第4話「崩壊する宮廷」
リーネが王宮を去って、一ヶ月が過ぎた。
宮廷では——異変が始まっていた。
「セレスティア様、騎士団の者がまた薬を求めて来ております」
「もう! 何度も言っていますけれど、わたくしの聖薬術は高貴な方のためのものですの。兵士ごときに使うには惜しいのですわ」
セレスティア・オーランドは、薬房の椅子にふんぞり返ったまま、苛立たしげに扇子を振った。
かつてリーネが隅々まで手入れしていた薬房は、わずか一ヶ月で荒れ果てていた。薬瓶のラベルは読まれることなく埃を被り、リーネが書き残した調合手順の紙は、セレスティアの手で「古臭い」と丸めて捨てられた。
セレスティアの「聖薬術」は、実のところ、魔力を込めた香水のようなものだった。嗅ぐと一時的に気分が高揚し、体調が良くなったように「感じる」——だけ。実際には何も治療していない。
最初の二週間は、それでも宮廷の人々は騙されていた。
「まあ、セレスティア様の薬を使ったら、嘘みたいに元気になりましたわ!」
「さすが聖薬術! あの地味な薬師とは大違いだ」
だが、三週目あたりから変化が現れ始めた。
まず、騎士団で問題が起きた。リーネが定期的に納品していた筋肉疲労の回復薬と傷薬が切れ、訓練中の怪我が治りにくくなった。セレスティアの「薬」では痛みを一時的に忘れるだけで、傷そのものは悪化し続ける。
軽傷だったはずの騎士が三人、傷口の化膿で離脱した。
次に、侍女たちの間で肌荒れが広がった。リーネが調合していた保湿軟膏の在庫が尽きたのだ。些細なことに思えるが、宮廷の侍女にとって肌の状態は死活問題で、不満の声が大きくなっていった。
そして——決定的だったのは、第二王子の偏頭痛の再発だった。
「う、うぅ……頭が割れるように痛い……」
第二王子クレイスは、幼少期から慢性的な偏頭痛に苦しんでいた。リーネが三年かけて体質改善を施し、ようやく症状がほぼ出なくなっていたのだが——薬の服用を中断して一ヶ月、見事に再発した。
「セレスティア、クレイスの頭痛をなんとかせよ」
国王の命令に、セレスティアは慌てて「聖薬術」を施した。甘い香りの薬を王子に嗅がせ、額に手をかざして祈りの言葉を唱える。
「——いかがでしょうか、王子殿下?」
「…………少し楽になった、気がする」
だが、翌朝には痛みが倍になって戻ってきた。
セレスティアは焦った。自分の「薬」が効かないのではない、効いているけれど症状が重すぎるのだ——と、自分に言い聞かせた。けれど、心のどこかで分かっていた。
自分には、本当の意味での治療はできない。
「セレスティア嬢。一つ聞くが」
ガルドス宰相が、険しい顔で薬房を訪れた。
「前任の薬師が残した調合手順の紙はどこにある。騎士団長が傷薬の製法を教えろと騒いでおるのだが」
「そ、それは……」
捨てた。とは言えなかった。
「あの紙は、古い薬術のものでしたので、わたくしの聖薬術には不要と判断しまして……処分、いたしました」
ガルドスの顔が、目に見えて青ざめた。
その夜、ガルドスは執務室で初めて額に手を当てた。
(……まさか、あの薬師がここまで重要だったとは)
いや、分かっていたのかもしれない。分かっていて、オーランド伯爵家との繋がりを優先した。リーネ・ファルトという地味な薬師一人を切ったところで、大した影響はないだろうと——高を括っていた。
その判断が、宮廷を少しずつ蝕み始めていた。




