第5話「薬師の価値」
ヴァルデン領でのリーネの生活は、日を追うごとに充実していった。
薬房は完全に整備され、棚には森で採集した薬草から調合した薬が並ぶ。診療所には毎日のように領民が訪れ、リーネは一人一人の話を丁寧に聞き、適切な薬を処方した。
シルフは薬房の窓辺を定位置にして、来客があると尻尾を振って出迎える。子供たちの人気者になっていた。
「リーネさん、これ今朝採れた卵です。いつもお世話になってるから」
「ありがとうございます。そうだ、お子さんの湿疹、その後どうですか?」
「おかげさまで! すっかり綺麗になって。あの軟膏、魔法みたいだって近所でも評判なんですよ」
魔法ではなく薬学なのだが、そう言われると悪い気はしない。
夕方、レクトが薬房を訪ねてきた。最近は二日に一度のペースで顔を出すようになっている。名目は「薬のお礼」や「領地の相談」だが、リーネが淹れるハーブティーを飲みながら、気がつくと一時間ほど話し込んでしまうのが常だった。
「レクト様、顔色が良くなりましたね。よく眠れるようになりましたか?」
「はい、おかげさまで。あの安眠ハーブティー、手放せなくなりました。あと、胃薬も。……リーネさんが来る前は、こんなに体調がいい日はなかったです」
「ちゃんと食事も摂ってますか?」
「摂ってます。毎食。約束通り」
レクトが真面目な顔で答えるのがおかしくて、リーネは思わず笑った。
最近、よく笑うようになった気がする。王宮にいた頃は、笑うことなんてほとんどなかった。
「リーネさん」
「はい?」
「この一ヶ月で、領民の病気や怪我による離脱がほぼなくなったんです。農作業の効率も上がって、今期の収穫は去年の一・二倍になる見込みで。……全部、あなたのおかげです」
「そんな。私はただ、薬師の仕事をしているだけですよ」
「その『ただの仕事』が、この領地にとってはかけがえのないものなんです」
レクトの目がまっすぐにリーネを見つめる。その真摯さに、リーネは少しだけ視線を逸らした。耳の先が熱い。
「……あ、そうだ。レクト様に一つご報告が。森の薬草の分布を調べていたら、東の丘陵地帯に薬草栽培に適した土地を見つけたんです。あそこに薬草園を作れば、安定供給ができるだけでなく、他の領地に卸すこともできるかと」
「薬草園……! それは素晴らしい。収益の柱になる可能性がありますね」
「ええ。特に星露草は王都で高値で取引されますから。栽培法さえ確立すれば、ヴァルデン領の特産品にできます」
二人で薬草園の計画を話し合っていると、あっという間に日が暮れた。
レクトが帰り際、ふと足を止めた。
「リーネさん」
「はい?」
「あなたをここに追いやった人たちは、きっと今頃後悔していると思います」
「……どうでしょう。気づいていないかもしれません」
「いいえ」レクトは静かに、けれどはっきりと言った。「あなたほどの薬師を失って、気づかないはずがない。——でも、もし彼らが戻ってこいと言っても」
「戻りませんよ」
リーネは即答した。自分でも驚くほど、迷いのない声だった。
「ここが、私の居場所ですから」
シルフがきゅうと鳴いて、リーネの肩にすり寄った。
レクトの顔が、夕焼けの中でほんの少し赤くなった——気がしたが、リーネは気づかなかった。
薬の調合には聡いのに、恋心には鈍い。それがリーネ・ファルトという薬師だった。
——そしてこの頃、王都では。
第二王子の偏頭痛はさらに悪化し、ついに宮廷医(薬師ではなく外科専門)が「前任の薬師の処方が必要だ」と進言する事態になっていた。
ガルドス宰相は、密かに部下にリーネの行方を探らせ始めた。
後悔の波は、確実に王宮に押し寄せていた。




