第15話「遅咲きの花」
冬が深まり、雪がヴァルデン領を白く染めた。
雪の日は外出する領民が減り、薬房も比較的穏やかになる。リーネは空いた時間で新しい薬の研究をしたり、春に向けた薬草園の計画を練ったりしていた。
だが、今日は集中できなかった。
原因は明白だった。
「……レクト様、最近様子がおかしい」
呟いたリーネの膝の上で、シルフが「やっと気づいたか」とでも言いたげに尻尾を振った。
ここ数日、レクトが妙にそわそわしているのだ。ハーブティーを飲みに来ても上の空で、話の途中で黙り込んだり、目が合うと慌てて逸らしたりする。
(体調が悪いのかしら。でも薬理眼で見る限り健康そのものだし……)
リーネの薬理眼は人の体調を見抜くことには長けているが、心の中までは映さない。
「シルフ、レクト様に何かあったのかしら」
きゅう。
「役に立たないわね」
きゅう。
その日の夕方、いつもの時間にレクトが薬房を訪れた。
——だが、手ぶらではなかった。
「リーネさん。今日は、お話があります」
レクトの手には、小さな花束があった。雪の中でも咲く冬の野花を集めたもので、不器用だが丁寧に束ねられている。
「……お花?」
「ヴァルデンでは、大切な人に想いを伝えるとき、自分で摘んだ花を贈る習わしがあるんです」
リーネの頭が、一瞬止まった。
大切な人に。想いを。伝える。
「……え?」
「リーネさん。あなたがこの領地に来てくれた日から、僕の人生は変わりました。領民が健やかに暮らせるようになった。領地に活気が戻った。でも、それだけじゃなくて——」
レクトの声が、微かに震えていた。秋祭りの夜も、薬草園でも、国王の訪問の後も、ずっと言えなかった言葉。
「あなたがいるだけで、毎日が明るいんです。朝起きて、今日もリーネさんに会えると思うだけで嬉しくなる。ハーブティーが美味しいのも、星空が綺麗なのも、全部あなたがいるからで——」
レクトは深く息を吸った。
「好きです。領主としてではなく、一人の人間として。あなたのことが好きです」
薬房に沈黙が落ちた。
暖炉の火がぱちぱちと爆ぜる音だけが響く。
リーネは花束を見つめたまま、固まっていた。頬がじわじわと熱くなっていくのが分かる。心臓がうるさい。薬理眼は自分の動悸までは治してくれない。
「あ、あの。返事はすぐでなくて構いません。無理に——」
「レクト様」
「は、はい」
「私、恋愛のことは全然分かりません。二十五年間、薬草と薬瓶しか相手にしてこなかったので」
「……はい」
「でも」
リーネは花束をそっと受け取り、胸に抱えた。冬の花の、冷たくて清らかな香りがした。
「レクト様がハーブティーを飲みに来てくれる時間が、私も一日で一番好きです。レクト様の顔色が良くなっていくのを見ると、嬉しくなります。レクト様が笑うと——安心します」
リーネの目に、薄く涙が滲んだ。泣く理由が分からなかった。ただ、胸の奥がとても温かくて、その温度が目から溢れてきただけだった。
「これが好きということなのか、まだよく分かりません。でも——レクト様がそばにいてくれないと、たぶん私は寂しいです」
レクトの顔が、ぱっと明るくなった。冬の曇り空を突き破って日が差したような、そんな笑顔だった。
「十分です。それだけで、十分です」
「……焦らなくていいですか?」
「もちろん。リーネさんのペースで。僕はずっとここにいますから」
リーネが花束に顔をうずめた。赤い耳が隠せていないのに、本人は隠れたつもりでいる。
シルフが二人の間に飛び降り、嬉しそうにくるくると回った。尻尾がきらきらと銀色に輝いて、まるで祝福の光のようだった。
薬房の窓の外では、しんしんと雪が降り続いている。
けれど、この部屋の中は——これまでで一番、温かかった。




