表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宮廷薬師を追放したら王国が病に沈んだので今更戻ってこいと言われても遅いです  作者: 月代


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/17

第6話「王宮からの使者」


ヴァルデン領に来て二ヶ月が過ぎた頃、リーネの日常はすっかり安定していた。


 朝は森で薬草を採集し、午前中は調合、午後は診療。夕方にはレクトがハーブティーを飲みにやってくる。シルフは薬房の窓辺で丸くなり、子供たちが来ると尻尾を振る。


 穏やかで、温かくて、自分が必要とされている——リーネにとって、初めて「帰る場所」と呼べる日々だった。


 その日も、いつも通りの朝になるはずだった。


「リーネさん! 大変です!」


 薬房の扉を勢いよく開けて飛び込んできたのは、門番のおじさんだった。息を切らしている。


「どうしましたか? 怪我ですか?」


「い、いや。王都から——王宮の紋章入りの馬車が来てる! 使者だ!」


 リーネの手が、薬草を刻んでいた薬匙の上で止まった。


 ——来た。


 予感はあった。いつか来るだろうとは思っていた。けれど、こんなに早いとは。


「……分かりました。領主様には連絡を?」


「もう走って知らせに行った!」


 リーネはエプロンを外し、手を洗い、静かに深呼吸した。


 シルフが心配そうにきゅうと鳴いて、肩に飛び乗る。


「大丈夫よ、シルフ。何も変わらないから」


 領主館の応接間に通されたとき、リーネの目に映ったのは二人の人物だった。


 一人は見覚えのある男——ガルドス宰相の秘書官。あの日、リーネを大広間に呼びつけた痩せぎすの男だ。二ヶ月前は汚いものを見るような目をしていたが、今日は打って変わって卑屈な笑みを浮かべている。


 もう一人は宮廷騎士の礼装を纏った若い男で、使者の護衛だろう。


 リーネより一歩前に、レクトが立っていた。領主として来客を迎える立場だが、その表情はいつもの穏やかさとは違い、どこか硬い。


「お久しぶりです、ファルト殿」


 秘書官がわざとらしく頭を下げた。


「宰相閣下からの書状をお持ちしました。どうぞお読みください」


 差し出された封書を受け取り、リーネは黙って目を通した。


 内容はこうだ。


 ——宮廷薬師リーネ・ファルトの解任は事務手続き上の誤りであった。ついては速やかに帰還し、宮廷薬師の職務に復帰せよ。報酬は以前の二倍を保証する。


 リーネは二度読み返して、静かに書状を畳んだ。


「……事務手続き上の誤り、ですか」


「は、はい。まことに遺憾ながら、手違いがございまして——」


「あの日、大広間で宰相閣下は仰いましたよね。『時代遅れの薬草煮は不要』『大した成果も残していない』と。あれも事務手続き上の誤りですか?」


 秘書官の顔が引きつった。


「そ、それは……閣下も多少感情的になっておられた部分がありまして……」


「引き継ぎ資料も不要と言われました。十年分の調合記録を『古臭い』と」


「……」


「退職金は銀貨数枚でした」


 秘書官が完全に黙った。


 リーネの声に怒りはなかった。淡々と事実を述べているだけだ。けれど、それがかえって重かった。


「お返事を申し上げます」


 リーネは背筋を伸ばし、はっきりと言った。


「お断りします」


「な——」


「私は現在、ヴァルデン領の薬師として勤めております。ここには私を必要としてくださる方々がいます。報酬の多寡の問題ではありません」


 秘書官が慌てて食い下がる。


「お待ちください! これは宰相閣下の——いえ、王命に準ずる要請です! 辺境の小領地の薬師と宮廷薬師では、格が違うでしょう!」


「格?」


 リーネの目が、ほんの少しだけ鋭くなった。


「格で薬が効くなら、王宮はとっくに困っていないはずですが」


 秘書官が言葉に詰まったところで、レクトが一歩前に出た。


「使者殿。リーネさんは当領地に正式に雇用された薬師です。領主である私の許可なく連れ去ることは、たとえ宰相の要請であっても領地自治権の侵害にあたります」


「あ、アッシェンバル卿……しかし——」


「お引き取りください。リーネさんの意志は明確です」


 レクトの声は静かだが、有無を言わせぬ力があった。辺境領主としての風格が、そこにはあった。


 秘書官は苦虫を噛み潰したような顔で、最後にもう一度リーネを見た。


「……後悔なさいますよ。宰相閣下のご機嫌を損ねたら——」


「脅しですか?」


 レクトの声が、一段低くなった。


「辺境とはいえ、この領地は王国の法の下にあります。正当な理由なく薬師を引き抜こうとした上、脅迫まがいの言葉を向けるとは。宰相閣下にお伝えください。ヴァルデン領は今後一切のこの件に関する交渉に応じない、と」


 秘書官は何か言いかけたが、レクトの目を見て口を閉じた。護衛の騎士も居心地悪そうに視線を逸らしている。


 使者の馬車が領地を去った後、リーネは大きく息を吐いた。


「……ありがとうございます、レクト様」


「いいえ。当然のことです」


 レクトは少し間を置いて、ぽつりと言った。


「……正直、怖かったんです」


「え?」


「あなたが、戻ると言うんじゃないかと」


 その言葉があまりに素直で、リーネは思わず目を瞬いた。


「戻りませんよ。前にも言いましたけど」


「ええ。でも、宮廷薬師という地位は——」


「地位なんかより、シルフのご飯の時間のほうが大事です」


 きゅう、とシルフが同意するように鳴いた。


 レクトが吹き出し、リーネもつられて笑った。


 使者を追い返した後の薬房は、いつもより少しだけ温かかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ