【15話】候補発表
HOMEの営業時間。
アレスはカウンターの隅で、一人静かに飲んでいた。
その時。
奥から、圭介とリリスの声が聞こえた。
「リリスさん、まもなく勇者選定の儀が始まりますね」
「ええ…」
リリスの声は、いつもの明るさがない。
アレスは無意識に耳を傾けた。
「リリスさんの…猶予は、あと何ヶ月ですか」
「……11ヶ月」
「そうですか」
沈黙。
「この街で…この店と過ごす時間が…」
「本当に大事なの」
「ですが…」
圭介の声は静かだ。
「勇者選定が始まったということは…」
「大戦の時間が近づいているということです」
「…分かってる」
リリスの声が震えている。
「だから…」
「もし…私が…」
「この街に居られなくなったら…」
その時。
アレスの心臓が止まった。
もし…居られなくなったら…?
圭介が言う。
「……リリスさん」
「魔王…お母様は何と…」
リリスが言う。
「ケイスケ…ごめんなさい…」
「私、何言ってるんだろう…」
アレスは静かに席を立ち、HOMEを出た。
――
(魔王…?)
街の路地を歩きながら、アレスは頭がおかしくなりそうだった。
(お母様…?)
(リリスの…母が…魔王…?)
思い出す。
初めてHOMEに来た時。
黒い制服を着て、笑顔で働くリリス。
あなたみたいな人が勇者だったら。
リリスはそう言ってくれた。
その時、アレスは思った。
(この子…)
それからというもの、HOMEに来るたびにリリスを探していた。
「ケイスケ、ビールね」
「はい」
「もう一つ、リリスさんからオススメのやつください」
リリスが持ってきてくれる度に、アレスの心は高ぶっていた。
「これ、いいわよ」
「ありがとう」
その笑顔。
その声。
全部が、アレスの心を満たしていた。
(でも…君は…魔王の娘…?)
(魔族…)
(大戦が来たら…君は…)
アレスは立ち止まった。
勇者候補発表の広場が見えた。
今日の発表で、多くの者が勇者候補として名乗られるだろう。
その中に、アレスも含まれるかもしれない。
(俺が勇者になれば…)
(君の敵になる…)
そう思った時。
広場から声が聞こえた。
「勇者候補が発表されるぞー!」
城下町の広場では人だかりができていた。
――
宰相ペトリュスが、長い候補者名簿を読み上げ始めた。
「S級冒険者、ライアン」
「A級上位魔導師、グレイス」
「騎士団長、エドガルド」
「…」
名前が次々と呼ばれていく。
アレスは人混みの中で、ただ聞いていた。
(…俺の名前…出てくるのか…)
「…そして、最後に」
ペトリュスが紙をめくった。
「S級冒険者、アレス」
アレスの身体が硬直した。
(本当に…選ばれた…)
それは喜びのはずだった。
でも、心は重かった。
――
夜。
HOMEへ戻ったアレス。
圭介を見た。
圭介はアレスを見て、少し目を細めた。
(やっぱり聞かれていたか…)
アレスはカウンターに座った。
「店主…」
「強い酒をください」
圭介は何も言わず、瓶を取り出した。
琥珀色の強い酒。
グラスに注がれる。
アレスは一口飲んだ。
香りが鼻に抜ける。
複雑で、深い。
喉を通った時、熱が広がる。
強い。
でも、その強さの先に、何か甘みがある。
「…これ…」
「ええ」
圭介は答える。
「ブランデーです」
「葡萄を蒸留させた酒です」
「長く…熟成させたものです」
アレスは続けて飲む。
飲むたびに、味わいが変わる。
最初の熱さ。
その後の甘み。
最後に残る温かさ。
「…なぁ」
圭介は拭き続ける。
「あの…リリスって…」
言葉が出ない。
「…何なんですか」
圭介は静かに答えた。
「リリスさんは…」
「この店の従業員です」
「そうじゃなくて…」
アレスはブランデーを飲み干した。
「俺…」
「あの子が…好きなんです」
沈黙。
圭介は新しいグラスに、ブランデーを注いだ。
「あの子は…」
「この世界の…重い背景を背負っています」
アレスは目を閉じた。
「魔王の娘…」
「勇者と…敵対する立場…」
「そして…」
圭介は静かに言った。
「アレスさんは…勇者候補になりました」
「…ああ…」
「だから…悩んでいるんですね」
アレスは何も言わない。
ただ、ブランデーを飲み続ける。
グラスが空になり、また注がれる。
その繰り返しの中で…
アレスは思った。
(俺が勇者になったら…)
(あの子の敵になる…)
(魔族を殺す勇者になったら…)
(あの子は…)
その時。
圭介が静かに言った。
「アレスさん」
「はい」
「勇者とは…何だと思いますか」
アレスは顔を上げた。
「…強い者…ですか」
「そうでもないかもしれません」
圭介は窓の外を見た。
「この世界には…対立がある」
「人間と魔族」
「その間に立つ者が…必要なのかもしれません」
アレスの心が揺らいだ。
「…勇者が…対立を終わらせるのではなく…」
「対立を…繋ぎ直す…?」
圭介は頷いた。
「そうかもしれません」
アレスはブランデーを見た。
琥珀色の液体。
その中に…何かが見える気がした。
時間をかけて熟成された味わい。
複雑で、深い。
(俺が勇者になったら…)
(あの子の敵になる…)
(……)
(それでも…)
(間に立つしかないのか…)
(人間と魔族の…間に…)
その決意が、ゆっくり胸の中で固まっていく。
アレスはブランデーを飲み干した。
「ありがとうございます」
圭介は小さく頷いた。
「頑張ってください」
――
翌日。
勇者候補の者たちが、壇上に上がっていく。
名前を呼ばれた順に。
ライアン。
グレイス。
エドガルド。
一人また一人と。
そして…
「S級冒険者、アレス」
「登壇してください」
アレスは、ゆっくり歩を進めた。
壇上へ上る。
民衆の視線が集中する。
その中に…リリスがいた。
圭介と一緒に。
アレスは深く呼吸した。
「S級冒険者、アレス」
「勇者候補として、意気込みを述べよ」
アレスは一歩前に出た。
民衆を見た。
「俺は…」
「この国の勇者候補として…」
「人間と魔族の対立を終わらせる為に…」
「戦います」
広場が静まり返った。
「対立を…終わらせるだと?」
ペトリュスが眉をひそめた。
「はい」
アレスは確信を持って言った。
「俺は弱い」
「魔族の子供すら倒せません」
「だからこそ…」
「戦うだけの勇者にはなりません」
「人間と魔族の間に立つ」
「その為に戦います」
リリスの目が大きく見開かれた。
涙が…流れていた。
アレスは続けた。
「俺は…勇者候補アレスとして…」
「この場で誓います」
広場からは、戸惑いの声が上がった。
だが…
圭介が静かに拍手をした。
ルヴァンも続く。
そして…ボルグンも。
グンターも。
一つ、また一つと。
拍手が広がっていく。
リリスは涙を流しながら、手を合わせていた。
圭介は静かに笑っていた。
アレスは…
初めて、本当に…
勇者候補になった気がした。




