室への道と、射撃場への通路しか
見当たらないことに気付いた。一体どこから何処へ行くのだろうか。
そう内心で不安と葛藤しながら唯結城の後ろを機械のように付いていく。
やがて、ロビーの中央へ来て止まった。こんなど真ん中で何をするのかと思った矢先に、
俺の足元にあったパネルの感覚が消えた。えっ?と驚く暇も無く文字どおり落ちる。
声にならない奇声を上げながら暗闇を結城と二人落ちていく。
ちらっと結城の方を見るが生憎の無表情を保っていたが、微妙に口元が緩んでいた。
どうやら結城も流石にこれに慣れることは未だに出来ていないらしい。
やがて眼下に米粒ほどの白い光が見え始めた。だが俺は気付いた。
この高さは確実に死ぬ……!ということで必死に抵抗を試みるが残念。人は飛べないのだ。
眼下に広がっていた光が俺達を包んだ瞬間、俺は死の恐怖とは逆の違う感情を抱いた。
白い光を抜けた先には東京ドーム8個分ほどはありそうな巨大な施設があった。
見渡せばまるでホグワーツのような古そうな建造物だが、どこか優しい感じがする。
しかし、よく見ると視界に黒い線が入っている。しかも急速に上から下へと移動する。
そこで何らかの可能性が浮かんだ俺は自分の真下、足元を見下ろす。あった。やっぱりか。
俺の足元にはしっかりと消えたと思い込んでしまっていたパネルがあった。
どうやらあの穴はエレベーターになっていたらしい。
説明無しでこれに乗り込んだ結城を呪いつつ、ようやく止まったエレベーターを降りる。
俺の後方にはいつもと同じ、芝生の庭が広がっていた。
地下なのにこの広さ。そしてこの太陽そっくりの照明と青空?
いや違う。これは本物の太陽と空だ。だが確かにエレベーターは下へと移動していた筈だ。
ということは、俺はまた気絶していたのだろうか。
再び歩き始めた結城を追うように急ぎ足でその後を追いかける。
俺がエレベーターから全体を眺めた建造物は学校だった。
通称クロノス。
近代に増えつつあるテロ組織や犯罪の増加に備えて適性のある者達を訓練育成する施設だ。
一応国の管轄下という条件でこの組織は作られた。しかしこの情報は学園の講師達と
その生徒達、一部の国会高官達だけしか知らない。いわゆるトップシークレットなのだ。
この組織の創始者は、黒金貴翔。当時19歳だったという。
彼がどのようにしてこの組織を作ったのか。なぜ彼がこの組織を作ったのかは、
国の高官どころか、クロノスの生徒達さえも知らない。
いわゆる、黒金の巣。その名からクロノスという固有名称が出来たのだ。
という話を結城から聞かされながらやっとの思いで到着したのは、
「狙撃科」と書かれた札の下がる教室だった。
念仏のような結城の話を前にした俺は自動的に思考を制限することで何とか持った。
実際は恐らく30分近くも喋っていたに違いない。
そのせいか、ここまでの道順が全くもってさっぱり分からない。
ここは喜んでいいのか悲しむべきなのかもう分からない。
覚悟を決めようとした瞬間、結城が勢いよく扉を開け放った。
中にいた生徒も流石にビックリしたのか全員ほぼ同時に結城の方に視線がいく。
結城を見た生徒達は、だるさが吹き飛んだかのように一瞬で全員が姿勢を整えていた。
「「「結城さん!?」」」
クラスの生徒達はまた口を揃えて結城の名前を口にする。コントかお前ら。
「授業中失礼します。先程言っていた新入生は適正検査の結果狙撃科に向いていました。
よって新入生、花村零斗を狙撃科に入れる所存です。ではこちらへ」
結城の上品な手招きにより俺は教室に入らざるを得なくなった。
足を一歩踏み入れるとクラス全員がこっちを穴が開くかと思うくらい見つめている。
この様子だとそんなに俺が間抜けそうに見えるらしい。口を開けている。
「先生、納得いきません。こいつに実力はあるんですか?こんな奴に?」
クラスの一番端っこの列の後ろの方から明らかにバカにする言葉が発せられる。
それが伝染するように一部の悪ガキの連中とみられる奴の間で広がっていく。
教師が止めようと声を張り上げるが生徒達にはもう聞こえていない。
その中の一人が周りの生徒を押しぬけて俺の目の前に出た。
一番最初に俺へ向けて間接的に罵声を浴びせた奴だ。喧嘩なら負ける気はしない。
こう見えても反射神経と忍耐力は他の人間より高い自信がある。
「ストップ。貴方たち第四条知ってる?仲間を助け、共に努力せよ。
喧嘩は禁止。その代り射的で決着つけて下さい。仮にもクロノスの生徒でしょう?」
仮にも、という言動に怒りを覚えたのか彼は微妙に体を震わせていた。
「……いいでしょう、トレーニングも兼ねてやりますよ。俺がこんな奴に負ける筈がない!」
その言葉をどう受け取ったのか、結城は若干の笑みを零しながら背中のケースを下ろす。
そしてそのケースを棒立ちしている俺に向けて差し出す。
「これは貴方の銃よ。使い方は……分かるわね?」
ケースの包みを外すと、その中には[7.62mm x 54R]と書かれた弾薬箱と、
[Snajperskaja Vintovka Dragunova : SVD]と書かれた大型のケースがあった。
それを見た瞬間、頭の中が何かに触れた気がした。冷たい液体のようなものに。そして
そのケースをなぜか順番通りに開けていく。こんなものの開け方は知らない筈なのに、
情報だけが流れ込んでくる。自分が変わったみたいに頭が働く。
箱を開けきったと当時にメッキで塗装された細長い銃が姿を現す。
だが今回は結城の説明無しにその銃が何なのかが分かった。
「SVDドラグノフ狙撃銃……。装弾数は10発。」
その短い情報だけで十分だった。ドラグノフを手に取り、マガジンを装填する。
その時、結城の口が歓喜に緩んだのが微かに横目で確認できた。
「じゃぁやろうか新兵。じゃぁ先生いつもので宜しく」
と教卓の前に立っていた講師に言う。その講師は仕方がなさそうに手元のパソコンを
操作して訓練用のターゲットをアップさせる。
するとクラスのメンバーから一斉に罵声が飛んだ。
「このバカ!いきなり800mの動く的を狙撃できるわけないだろ!」
「そんなことしてまで勝ちたいの!?」
だが罵声を飛ばされていることなんかお構いなしに自分も狙撃銃を取り出して構える。
あのモデルは レミントンRSASS だと思われる。連射性が高い銃だ。
そこに教師の軽く野太い声が開始のカウントダウンを始める。
「……3……2……1……セット!」
教師のセットの開始合図とともに、
隣の対戦相手のRSASSがマズルフラッシュを放ちながら次々と的を射ぬいていく。
俺はまだ撃たない。いや、撃っても意味がないのだ。
「どうした新兵!ビビってんのか?」
隣では相変わらず自分が強いと思い込んでいる奴が調子に乗っている。
チラ身をするとクラスの連中は全員もう半分諦めかけている。
その中に一つ、こちらを見据え続ける一つの少女の目があった。
それに違和感を感じつつも、時計を見上げる。あと30秒。頃合いだ。
簡単だ。的には一発当てればいい。
隣のアホみたいに弾をまき散らすのは経済的にも周りにも悪い影響しか出さない。
たった一発でいい。中心に当てる。
スコープを覗いてレティクルの中心を的の頭部。すなわちヘッドショットをすればいい。
立膝を付いて、呼吸を整える。そしてトリガーを引く。
乾いた音と共に無情の弾が的確に的の頭部を射抜く。もう止まらない。
さっき見ていたので出現パターンはおおよそ分かった。
後はそれに合わせて頭部を狙い続ければいい。
そしてまたトリガーを引く。ヘッドショット、またヘッドショット、と続いていく。
そして訓練終了の合図が鳴った。隣の相手は勝ち誇った表情でこちらを見ている。
そのあと青ざめた表情で講師が試合の判定を伝える。
「結果は……君が38000点。零斗君が50000点。零斗君の勝ちだ……」
クラスが沈黙に包まれる。俺の対戦相手は呆気なく俺に敗れた。
半分の30秒をハンデにしても。事実は単純だった。俺の勝ちだ。
俺は使ったSVDを肩に担いで結城と共に教室を離れた。
そのときも結城は微かに笑みを零していた。