第10話「薬師としての答え」
王宮からの親書がヴァルデン領に届いたのは、それから数日後のことだった。
今度の使者は秘書官ではなく、侍医長本人だった。初老の男性が馬車の長旅で疲れた体を引きずりながら、領主館を訪れた。
「ファルト殿——いえ、リーネ殿。お会いできて安堵しております」
侍医長はリーネを見るなり、深く頭を下げた。
「前回の使者とは、だいぶ雰囲気が違いますね」
レクトが警戒の色を隠さずに言った。前回の件があるだけに、当然の反応だった。
「ごもっともです。前回の無礼は、王宮を代表してお詫びいたします」
侍医長は丁寧に事情を説明した。セレスティアの追放、ガルドスの罷免、そして王妃の病状について。
「……陛下の親書をお読みいただけますか」
リーネが封を開くと、そこには国王自身の手で書かれた文面があった。
前回の事務的な命令書とは全く異なる、率直な言葉だった。お前を追放した判断は誤りであった。宰相の独断とはいえ、それを防げなかった余にも責任がある。命令ではなくお願いとして、王妃の診察をお願いしたい。断られてもやむを得ないと思っている——と。
リーネは手紙を読み終えて、しばらく黙っていた。
「リーネさん。断っても、僕は全力であなたを支持します」
レクトが静かに言った。その声には、強がりではない確かな覚悟があった。
「……ありがとうございます、レクト様」
リーネは手紙を畳み、侍医長を見た。
「侍医長。王妃殿下の症状を、詳しく教えてください」
侍医長の目が、微かに潤んだ。
「……感謝いたします」
「勘違いしないでくださいね。これは王宮に戻るという意味ではありません」
リーネの声は穏やかだが、はっきりしていた。
「目の前に患者がいて、自分に治せる可能性があるなら、診ないという選択肢は私にはないんです。それだけです」
侍医長が語った王妃の症状を聞きながら、リーネの薬理眼が静かに動いていた。
慢性的な微熱、倦怠感、食欲不振、関節の痛み。
(これは……リーネが処方していた体質改善薬を急に中断したことによる反動に加えて、セレスティアの「薬」に含まれていたハルム草の微量蓄積——複合的な症状ね)
「侍医長。王妃殿下に必要なのは三段階の処置です。まず、体内に蓄積されたハルム草の成分を排出する解毒、次に中断された体質改善の再開、最後に全身の回復を促す滋養薬の投与。解毒薬と処方箋はこちらで調合して持たせますので、投与の手順と経過観察の方法を詳しくお伝えします」
「こちらで調合……つまり、王宮にはお越しいただけないと」
「はい。ここを離れるわけにはいきません。ただし、処方箋と調合済みの薬、それに詳細な投与マニュアルをお渡しします。侍医長のお力があれば、十分対応できるはずです」
「しかし、万一容態が——」
「その場合は、鳥便でご連絡ください。追加の処方を送ります。それでも難しければ……そのときは、短期間だけ往診に伺うことは検討します」
リーネは薬房に侍医長を案内し、目の前で薬を調合した。
解毒薬、体質改善の再開薬、滋養薬。三種類の薬を丁寧に瓶に詰め、それぞれの投与量、タイミング、注意事項を紙に書き出す。
侍医長はリーネの手つきを食い入るように見ていた。
「……見事です。これほど精密な調合は、見たことがない」
「ベルク師に仕込まれましたから」
「ファルト——リーネ殿。正直に申し上げます。あなたが宮廷にいた頃、私どもはあなたの仕事の価値を正しく理解していませんでした。薬が効くのは当たり前、体調が良いのは当たり前——そう思い込んでいた。失って初めて、あなたが守っていたものの大きさに気づきました」
リーネは手を止めずに、小さく微笑んだ。
「気づいていただけただけで、十分です」
怒りはない。恨みもない。ただ、もうあの場所に自分の居場所はないと、静かに確信しているだけだ。
翌朝、侍医長は大量の薬と分厚い処方マニュアルを馬車に積んで、王都へ帰っていった。
馬車が見えなくなった後、リーネはふうと息をついた。
「お疲れ様でした」
レクトがハーブティーの入ったカップを差し出してくれた。いつの間にか、彼はリーネの好みの濃さを完璧に覚えていた。
「……レクト様」
「はい?」
「本当に、ここに来てよかったです」
リーネがそう言うと、レクトはカップを持つ手を一瞬止めて——それから、リーネがこれまで見た中で一番柔らかい表情で笑った。
「僕もです」
シルフがきゅうと鳴いて、二人の間に割り込むように肩に乗った。
空は晴れていた。辺境の風が、薬草の香りを運んでくる。
リーネ・ファルトの第二の人生は、まだ始まったばかりだった。




