第11話「秋祭りの夜」
ヴァルデン領に来て三ヶ月。季節は秋に移り、収穫祭の時期を迎えた。
領都の広場には色とりどりの屋台が並び、領民たちの笑い声が響いている。焼きたてのパンの香り、蜂蜜酒の甘い匂い、子供たちの歓声。小さな領地の祭りだが、活気に満ちていた。
「リーネさん、こっちこっち! 焼きリンゴ、美味しいですよ!」
レクトが屋台の前から手を振っている。普段の領主服ではなく、簡素なシャツと革のベストという出で立ちで、見た目はその辺の青年と変わらない。
「レクト様、領主がはしゃぎすぎでは」
「今日は無礼講です。それに、リーネさんだって嬉しそうじゃないですか」
否定できなかった。祭りなんて、何年ぶりだろう。宮廷にいた頃は、祭りの日も薬房で調合をしていた。誰にも誘われなかったし、自分から出かけようとも思わなかった。
「薬師さーん! 一緒に踊ろう!」
子供たちが駆け寄ってきて、リーネの手を引っ張る。広場の中央では楽師が陽気な曲を奏でていて、領民たちが輪になって踊っていた。
「え、私踊れないんですけど——」
「大丈夫、簡単だから! こうして、こう!」
引きずり込まれるようにして踊りの輪に入ったリーネは、最初こそぎこちなかったが、周りの人たちに合わせているうちに自然と体が動き始めた。
くるくると回る。笑い声が上がる。シルフが嬉しそうに周囲を飛び回り、銀の毛並みが篝火の光にきらめいた。
レクトは焼きリンゴを片手に、踊りの輪の外からその光景を見ていた。
篝火に照らされたリーネの顔。楽しそうに笑っている。王宮から来た当初の、どこか諦めたような表情はもうない。風に揺れる栗色の髪、細められた琥珀色の瞳、薬草で少し荒れた——けれど丁寧な仕事を物語る手。
——ああ、と思った。
いつからだろう。彼女が薬房にいるだけで安心する。彼女の淹れたハーブティーが一日で一番楽しみな時間になっている。彼女が笑うと、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「領主様、随分と熱心に見てますねえ」
横に来た宿屋の女将が、にやにやと笑った。
「いえ、その——みんな楽しそうだなと」
「みんな、ねえ。どう見てもリーネちゃんしか見てないけど」
「…………」
レクトの耳が赤くなったのは、篝火のせいだということにしておいた。
踊り疲れたリーネが輪を抜け出し、レクトの隣にやってきた。
「ふう……思ったより激しい踊りでした」
「お疲れ様です。はい、焼きリンゴ」
「ありがとうございます。……あ、美味しい」
二人並んで広場の端に腰を下ろし、祭りの喧騒を眺めた。
空には満天の星。王都の夜空では決して見られない光景だ。
「……綺麗ですね」
「ええ。ヴァルデンの星空は自慢なんです」
「知らなかったです。こんなにたくさんの星があるなんて。王宮の薬房は窓が小さくて、空がほんの少ししか見えなかったから」
「…………」
レクトは何か言いかけて、口を閉じた。それから、意を決したように息を吸った。
「リーネさん」
「はい?」
「あの——僕は——」
そのとき、広場の中央で花火が打ち上がった。
ドンッ、と腹に響く音とともに、夜空に赤や青の大輪の花が咲く。領民たちが一斉に歓声を上げた。
「わあ! 花火! レクト様、見てください! すごい!」
リーネが目を輝かせて空を見上げる。
レクトの言葉は、花火の音にかき消された。
「……タイミング最悪だ」
小さく呟いた声は、誰にも聞こえなかった。
——いや、一匹だけ聞いていた。
シルフがレクトの足元にすり寄り、慰めるように尻尾を振った。
「……シルフは分かってくれるんだな」
きゅう。
子狐の目が「頑張れ」と言っているように見えたのは、気のせいではないかもしれない。




