【9話】ただいま
城を出て、人間の国フォンタステの城下町へ向かうリリスとガルディム。
――
「ねぇ、ガルディム」
「私、あなたに酷いことをしてしまったわ」
「あなたの目を掻い潜って逃げるなんて」
「えぇ、そうですよ」
「あの後、魔王様にたっぷり叱られました」
「今すぐ探し出せーってね」
ガルディムは少し寂しそうに笑う。
リリスは、その笑顔を初めて見るように目を細めた。
ーー
「ねぇ……もし私が一年の約束を守れなかったら、どうなるのかな」
「……魔王様のことです」
「リリス様とその男を引き剥がすため、魔王様自らその男を…」
「……私、圭介を巻き込んでしまったのね」
「いいじゃないですか」
「女の子は、わがままな方がいいのです」
ガルディムの満面の笑みが、リリスの心をほんの少し軽くする。
「えぇ、そうね」
二人は、城の近くの森まで、楽しそうに話しながら歩いた。
別れを感じさせないほどに。
――
「リリス様、私はここで城へ帰ります」
「どうかお気をつけて」
「ガルディム……ありがとう!!」
リリスが精一杯叫ぶと、ガルディムは一度だけ振り返った。
「では」
そして、空高く飛び去っていった。
ーー
森を抜け、城下町へ向かう途中。
「待て、そこの女」
「身分証を出せ」
「え、でも、この前までこんな取り締まりしてなかったわよね」
「魔族が侵入しそうになってから、警備が厳しくなったんだ」
「さぁ、身分証を」
「ごめんなさい、私……」
「通してやりな」
リリスは驚く。
「ルヴァンさん!でも、身分証がないと……」
「こいつはギルド横の路地の店の従業員だ。お前らもよく行ってるだろ?」
「ですが!」
「俺が保証する」
鋭い目付きに、門兵は言葉を失う。
リリスは小声で呟く。
「ギルマス……これで、あなたも巻き込んじゃう……」
「ここでは、私がなんとかする」
ーー
かつて初めてこの街に足を踏み入れた時を思い出すリリス。
(懐かしいわ……)
(倒れそうなほどお腹が空いていて……)
(食べ物を出しなさいって、殺気まで放って……)
(圭介まで巻き込んで……従業員にまでなって……)
ギルド横の路地に着くと、ルヴァンがドアに手をかけた。
「おい、嬢ちゃん。入るぞ」
「ケイスケが待ってる」
リリスは立ち止まる。
「……私、このまま戻ってもいいのかしら」
「やっぱりケイスケのことを考えるなら……」
「……いいから来い」
ガチャ
「おかえりなさーい!!!」
⸻
店の中には飾り付けがされ、これまで出会った客たちが集まっている。
カウンターの奥には、圭介。
「ケイスケ……これは……」
「リリスさんの従業員就任祝いですよ」
「でも、みんな忙しいのに……」
「リリスさんの明るい笑顔には、いつも癒されているんです!」
モーブが笑い、宰相が拳を落とす。
「私の部下が、この店には世話になっています。祝わせてください」
「僕からも!これ、プレゼントです!」
モーブは小さな金属の板を差し出す。
「名札?」
「それとこれ、俺からだ」
ルヴァンが箱を手渡す。
「これって……黒い服?」
「この店の制服だ。ケイスケの服と対になるよう、仕立て人に頼んで作ってもらった」
リリスの目に、涙が光る。
「嘘……嬉しい……」
圭介が声をかける。
「おかえりなさい、リリスさん」
リリスは笑った。
今までで一番の笑顔で。
「ただいま!」
ーー
「ところで、ラガーはまだか?」
「ボルグンさんも居たんですね!」
ドワーフの長のボルグンだ。
「おう、嬢ちゃんもここで酒作るんだろ?」
「俺が味見してやる」
圭介がグラスを差し出す。
「リリスさん、出番ですよ」
リリスは涙を拭い、頷く。
「はい!」
ーー
その頃、フォンタステ王城。
「勇者選定の儀の準備は進んでいるか」
「はい、滞りなく」
「今回は必ず成功させねばならん。新しい魔王が生まれる前に」
机の上には一枚の書類。
そこに書かれた文字――勇者候補者名簿。
名だたる冒険者や魔導師の名前が並ぶ。
側近がページをめくる。
「今回の有力候補はこの辺りか……S級冒険者、宮廷魔導師、騎士団長……」
最後の方に書かれた名前。
アレス
「……これは?」
「最近S級に上がったばかりの冒険者です」
「実力は、まだ未知数かと」
しばし沈黙。
「構わん。候補は多い方がいい」
「勇者とは、時に予想外の所から現れる」
窓の外に広がるフォンタステの街。
そのどこかにある小さな酒場――
まだ誰も知らない。
この街の片隅で、運命が静かに動き始めていることを。




